八方美人

文字数 1,347文字

 私は八方美人だとよく言われる。
 けれど、後悔したことはない。私の些細な態度で、周りの人たちが幸せならそれでいいのだ。
「君とはもう付き合えない」
 彼に別れを告げられた時、私は引き留めることなく別れを選んだ。三年半も付き合っていて、そろそろ結婚と思っていた時期だった。
「いいよ。その代わり、ひとつ約束して。私と別れて半年は、誰とも付き合わないで」
 突然の宣告が悔しく、条件をつけてしまった。
「ごめん。実はすでに好きな人がいて……」
 彼は意外な言葉を口にした。そう。好きな人ができたから別れたいんだね。
「わかった。無条件で別れるよ」
 私は八方美人だから引き際を知っているけれど、悔しさのあまり唇を噛んだ。

 *

「へえ。綺麗なマンションだね」
 最近仲良くなった友人が私の部屋を訪れた。彼女の名前は晴美。気さくで人当たりがよく、笑顔が眩しい女性だ。
「うん。いいでしょ。私も気に入っているんだ」
「ほんと、素敵」
 私は2LDKに住んでいる。結婚を視野に半年前に購入したものだ。ちょうど彼とお別れをする直前だった。
「何を飲む?」
「あ、じゃあ、ビールで」
 リビングテーブルの椅子を促し、私たちは対面で座った。缶ビールで乾杯をする。
「労働のあとのビールは最高だね」
 晴美が言った。目の下には隈ができている。
「大変だったね。ポルターガイスト」
 彼女の住む賃貸マンションでは、最近心霊現象が起きていた。そのせいで、晴美は寝不足だった。
「今夜は安心して眠れそうだよ。ここならポルターガイストはなさそうだし」
 晴美は安堵した表情だ。ビールが進む。

 缶を三つ空けたところで、晴美は酔いが回っているようで、饒舌になっていた。
「しかし、こんなイイ女を手放すなんて、元カレは何を考えているんだろうね」
「うん。私もそう思う」
 顔を見合わせて私たちは笑った。私は八方美人だ。話を合わせるのも上手い。
「どんな元カレだったの?」
「えー。それ聞く?」
 ほじくり返されたくない話題でも、私は八方美人なので、卒なく答える。
「うーん。ちょっとチャラいけど、基本的に良い人だったよ。仕事も真面目にやってたし」
「真面目な人は、他に目移りしないで、ちゃんと結婚してくれます」
 晴美が毒を吐く。私は八方美人だから愛想笑いをする。
「そうだよね。うん。でも、別れてよかったよ」
「そうだーそうだー」
 晴美はだいぶ酔ってきたようだ。
「あ、おつまみ、何かまだいる?」
「じゃあ、遠慮なく言うね。何か作ってもらえる?」
 私は八方美人だ。内心「遠慮しろよ」と思っていても、もてなす。
「少し待っていてね」

 二十分後。調理を終えてリビングを見ると、晴美はテーブルに突っ伏して眠りこけていた。
「こんなところで寝ないでー」
 揺すってみたが起きない。深い眠りのようだ。
「移動するよ? 肩に捕まってね」
 私は晴美の肩を持ち、移動する。私は八方美人だ。ポルターガイストに見せかけて脅していた張本人だけれど、素知らぬふりで接することができる。

 ベランダに出た。夜風が気持ちいい。
 私は八方美人だ。元カレの好きだった女相手でも、友人として接することができる。
「お疲れ様」
 私はつぶやくと、晴美を五階のベランダから地上へ落とした。

 私は八方美人だ。警察が来ても、事故を装う演技くらいできる。
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