3、素直でない男たち

文字数 1,427文字

「私が公安の連中を恐れるような腑抜けに見えるか」
佐伯が声を荒げて世津奈をにらむ。
 警察時代だったら好きな仕事から外されないため引き下がったところだが、民間人になった今は、そんな遠慮は無用だ。

「腑抜けとは思いませんが、公安に対して苦手意識をお持ちだとは思っています」
「苦手意識」とは、角を取って丸めた表現だ。公安畑で失格の烙印を押されて生活安全畑に移ってきた佐伯は、誰よりも公安を恐れている。もっとも、恨みも大きく、恐れつつ一矢報いる機会をうかがっているのだが。
「苦手意識だと? そんなものは、ない! 全く、ない。貴様は早とちりなだけでなく、人を見る目もない。警察を辞めて正解だったな」
佐伯がソファーテーブルを叩き、グラスが揺れ麦茶がこぼれる。相変わらず、分かりすい人間だ。
「これは、失礼しました。ですが、警視正が公安に苦手意識をお持ちでなくても、警視庁生活経済課は公安を恐れています。腑抜けた下部組織をお使いになるのが不安なのでは?」

「貴様、私が警視庁を指導できないダメ官僚だと思っているのか。無礼だ。今の言葉を撤回しろ」
佐伯が顔を真っ赤にする。ますます、分かりやすい。ポーカーフェイスを求められる公安畑を追い出されたのも、無理はない。
 世津奈は佐伯を怒らせることを望んでいるわけではない。だが、佐伯が持ち込んできた仕事のリスクを計るため、仕事の背景をできるだけ明らかにしておきたい。そのためには、佐伯のガードを少し下げさせた方が良いだろう。

「警視正、私は『公安』を恐れています。関わりたくありません。ですが、たとえ公安がらみの案件でも、警視正のご依頼とあれば協力いたします」
 あながち社交辞令でもなく、半分は本気だ。世津奈は尊大な佐伯が嫌いだが、国を背負った顔をした公安の傲慢さは、もっと嫌いだ。佐伯が公安と対立しているなら、佐伯の肩をもっても良い。そんな気分になる。
 世津奈をにらむ佐伯の視線がゆるむ。
「宝生警部補、ここには麦茶しかないのか? 昔の上司が来たのだ。コーヒーくらい淹れろ」
「湯を沸かすところから始めるので、少々お待ちいただきます」
「部屋は散らかし放題、湯も沸かしていない。貴様は、嫁には行けないな」
明らかなセクハラだ。
 だが、世津奈は黙って立ち上がりキッチンに向かう。佐伯が気持ちを鎮めて整理するために、湯が沸いていない事を承知でコーヒーを頼んだことは、分かっている。
 電気ポットに三分の一位まで水を入れ、コンセントにつなぐ。
「コータローにも警視正のお話を聞かせていいですか」
 と佐伯に尋ねる。
「いいぞ、ここからが本題だ。ただ、坊主に余計な事を言わせるな」
 
 世津奈は廊下に出る。コータローが階段そばの壁に背をもたせ、つま先で廊下を蹴っている。ふてくされている時の癖だ。それでも外出しなかったところを見ると、佐伯が持ってきた話に興味津々なのだ。
「コー君、部屋に戻って。これから本題よ」
コータローが横目で世津奈をにらむ。
「宝生さんだけで話つけるんじゃなかったんすか? ボクに用はないっしょ」
「仕事のリスク判断に必要な話よ。聞かなくていいの?」
 答えはない。世津奈はコータローを残して部屋に戻る。
電気ポットがで湯が沸いたのを知らせる音楽が鳴っていた。ドリップコーヒーを淹れ始めると、ドアが開く音がして
「一応聞かせてもらいます」
 とコータローの声がした。

「まったく、素直でない男たちの相手をするのは疲れる」
世津奈は声に出さずにつぶやく。

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