冷たき手に涙を流せ!(9)

文字数 1,517文字

 一方。
 洋風屋敷。とある一室。
 何枚もの顔写真が印刷された紙をペラペラとめくりながら、桜花は頭を悩ませていた。
 組織『2Pカラー』に所属する裏のプロゲーマーたちはいずれも精鋭ぞろいだが、あの荒巻別斗という少年を負かせるほどの能力を持つゲーマーを選ぶのはなかなか難儀だった。かれこれ2時間近くも資料とにらめっこし、気づけば肩や背中に凝りを感じる。
 張り詰めていた神経をフッと弛緩させて、桜花はソファの背もたれに背中を預けた。
 ダ・ヴィンチクリスタルのグラスをあおり、淡い金色のきらめきをひと息。

「ふう、ミョルニルも駄目、アイスマンも駄目。あの少年に勝つには、どんな能力が必要だというの?」

 別斗の腕前。ひと目見ただけで、並のゲーマーでは太刀打ちできないことは桜花にも明らかである。なにか普段のプレイでは絶対に攻略できないような、奇抜なゲーム能力者でなければ――。
 これで何杯目だろうか。グレンフィディックのボトルに手を伸ばしたときだった。

「ずいぶん悩んでるようね」

 ハッと驚いて顔をあげる桜花。いつのまにか、そばに女性が立っているではないか。

「あ、あなたは!」

 桜花が仰ぎ見た女性、赤いブルゾンにダメージジーンズというカジュアルなファッションに身を包んだところを見るに、アクティブな印象を抱かせる。
 女性は桜花が見ていた顔写真付きの資料を拾い上げると、パラパラと何枚かに目を通した。

「その少年、相当なゲームセンスを持ってるらしいわね」

 そういって桜花の隣に、当然のように腰かける。
 ポケットからピアニッシモを一本引き抜くと、ヴィヴィアンウエストウッドのライターで火をつけた。

「ここ禁煙なんですけど」
「固いこと云わないで。私だってあなたのことを大目に見てるわ」
「なにかしましたっけ?」
「裏のプロゲーマーの発掘資金を合コンに使ってる」
「もう!」

 しょうもない話に思わず笑いを漏らす桜花。
 その横で、女性はふたたび資料に目を落とす。

「次のチャレンジャー、私が決めてあげる」

 そうして、その束の一枚を抜き出し、桜花の眼前に突きつけた。

「次に少年と戦うのは、このゲーマーよ」

 女性は実に真顔だった。その目は暗く澱んでいるが、奥底に息を飲むほど信念の炎が揺らめいているのを、桜花は見逃さなかった。
 資料に掲載された顔写真は、いま自分の目の前にいるその女性である。

「まさかあなたが! あなたがあの少年と戦うと云うんですか?」
「いけないかしら」
「確かに荒巻別斗という少年は強敵です。ミスターQの言葉を借りれば、類い希なゲームセンスと愛がある。しかし、あなたほどの実力者が出なくとも――」
「だからよ。ミスターQが執着するほどの少年、その実力をぜひこの目で確かめてみたいの。それに――」
「それに?」

 二の句は告げず。女性は云いかけの言葉の残りを溜飲し、口をつぐんだ。
 桜花は沈黙に圧された格好で、やがて観念したように肯いた。

「わかりました。そこまでおっしゃるなら、今度の人選で推薦しておきます」
「ありがとう」

 それだけ云うと、女性は短くなったピアニッシモを携帯灰皿に始末し、立ち上がった。
 ドアの手前。サングラスを装着しながら振り返らず、

「安心して。私は勝つわ、必ず。荒巻月斗のひとり息子・荒巻別斗は、〈ピクシー〉の異名を持つこの行平(ゆきひら)ヒトミが粉砕してみせる」

 女性が部屋を去ると、桜花は窓を叩く風音に意識させられた。今夜は風も穏やかで熱帯夜になると天気予報アプリで見ていたが、夜更けに一雨降るかも知れない。
 寝苦しい夜に気休めのやすらぎを。
 グラスに残ったウイスキーを一気にあおると、桜花は空になるまでボトルを注ぎ込んだ。



第2話『冷たき手に涙を流せ!』終
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