バスの中の老婆

文字数 759文字

 バスは心地よい揺れで、僕はウトウトと眠りそうになっていた。
「運転手さんや。農協前はまだかい?」
 バスが信号機で止まった際、老婆が聞いた。
「まだですよ。お婆ちゃん。座っていてください」
 バスの運転手は苛立っていた。この状況ならば仕方ないだろう。
 他の五名の乗客も険悪なムードで、老婆を睨みつけていた。余計なことをするなと、訴えていた。
 老婆は納得したかどうかわからないが、バスが動き出すと、席に座った。

 *

「運転手さん。もう農協前は過ぎたのかい?」
 再び老婆が尋ねた。
「まだだって言っているだろ。それどころじゃないんだ!」
 バスの運転手は怒鳴った。老婆は現在の状況も場所も理解していないようだ。
 他の五名の乗客もストレスがピークに達しようとしていた。

 *

「運転手さんや。農協前で停めておくれ」
 またしても老婆は言った。
 これにはバスの運転手は堪忍袋の緒が切れたようで、老婆に対し、
「うるせぇ!」
 と怒鳴った後、彼女の首を絞め始めた。
 僕も他の乗客も呆気に取られていた。老婆は苦悶の表情を浮かべ、やがてピクピクと痙攣し始めた。
 運転手が首から手を放すと、老婆は倒れ、もう動くことはなかった。

 バスは何事もなかったかのように、再び出発した。
 ガタゴトと揺れるバスにいざなわれ、僕はいつしか眠りについていた。

 *

 **

 ***

「刑事さん! こいつです!」
 バスの運転手は僕を指差し、喚いていた。
 僕の眼前には、バスの運転手と二名の警官が立っていた。
「こいつが老婆を殺したんです!」
 彼の指摘に、同乗していた乗客は頷き、嫌悪感の目で僕をみていた。
「こいつが、()()()()()()、バ()()()()()()()()んだ!」
 バスの運転手が声高に叫んだ。
(違う! バスジャックはしたが、老婆は殺していない)
 僕の喉にはナイフが刺さっていた。声が出せない。
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