第3話 夜の橋にて

文字数 2,328文字

 夜の闇が一面に広がる中に橋があった。
 川の水面が銀色に輝く月光を受けて微かに揺らめいている様子が見える。
 水面に映る揺れるうねりはまるで得体の知れぬ化け物が潜んでいるようにも見え、不気味な様相を呈していた。
 そんな橋の欄干の上に一人の若い男が歩いていた。
 風が一瞬強く吹き、黒いチェスターコートが舞い上がる。
 その姿はまるで闇の中から現れた死神のようであり、月明かりに照らされて浮かび上がった彼の顔は端正な顔立ちをしていたが、どこか冷たい印象を受けるものがあった。髪は黒く艶があり、肌の色は白くきめ細かい。
 だが瞳だけは異様な輝きを放っているように見えた。
 名を白石昴という。
 昴は橋向から、人が橋に踏み込んだ気配を感じ取り自分も橋へと足を踏み入れた。歩幅は身長や体格によって異なり、また靴底の形状等から一定ではないが、それでもおおよその勘で橋の中央で遭遇するように昴は歩いた。
 足音を聞いた限り、その人物はかなり小柄であることが推測できた。
 十代後半の男と昴は思った。
 しかし、それはあくまでも予測でしかないので確信はない訳ではないが、誰であろうと昴には関係ないことだった。彼はただ、剣を振るうだけであるからだ。
 すると案の定、暗闇の中から小さな影が姿を現した。
 ブレザー姿の少年。
(子供か……) 
 心の中で呟くと昴は歩みを止めた。
 すると、相手も歩みを止める。
 やがれ流れる雲の切れ間から月明かりが差し込み、互いの姿を照らし出した。
 昴は少年の顔を認めると、驚きに目を見張った。
 思わず名前が溢れる。
「凛久」
 その言葉を受けた少年は、鋭い目で兄・昴を睨みつける。
 左手には納刀された刀を持っている。
 鞘に納められているとはいえ、抜き身と同様の威圧感を感じさせるほどの迫力が感じられた。殺気によるプレッシャーだ。
 それと共に、昴は自分の後方に人影がいることを感じ取り、視線を走らせた。
 ストレッチスラックスに、ネイビージャケットの青年。
 霧生志遠だ。
 腰には刀と脇差を差しており、油断なく身構えている様子が見て取れる。
 志遠もまた眼光鋭く凜久を見つめていた。
「白石昴ですね。僕は霧生志遠と言います」
 志遠は名乗った。
 2人の対峙を見て取った凜久は小さく息を吸い込むと意を決して言った。
 その瞳からは強い意志を感じることが出来た。
 覚悟を決めた者のみが放つことができる独特の雰囲気を纏っていた。その空気に触れただけで肌が粟立つような感覚を覚えるほどだった。
 3人は互いに睨み合ったまま動かない。
 いや動けないと言った方が正しいだろうか。相手の出方を見極めていなければ迂闊に動くことは出来ないのだ。下手に動けば隙を突かれる可能性もあるし、何より相手に先手を許すことになるかもしれないのだから。
 前後を挟まれた昴はチェスターコートの下で、ゆっくりと刀の鯉口を切る。
「二対一か」
 昴の呟きに志遠が反応する。
「いいえ。戦うのは凛久殿。僕は、あなたを逃さない為にここにいるだけです」
 その言葉に昴は苦笑する。
 この状況下で笑うことが出来る自分に驚いた。
(なるほど……)
 これが武者震いというものなのだろうと思った。今まで感じたことのない感覚だった。
 強敵を前にして自分が高揚していることを実感すると同時に、自分はこの戦いを楽しみにしているのだということにも気付いた。
(面白い……)
 そう思うと自然に笑みが浮かんだ。
(やはり俺は剣に取り憑かれているようだな)
 そう自覚しながらも、もはやそれを恥ずかしいとも思わない自分に気付いて可笑しくなった。
 いや、むしろ誇らしいとさえ思うくらいだ。
 そんな昴に無粋な言葉がかけられる。
「僕は椿華流の呪いから兄さんを助けたい。どうか罪を償う為に自首してください」
 凛久の心からの願いであった。
 それを聞き届けると、兄は無表情のまま口を開いた。その声は低く落ち着いており抑揚がないものだった。
「俺は椿華流の奥義を極めようとしている。刀を持たぬ相手に飽きてきていたところだ。ちょうどいい機会だ。凛久、相手をしてやろう……」
 昴はチェスターコートを肩から滑り落とし、刀を引き抜く。刃先を凛久に向けた。
 凛久も応じるように抜刀して正眼の構えを取る。
 それを見て、昴は口角を上げた。
 その瞬間、彼の姿がかき消えたかと思うと一瞬にして間合いを詰めて斬りかかってきた。
 太刀筋は左鎖骨から右脇に抜ける左袈裟斬り。
(速い!)
 凛久は昴の予想以上の速さに対応が遅れた。
 辛うじて体を捻り致命傷を避けることは出来たものの、左肩口から胸にかけて浅く斬られてしまったようだ。傷口から血が滲み出てくるのを感じた時は既に遅かったようで、完全に避けることは出来なかったらしいことが伺えた。幸い傷自体はそれほど深くない。
 命に関わることはないだろうが、それでも無視できるほど軽いものでもない。痛みは当然あるが、今はそんなことを気にしている場合ではないことも分かっている。今ここで戦うことを放棄してしまえば、二度と兄には勝てないだろうということも分かっていたからだ。
「凛久。昔から俺と稽古試合をしてきたが、お前が俺から一本を取れたことなど一度たりともなかったよな?」
 そう言ってニヤリと笑みを浮かべる兄の表情に狂気を感じた気がしたが、凛久は同時に闘志が漲ってくるような気もしたのだった。
(そうだ……)
 幼い頃から何度となく勝負を重ねてきたことを思い出していた。
 そして、その都度敗北を喫していたことを思い返すと悔しさが込み上げてきたが、それ以上に椿華流の剣を罪もない人々を斬ってまわる兄を止めたいという気持ちが勝っていた。
 その為の稽古を凛久は志遠から受けたのだ。
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