第1話

文字数 1,354文字

また私の上靴が無くなっていた。始業のベルがもうすぐ鳴ってしまう。私は不思議だった。私は誰かを傷つけたり、恨みを買うような事はした覚えがなかった。靴が隠されたり、トイレから帰ってくると椅子の上に雑巾が置いてあるような事が起きるようになってから、なおさら知らないうちに誰かに嫌な思いをさせたりする事がないよう気を付けてきた。それでもこのような仕打ちは続いた。
私は近くに置いてあるゴミ箱を覗いてみた。しかしそこに私の上靴は無かった。下駄箱近くの廊下に置いてあるゴミ箱も見てみたがやはり上靴は見当たらなかった。するとひとりの男の子がたまたま通りかかった。クラスの高橋くんだった。私は靴下でいる事が恥ずかしくて下を向いて高橋くんが通り過ぎるのを待った。しかし高橋くんは立ち止まった。
「滝藤、上靴は?」
高橋くんの声だった。私は話しかけられた事に驚いてドギマギしながら答えた。
「上靴…見つからなくて。」
すると『チッ』という舌打ちが聞こえバタバタと靴音がした。そして近くのゴミ箱を漁る音が聞こえ始めた。私は驚いて顔をあげ高橋くんに訴えた。
「近くのゴミ箱は見たの…でもなかった。」
高橋くんは動きを止めると周囲を見回した。すると何か思いついたのか〝キッ”と眉を寄せると男子トイレに近づき扉を開けると中に入っていった。『ガタンガタン』と中で荒っぽい音がしたあと、高橋くんが扉を開けて現れた。右手の指には一足の上履きがつかまれていた。
「滝藤の名前が書いてある。」
高橋くんは怒った感じでそう言うと私の前に上靴を並べた。
「あ、ありがとう。」
私は戸惑ってお礼の言葉がつっかえた。しかし高橋くんは何の反応も示さず険しい顔のまま踵を返すと階段を二段飛ばしのすごいスピードで上がっていった。その時始業のベルが鳴った。私は慌てて上靴を履くと既に姿が見えなくなった高橋くんの後を追った。
教室の扉をおそるおそる開けると既に担任の池田先生が来ていた。池田先生は私を認めると厳しい表情を浮かべて私に言った。
「滝藤さん!遅刻した理由を言ってください。」
私は誰が隠したか分からず、また上靴が隠された事を先生に言う事での仕返しを恐れて黙って下を向くしか無かった。どこからか『クスクス』と忍び笑いが聞こえ、ざわめきがさざ波のようにクラスに広がっていった。その時後ろから大きな声がした。
「先生、滝藤、靴が無くなって探してた。」
高橋君の声だった。ざわめきが止みみんなが息をのむ気配がした。池田先生を見ると、驚いたような怯えたような、生徒には今まで見せたことがない表情をしていた。
「滝藤さん、高橋君の言った事は本当ですか?」
池田先生は感情の無い冷たい声で私に聞いた。私は本当の事を訴える勇気が持てず、沈黙を続けた。すると先生は甲高い声で私に答えるよう催促した。
「滝藤さん、答えなさい!」
私は何か言うしかないよう追い込まれ、本当の事を言う勇気がない以上こう答えるしかなかった。
「…いいえ…」
「滝藤!」
高橋君の声だった、だがその声を誰かが小さな素早い声で遮った。
「力也、よせ。」
教室がまた沈黙で包まれた。その沈黙に耐え切れないというふうに池田先生が宣言した。
「滝藤さん、後で職員室に来なさい、座って。授業を始めます。」
私は先生に一礼して席に着くと、安堵のため息を漏らした。
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