あれがゲーマーの指だ!(1)

文字数 4,688文字

 初夏のうららかな昼休み。
 高校生の果てしなき45分の自由時間に、昼食後の眠気も吹っ飛ばす叫声が教室に轟いた。
 毎日の日課である昼寝を阻害された荒巻別斗(あらまきべっと)、何事かと薄ら眼を後方へやれば、

「ねえねえ~別斗~、これ見てよ~」

 クラスメイトの雨瀬(うのせ)ジャレ子が、スマホ片手にこちらへ猛進してくるところだった。

「んだよ~ジャレ子。人がせっかく気持ちよく寝てんのによ」

 別斗はめんどくさそうに返したあと、

「もしかして、パイパイでも見せてくれんのか」

 両手をモミモミ運動させながら、ジャレ子の胸元へ伸ばした。
 ジャレ子のパイパイはでかい。男なら一度は拝みたくなる93のFカップである。そんな逸物が眼前30センチに迫ろうものなら、揉んでみたくなるのが男というものだろう。いままさに、別斗の指先3センチ先にはボインボインと自己主張の強いケシカラン乳房が!

「なにそれ、そんなわけないでしょ」

 そんなわけないのである。

「いくら〈パイパイだけにステ振りした女〉の異名を持つ私でも、そう易々と見せるつもりはないんだからね」
「自分で云うかよ」

 ジャレ子はわざとらしく咳払いすると、

「そんなことより……コレだよコレ~、ゴールデンエクストラキングデメキン!」

 時代劇の印籠のように差し出したるそのスマホ画面、大人気カードゲーム〈茶道バース〉が映されていた。

「な、なんだって。……コンナステキナデカタマキン?」
「ゴールデン・エクストラ・キング・デメキン! SSRの超レアキャラなんだよ~」

 小躍りするジャレ子を前に、別斗はいまいちピンとこない様子で頭を掻いた。

「なんだよ、そのSSRってのは」

 すると、このチャンスを待ってましたとばかりひとりの男子、

「別斗はSSRも知らないのか」

 ジャレ子の背後に立って含蓄を鼻にかけはじめた、帆村(ほんむら)あすく。ため息をつき、入学と同時にワンチャン狙う目的でかけはじめた黒縁のメガネ(伊達)を押しあげた。キャラ作りも大変なのだ。

「知らねえな。教えてくれよ」
「いいかい。SSRというのはスペシャルでスーパーなレアものという意味なんだよ。たとえば、ソーシャルゲームのいわゆるガチャを引いたとして、獲得できる確率が限りなく低い、いわば〈超当たりくじ〉みたいな存在さ」
「驚くなかれ。なんと私はそのSSRキャラであるGEKデメキンを、わずか1万円でゲットしちゃったのでした~」

 冷ややかな視線を送っていた別斗の目が、瞬時に丸くなった。

「1万円だってー? たかがスマホのゲームで1万も払ったのかよ!」
「いまどきそれくらい常識だよ~。むしろ1万で手に入ったなら超お買い得だよ」
「でも、たかがデータだろ。月々のスマホの基本料金より高いんじゃねえの」
「GEKデメキンの価値をまるでわかってないな~。このカードはね、フィールドに出ているクリーチャーをすべて千利休に変えちゃう効果を持ってるんだよ~」
「説明されてもまったく理解できねえんだが。……てか、クリーチャーがすべて千利休に変わったらどうなんだよ」
「セブンスわび茶が発動するんだよ」
「それおもしろくて云ってるか?」

 別斗の指摘に、あすくは両手をひろげてアメリカンなリアクションを見せる。その人をおちょくったような表情に、別斗は殺意の波動を覚えた。

「まあ、別斗には理解できないだろうな。ソシャゲどころか、いまだにガラケー使ってるくらいだし」
「そういえば私も気になってた。別斗ってなんでスマホじゃないの~?」
「ああ、別にたいした理由はねえよ。おれの指が、ちょっとな」
「指がちょっと、なによ」
「うん、おれの指をスマホが拒絶しちまうからな」
「なにそれ、馬鹿みたい」

 ――馬鹿はおまえだ。
 別斗はジャレ子の脳天気なダメ出しにツッコミを入れたくなったが、すんでのところで言葉を飲み込んだ。当のジャレ子とあすくが別斗からふいに視線を無視し、廊下へ向けたのだ。
 ガラス張りの教室からは廊下の様子がうかがえる。そこにはちょっとした人だかりができていて、その中心にはある女生徒の姿があった。

「あれソソミ先輩じゃない?」

 ジャレ子が云うまでもなく、別斗も廊下のただならぬ様子に察しがついた。
 その光景はあたかも資産家の娘に群がる下男、ひとりの女性を囲むサークルのモテないオタクといった具合いの、粘性の高い奇妙なものだったのだ。
 それも致し方ないことなのかもしれない。なにせソソミ先輩こと天堂(てんどう)ソソミは、二年生にしてこの県立御美玉(おみたま)中央高校の生徒会長をつとめるだけでなく、成績も学年トップ、所属するテニス部では全国大会出場、フェミの反対を退け開催された学校非公認ミスコンでグランプリを受賞と、文字通り容姿端麗、才色兼備を地で行く類い希な美少女。極めつけに、家柄はあの世界に轟くエンタメ企業〈ニャンテンドー〉の社長令嬢とくれば、生涯モブキャラであろうその他大勢の冴えない野郎どもがブヒブヒと色めき立つのも想像に難くはないのだ。
 天堂ソソミが颯爽と一年生の廊下を歩いていると、豚どもがモーゼの割れた海を〈仮装大賞〉ばりに己の身で再現しだすのが日常と化していた。テレビ番組なら文化人枠のタレントから特別賞でももらえるのかもしれないが、ごく一般の高校では邪魔者以外の何者でもない。
 そんなクサすぎる海をかき分け、天堂ソソミは別斗たちのもとへやってきた。にわか騒々しくなるクラス。完全に眠気の失せた別斗は〈やれやれ〉とひと息つくと、注目のご令嬢の御前へ、ぶっきらぼうに歩み寄った。

「ソソミ先輩、用があるならおれのほうから行ったのに。先輩がこんなとこまで出張ったら、ほら」

 別斗はソソミの背後を指し示し、うざったそうに頭を掻いた。教室の入口は黒山の人だかりがひと目ソソミを見ようと、電車を出発待ちする鉄オタさながらの喧噪を繰り広げている。

「あら、活気があっていいじゃない。やっぱりわたくしたち若者は明るく元気に過ごしたいものだわ」

 そんな暴徒もなんのその、ソソミは意にも介さず上品に微笑んだ。

「活気があるってか、ただの野次馬っすよ」
「光栄だわ。こんなわたくしを拝顔の栄と讃えてくれるなんて、女冥利に尽きるというものだわ」
「でもあいつら豚っすよ? 社会的になんの価値もないやつらっすよ」
「別斗くん、それは云いすぎだわ。彼らのような方々でも、我がニャンテンドーに就職すれば〈無休サビ残デバック係〉くらいはやってのけてくれるでしょう」
「そいつはいいや」

 わっはっはと笑い合っていると、周囲のざわつきがいっそう顕著なものになった。
 別斗はクラスから落ちこぼれの烙印を押される、典型的なコミュ力のみのダメ陽キャ扱いである。その落ちこぼれが、なにゆえ校内の太陽であるソソミと懇意にしているのか、嫉妬混じりの疑惑を向けられているのだ。
 もっとも、別斗からしてみれば天堂ソソミなる女生徒を女神みたいに神格化し、羨望のまなざしで遠巻きにしているだけの男子たちのほうが、なにかの宗教じみてて馬鹿みたいだと思っていた。同じ高校生同士なのだからお互い自然な距離でつきあえばいいのに、と。

「ソソミ先輩、今日はどういった用件ですか」

 ジャレ子とあすくも別斗の傍に寄り、話に加わった。ソソミは思い出したように〈ええ〉と肯き、

「こないだみんなに話した我がニャンテンドーの新作ゲーム機〈クラシック・ミニファニコン〉の試作品がようやく完成したの」

 そういえばと別斗、

「かつて一世を風靡した〈ファニーコンピューター〉という家庭用ゲーム機の復刻版っすよね」
「そうなの。新作はオリジナルの約二分の一とコンパクトな手のひらサイズ、これにかつての人気ソフト30本を内蔵したマニア垂涎のゲーム機が、いよいよ今夏発売になったのよ」

 これにあすくが〈待ってました!〉と、指パッチンというダサいリアクションで応える。

「人気タイトルともなれば他のゲームソフトと一緒に購入しなくてはならない〈抱き合わせ販売〉だとか、店から出た購入者を狙って不良どもがヒャッハーと奇声をあげながらソフトをカツアゲしたりだとか、いろんな意味で社会現象にまで発展した、あの〈ファニコン〉の復刻版ですね。一度やってみたかったんですよ」
「なんだあすく、おまえやけに詳しいな」
「おじさんから聞いたことがあるんだ。当時の子どもたちはファニコンのやり過ぎで、一度は親にアダプターを隠された経験があるくらいなんだってね」
「そっか~、ファニコンってテレビに線つながなきゃできないんだもんね~」

 ジャレ子があごに人差し指をあてて、アホ面をさらした。

「なに云ってんだよ、ファニコンじゃなくったって据え置き型ゲーム機はいまでもテレビモニターと接続しなきゃなんないぞ」
「そうなんだ~、めんどくさ~い。私、配線とかダルいし。やっぱりいまはスマホだね」
「ほう、せっかくソソミ先輩がくれるっていうミニファニコン、おまえいらないのね」

 そう、別斗たちはニャンテンドーの令嬢から、話題のミニファニコンをいただける約束を交わしていたのだった。持つべきものは権力者である。

「それは別だよ~。ああ楽しみだなあ、ミニファニコン。家庭用ゲーム機なんてはじめてだから、どんなゲームが内蔵されてるのか想像もできないよ~」
「って云っても、最近のスマホゲームと比べちゃダメだぞ。なにせ30年以上前のゲームだからな。あんまり過度な期待するとガッカリするぜ」
「ふ~ん、なによ。別斗だって30年以上前のゲームなんて知らないでしょ」

 ――いや、ウチに初代があるんだよなあ。

「え、なんか云った?」
「……いや、なんでもねえよ」

 ソソミがひとつ咳払いをして話を戻した。

「そのミニファニコンの試作品が、放課後にわたくしの屋敷に届けられることになっているの。だから、みんな今日はわたくしの屋敷へ来ていただけるかしら」
「わかりました。こいつらとお邪魔させていただきます」
「ええ、では生徒会の役員会議が終了したら迎えに行くわね。校門の前に車を用意しておくから」

 フローラルな香りとともに長い髪をたなびかせて、ソソミは教室を去って行った。まだ人だかりで溢れていた廊下が再びざわめいたが、まるで便所の糞みたいにザザーッと勢いよくソソミに追従して、スーッと静かになった。

「生徒会が終わるまで待ってなきゃなんないね~。ああ、こんなことになるならスマホの充電器持ってくりゃよかった~」
「それなら雨瀬さん、ぼくのを使うといいよ」
「ほんと~? 私のスマホってばバッテリー40%くらいあってもプツンって切れちゃうから助かるよ~」
「ぼくなんか常に差しっぱだよ。目覚ましのスヌーズが機能するころにはもう一桁になってる」
「スマホの使いすぎだぜ。それネット中毒ってやつじゃねえか」
「別斗もスマホでゲームすればわかるさ」
「そうだよ~。どーせガラケーで3gpのエロ動画しか観てないくせに」

 ――うるせーなあ。
 別斗は脳内で毒づきながら、生徒会の会議が終わるまで、なにをして時間を潰そうかぼんやりと考えてみた。ケイドロ、ドッヂボール、キックベースボール。まさか、小学生じゃあるまいし。
 ならばいっそ放課後まで寝てしまおうか。
 ――昼寝もパーになったしね。
 相変わらずジャレ子とあすくが邪魔だったが、体育のサッカー中でさえ眠ることができる別斗には、いかなノイズもASMRに脳内変換できる特技が備わっている。そうして自分の机で安眠貪っていれば、しかるべき時間に彼らが叩き起こしてくれるだろう。
 しかしこの後、このミニファニコンを巡って起こる騒動を別斗はまだ知る由もないのだった。
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