第2話 椿華流
文字数 4,114文字
柔らかな日差しが、道場の木製の格子窓を通して内部をほんのりと照らしていた。
木目の浮いた床板には塵一つなく綺麗に磨かれており、壁に掛かった竹刀や木刀にも汚れはない。隅々まで手入れされている証拠だ。
そんな清潔感溢れる空間の中に、白い道着に身を包んだ一人の青年がいた。
白い上衣と袴姿の男性。
凛々しく、見る者に清廉な印象を与える。
肩まで伸びた黒髪は、後頭部のところで結われていた。
双眸は、鋭く切れ長であり、意志の強さを感じさせる。鼻梁は高く、唇は薄く引き締まっていた。
その容姿は、誰もが振り返る美男子だ。
歌舞伎では男性が女性を演じるのを女形オヤマと呼び、酔わせる美しさを魅せるが、彼はまさにその女形のようであった。
名前を、霧生 志遠 と言った。
念流道場の師範代であると同時に、剣士でもあった。
門下生たちへの稽古を終えた後は、こうして一人で素振りをしていることが多いのだが、今日は少し違ったようだ。
志遠の前にブレザー姿の少年が正座をしていた。
短く切り揃えられた髪は黒く艶があり、肌は健康的に焼けている。
身長は小柄だが細身だが引き締まった体躯をしており、端正な顔立ちをしていた。
少年は神妙な面持ちで志遠に視線を向けていたが、床に手を着いて深く頭を下げた。
そして顔を上げると、真剣な表情で言った。
「僕は、白石 凛久 と言います。霧生先生の剣士としての名声をお聞きした故、この度ご指導を賜りたいと思い、ここに参りました」
凛久と名乗った少年の言葉に、志遠は表情を崩さずに彼の左脇に置かれた合皮製の刀ケースを見た後に口を開いた。
「失礼ですが。流派をお聞きしてもよろしいですか?」
その問いに、凛久の表情が曇るのが分かった。
「椿華 流です」
躊躇いがちに答えたその言葉に、今度は志遠が表情を変えた。
眉を寄せ、訝しげに目を細める。
「聞かない流派ですね」
志遠の問いに凛久は答える。
「道場を持ち一般に開放していません。白石家だけに伝えてきた剣術ですから」
それを聞いて、志遠は得心したように頷いた。
聞けば、椿華流は、直心影流薙刀術の門人であった武芸者・白石宗盛が創始者だという。薙刀の特徴である薙ぎの太刀筋を独自に発展させ、刀を用いて戦う剣術として完成させたという。
伝承によれば白石宗盛は椿華流の術を以って、横薙ぎの太刀筋で相手の首を落としたという。
その話しを耳にした志遠は、その凄まじさに耳を疑った。
「……まさか。正面から首を斬ったというのですか?」
驚くのも無理はない。
法医学者、医事評論家・上野正彦は語る。
(1929年茨城県生まれ、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入り、東京都監察医務院長を務める。著書に『死体は語る』など多数。
解剖5000体以上、検死20000体以上の死体を見てきた死体の専門家)
頸動脈を斬れば人を即死に近い形で絶命させることはできる。
しかし、首の骨は椎骨で刀で斬れるようなものではない。刀で斬ったぐらいで骨ごと首が落ちることはありえないという。
実際に、人の首を切ることを綴った証言が過去にある。
文久2年(1862)4月8日、吉田東洋暗殺。
吉田東洋は、土佐藩の参政(筆頭家老のような立場)を務めていた人物で、この時の土佐藩では大きな権力を持っていた。
これに対し、土佐藩の下士が結成した土佐勤皇党の党首である武市半平太は、自分の意見に反対し強大な政敵である東洋を殺害する計画を立てる。
この日、夜には細かい雨が降っていた。
高知城の御殿で、吉田東洋は藩主の山内豊範に『日本外史』の講義。
その後、酒宴になり、東洋はしたたかに酔い午後10時頃に城を出る。そんな東洋の前に武市の命を受けた那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助が襲撃し暗殺を成功させる。
東洋の首を取る為に、安岡が斬ろうとするが
「首筋よりあごにかかり、よほど切れがたくしばし拝み打ちに仕り候」
と那須が記した手紙があり、首を切る時に顎を切ったりして苦労した様子がうかがえる。
なお首級は新しい木綿にくるんで運ぶものだが、この時には木綿を買える余裕がある者がいなかったので、三人の誰かが外したばかりの履き古した、ふんどしにくるまれて運ばれたという。
刀という世界最高峰の切れ味を誇る武器であっても、花の茎を斬るように簡単に切断できる訳ではない。
日本では斬首刑という処刑法や、切腹において介錯人が首を落としたのも事実だが、その行為は難しく、かなりの剣の達人でも一撃で首を落とすのは至難の技で、往々にして失敗することがあったと言う。
しかし、江戸時代の首切り役人、山田浅右衛門は刃こぼれせぬまま失敗することなく500人もの首を切ったことが記録されている。
いかにして斬ったか?
それは頸骨を繋ぐ靭帯を狙って斬った。
人間が正座をして首を前に垂れると、頸骨に隙間ができるので、山田浅右衛門はその隙間めがけて刀を振り下ろした。
それでも首は貝柱のような靭帯で繋がっており、外からいくら眺めても隙間を判別することはできず、骨と骨の隙間を正確に斬るには卓越した技術が必要だったのだ。
頭を垂れ頸骨に隙間が生じさせた姿勢でも斬首を行うことは至難の業だが、立ったままの動く相手を前に斬首を決めるとなれば、神業としか言いようがないだろう。
凛久は、そこで言葉を区切ると真剣な眼差しで志遠を見つめた。
その目に宿るのは強い意志の光だ。
「霧生先生。どうか僕に人を斬れるようにして下さい」
そんな凛久の言葉に、志遠は小さく溜め息を吐いた後、彼に言った。
「なぜ。人を斬りたいのですか? 人の命を奪うという行為がどれほど重いものか分かっていますか?」
静かな口調ではあるが志遠の言葉は重みがあった。その言葉を受けて、凛久は少し考える素振りを見せたがすぐに口を開いた。
彼は、真っ直ぐに志遠を見て言う。
その瞳に強い光が灯っていることに志遠は気づいた。
そして、彼が本気であることを悟ったのだった。
凛久は言う。
「4日前に河口付近で死体が上がったのを、ご存知ですか? 死体の詳しい状態は広く報道されていませんが……、僕は知っています」
そう言ってから凛久は一度大きく息を吸い込んだ後で言った。
「その死体には首が無かったんです」
志遠の目が僅かに見開かれるのが分かった。
「その犯人は椿華流の者ということですか? ですが椿華流は白石家の者しか伝えられていない剣と聞きました。……まさか身内が犯人だと?」
信じられないと言った様子の志遠に対し、凛久は静かに首を縦に振った。それから視線を床に向けると呟くように言った。
「……僕の兄・白石昴 です」
凛久の言葉に、今度は志遠の表情が驚きに変わった。
しかし、それも一瞬のことで、次の瞬間には平静を取り戻していた。
「兄は、剣を極めようとする余り、椿華流に呪われてしまったのです……」
そう言うや否や、凜久の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
白石昴は、幼少期から父親・義弘に椿華流の手解きを受けていた。
まだ幼かった昴にとって、父の教えは絶対だった。
だがある日、義弘が仕事帰りに暴漢に刺され、無惨にも命を奪われた。彼は剣術の達人であったにもかかわらず、複数の暴漢に奇襲されたことで、抵抗むなしく刺されてしまった。昴はその知らせを受けたとき、深い悲しみと怒りに打ちひしがれた。
父親を失った昴は、悲しみを剣術の修行にぶつけるようになった。彼は椿華流の技を磨くことで父親の仇を討ち、父親の誇りを守ることを誓った。
昴の剣術が極まるにつれ、椿華流の呪いが彼を蝕み始めた。彼の心には次第に狂気が宿り、剣を振るうたびにその狂気は増していった。
母・美紀は息子の変化に気付き、必死に彼を止めようとした。
しかし、昴の狂気は日増しに強くなり、やがて制御不能となった。
ある夜、昴は美紀と対峙した。
美紀は息子を救おうと説得を試みるが、昴の目にはもはや母親としての美紀は映っていなかった。狂気に駆られた昴は、母親の命を奪ってしまった。
昴は完全に椿華流の呪いに取り憑かれた。彼は父親の死と母親を殺してしまったことを切っ掛けに剣の鬼と化し、人々を斬り始める。
「創始者・白石宗盛は武芸者にして特別な力を持っていたそうで、人を斬り椿華流を極めていく過程で、千里眼の力を得たと言われています」
凜久の言葉を聞きながら、志遠は自分の心がざわつくのを感じた。
「千里眼……。今で言うところの、透視能力のようなものでしょうか?」
志遠の問いに、凜久は大きく頷いた。
「はい。遠くを見るというよりは、人体の構造を透かして見ることが出来るようです。筋肉や内臓、骨格までもが見えることによって、首を刎ねたそうです」
それを聞いて、志遠は思わず息を呑んだ。
「……つまり白石昴は、その域に達しつつあり、さらにその力を高めているということですね」
志遠の言葉に、凜久は再び深く頷く。
「椿華流の剣士として、僕は兄の凶行を止める責任があります。その為には兄を斬らなければいけません」
凛久の表情は真剣そのもので、その言葉に嘘偽りがないことは明白だった。
(確かに人を斬ることは簡単ではない)
人を斬るということは即ち殺人である。人殺しにはそれ相応の覚悟が必要だ。特に自分の意思で人を殺めるというのは、想像以上の葛藤があることだろう。
ましてそれが肉親であれば尚更だ。
(凛久殿はそこまで考えておられるのか……)
そう思うと同時に、志遠の中にも決意のようなものが芽生えてきたのだった。
剣に狂った者を討つのに年月をかけて修行を行っていたのでは、犠牲者が増えていくだけだ。かと言って無策で挑ませる訳にはいかない。相手は首を落とす技量を持った達人なのだ。少しでも勝機を上げるためには、こちらも準備をして臨まなければならないだろう。
そう考えた上で、志遠は言った。
志遠の言葉に凛久は驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情が厳しくなる。
そして、深くお辞儀をする。
「今すぐ、よろしくおねがいします!」
志遠もそれに対して頭を下げる。
死を賭した戦いが始まる瞬間だった。
木目の浮いた床板には塵一つなく綺麗に磨かれており、壁に掛かった竹刀や木刀にも汚れはない。隅々まで手入れされている証拠だ。
そんな清潔感溢れる空間の中に、白い道着に身を包んだ一人の青年がいた。
白い上衣と袴姿の男性。
凛々しく、見る者に清廉な印象を与える。
肩まで伸びた黒髪は、後頭部のところで結われていた。
双眸は、鋭く切れ長であり、意志の強さを感じさせる。鼻梁は高く、唇は薄く引き締まっていた。
その容姿は、誰もが振り返る美男子だ。
歌舞伎では男性が女性を演じるのを女形オヤマと呼び、酔わせる美しさを魅せるが、彼はまさにその女形のようであった。
名前を、
念流道場の師範代であると同時に、剣士でもあった。
門下生たちへの稽古を終えた後は、こうして一人で素振りをしていることが多いのだが、今日は少し違ったようだ。
志遠の前にブレザー姿の少年が正座をしていた。
短く切り揃えられた髪は黒く艶があり、肌は健康的に焼けている。
身長は小柄だが細身だが引き締まった体躯をしており、端正な顔立ちをしていた。
少年は神妙な面持ちで志遠に視線を向けていたが、床に手を着いて深く頭を下げた。
そして顔を上げると、真剣な表情で言った。
「僕は、
凛久と名乗った少年の言葉に、志遠は表情を崩さずに彼の左脇に置かれた合皮製の刀ケースを見た後に口を開いた。
「失礼ですが。流派をお聞きしてもよろしいですか?」
その問いに、凛久の表情が曇るのが分かった。
「
躊躇いがちに答えたその言葉に、今度は志遠が表情を変えた。
眉を寄せ、訝しげに目を細める。
「聞かない流派ですね」
志遠の問いに凛久は答える。
「道場を持ち一般に開放していません。白石家だけに伝えてきた剣術ですから」
それを聞いて、志遠は得心したように頷いた。
聞けば、椿華流は、直心影流薙刀術の門人であった武芸者・白石宗盛が創始者だという。薙刀の特徴である薙ぎの太刀筋を独自に発展させ、刀を用いて戦う剣術として完成させたという。
伝承によれば白石宗盛は椿華流の術を以って、横薙ぎの太刀筋で相手の首を落としたという。
その話しを耳にした志遠は、その凄まじさに耳を疑った。
「……まさか。正面から首を斬ったというのですか?」
驚くのも無理はない。
法医学者、医事評論家・上野正彦は語る。
(1929年茨城県生まれ、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入り、東京都監察医務院長を務める。著書に『死体は語る』など多数。
解剖5000体以上、検死20000体以上の死体を見てきた死体の専門家)
頸動脈を斬れば人を即死に近い形で絶命させることはできる。
しかし、首の骨は椎骨で刀で斬れるようなものではない。刀で斬ったぐらいで骨ごと首が落ちることはありえないという。
実際に、人の首を切ることを綴った証言が過去にある。
文久2年(1862)4月8日、吉田東洋暗殺。
吉田東洋は、土佐藩の参政(筆頭家老のような立場)を務めていた人物で、この時の土佐藩では大きな権力を持っていた。
これに対し、土佐藩の下士が結成した土佐勤皇党の党首である武市半平太は、自分の意見に反対し強大な政敵である東洋を殺害する計画を立てる。
この日、夜には細かい雨が降っていた。
高知城の御殿で、吉田東洋は藩主の山内豊範に『日本外史』の講義。
その後、酒宴になり、東洋はしたたかに酔い午後10時頃に城を出る。そんな東洋の前に武市の命を受けた那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助が襲撃し暗殺を成功させる。
東洋の首を取る為に、安岡が斬ろうとするが
「首筋よりあごにかかり、よほど切れがたくしばし拝み打ちに仕り候」
と那須が記した手紙があり、首を切る時に顎を切ったりして苦労した様子がうかがえる。
なお首級は新しい木綿にくるんで運ぶものだが、この時には木綿を買える余裕がある者がいなかったので、三人の誰かが外したばかりの履き古した、ふんどしにくるまれて運ばれたという。
刀という世界最高峰の切れ味を誇る武器であっても、花の茎を斬るように簡単に切断できる訳ではない。
日本では斬首刑という処刑法や、切腹において介錯人が首を落としたのも事実だが、その行為は難しく、かなりの剣の達人でも一撃で首を落とすのは至難の技で、往々にして失敗することがあったと言う。
しかし、江戸時代の首切り役人、山田浅右衛門は刃こぼれせぬまま失敗することなく500人もの首を切ったことが記録されている。
いかにして斬ったか?
それは頸骨を繋ぐ靭帯を狙って斬った。
人間が正座をして首を前に垂れると、頸骨に隙間ができるので、山田浅右衛門はその隙間めがけて刀を振り下ろした。
それでも首は貝柱のような靭帯で繋がっており、外からいくら眺めても隙間を判別することはできず、骨と骨の隙間を正確に斬るには卓越した技術が必要だったのだ。
頭を垂れ頸骨に隙間が生じさせた姿勢でも斬首を行うことは至難の業だが、立ったままの動く相手を前に斬首を決めるとなれば、神業としか言いようがないだろう。
凛久は、そこで言葉を区切ると真剣な眼差しで志遠を見つめた。
その目に宿るのは強い意志の光だ。
「霧生先生。どうか僕に人を斬れるようにして下さい」
そんな凛久の言葉に、志遠は小さく溜め息を吐いた後、彼に言った。
「なぜ。人を斬りたいのですか? 人の命を奪うという行為がどれほど重いものか分かっていますか?」
静かな口調ではあるが志遠の言葉は重みがあった。その言葉を受けて、凛久は少し考える素振りを見せたがすぐに口を開いた。
彼は、真っ直ぐに志遠を見て言う。
その瞳に強い光が灯っていることに志遠は気づいた。
そして、彼が本気であることを悟ったのだった。
凛久は言う。
「4日前に河口付近で死体が上がったのを、ご存知ですか? 死体の詳しい状態は広く報道されていませんが……、僕は知っています」
そう言ってから凛久は一度大きく息を吸い込んだ後で言った。
「その死体には首が無かったんです」
志遠の目が僅かに見開かれるのが分かった。
「その犯人は椿華流の者ということですか? ですが椿華流は白石家の者しか伝えられていない剣と聞きました。……まさか身内が犯人だと?」
信じられないと言った様子の志遠に対し、凛久は静かに首を縦に振った。それから視線を床に向けると呟くように言った。
「……僕の兄・白石
凛久の言葉に、今度は志遠の表情が驚きに変わった。
しかし、それも一瞬のことで、次の瞬間には平静を取り戻していた。
「兄は、剣を極めようとする余り、椿華流に呪われてしまったのです……」
そう言うや否や、凜久の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
白石昴は、幼少期から父親・義弘に椿華流の手解きを受けていた。
まだ幼かった昴にとって、父の教えは絶対だった。
だがある日、義弘が仕事帰りに暴漢に刺され、無惨にも命を奪われた。彼は剣術の達人であったにもかかわらず、複数の暴漢に奇襲されたことで、抵抗むなしく刺されてしまった。昴はその知らせを受けたとき、深い悲しみと怒りに打ちひしがれた。
父親を失った昴は、悲しみを剣術の修行にぶつけるようになった。彼は椿華流の技を磨くことで父親の仇を討ち、父親の誇りを守ることを誓った。
昴の剣術が極まるにつれ、椿華流の呪いが彼を蝕み始めた。彼の心には次第に狂気が宿り、剣を振るうたびにその狂気は増していった。
母・美紀は息子の変化に気付き、必死に彼を止めようとした。
しかし、昴の狂気は日増しに強くなり、やがて制御不能となった。
ある夜、昴は美紀と対峙した。
美紀は息子を救おうと説得を試みるが、昴の目にはもはや母親としての美紀は映っていなかった。狂気に駆られた昴は、母親の命を奪ってしまった。
昴は完全に椿華流の呪いに取り憑かれた。彼は父親の死と母親を殺してしまったことを切っ掛けに剣の鬼と化し、人々を斬り始める。
「創始者・白石宗盛は武芸者にして特別な力を持っていたそうで、人を斬り椿華流を極めていく過程で、千里眼の力を得たと言われています」
凜久の言葉を聞きながら、志遠は自分の心がざわつくのを感じた。
「千里眼……。今で言うところの、透視能力のようなものでしょうか?」
志遠の問いに、凜久は大きく頷いた。
「はい。遠くを見るというよりは、人体の構造を透かして見ることが出来るようです。筋肉や内臓、骨格までもが見えることによって、首を刎ねたそうです」
それを聞いて、志遠は思わず息を呑んだ。
「……つまり白石昴は、その域に達しつつあり、さらにその力を高めているということですね」
志遠の言葉に、凜久は再び深く頷く。
「椿華流の剣士として、僕は兄の凶行を止める責任があります。その為には兄を斬らなければいけません」
凛久の表情は真剣そのもので、その言葉に嘘偽りがないことは明白だった。
(確かに人を斬ることは簡単ではない)
人を斬るということは即ち殺人である。人殺しにはそれ相応の覚悟が必要だ。特に自分の意思で人を殺めるというのは、想像以上の葛藤があることだろう。
ましてそれが肉親であれば尚更だ。
(凛久殿はそこまで考えておられるのか……)
そう思うと同時に、志遠の中にも決意のようなものが芽生えてきたのだった。
剣に狂った者を討つのに年月をかけて修行を行っていたのでは、犠牲者が増えていくだけだ。かと言って無策で挑ませる訳にはいかない。相手は首を落とす技量を持った達人なのだ。少しでも勝機を上げるためには、こちらも準備をして臨まなければならないだろう。
そう考えた上で、志遠は言った。
志遠の言葉に凛久は驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情が厳しくなる。
そして、深くお辞儀をする。
「今すぐ、よろしくおねがいします!」
志遠もそれに対して頭を下げる。
死を賭した戦いが始まる瞬間だった。