第6話 時の流れ 後編

文字数 3,223文字


 薔薇色に輝いていた夕空が、いつしか宵のおとずれとともに、謎めいた闇のベールに閉ざされる。二人の秘めごとも覆い隠すかのように、ひっそりと世界を包む。

「……こんなことになって、わたし、もうエリップスのお嫁さんになれないわ」
「そんなことないさ。エリップスは君にベタ惚れだ。大切にしてくれるよ」
「ああ……ひどい人ね。でも、憎めない」

 利口な令嬢は誰かに見つかる前に、衣服の乱れを整えた。鏡台の椅子にすわり、お化粧をなおす。
 彼女が宝石箱に手を伸ばすのを、ソルティレージュは黙ってながめていた。

 それはひじょうに精緻(せいち)な宝石箱だ。(ふた)が二重のステンドグラスでできていて、外から見ると森のなかの白い塔、中から見ると赤毛の馬の装飾になっている。

 あまりにも見事な細工だったので、ソルティレージュはアンフィニにも、こんな豪華な贈りものをあげたいと思った。レールデュタンが乙女でなくなったので、いつものように、一瞬の狂気のような恋の熱が冷めたのだ。

「きれいな箱だね」
「わたしのおばあさまが使っていらしたのよ。長いこと屋根裏部屋にしまいこんであったけど、おばあさまのお道具を整理したときに見つけたの。とても気に入ったから、わたしが使うことにしたわ」
「それがいい。こんなきれいな品物をしまっておくなんて、もったいないことだ」

 これでもう魔物はやってこないはずだが、念のため、ソルティレージュは伯爵家にもう一泊することにした。一角獣の撃退法を試したことを、屋敷のなかの人間に知られてはいけなかったせいもある。嫁入り前の娘のために、そのくらいは自由奔放な略奪者も気をつかってやらねばなるまい。

 だから、その夜もエリップスと二人で、令嬢の眠りの番人となった。

「今夜こそは、ちゃんと守ってあげますからね」

 ライバル心を燃やしているおぼっちゃまが哀れなような、こっけいなような気分で、ソルティレージュは見張りを続ける。

「ねえ、おぼっちゃま。あんた、知ってますか? 一角獣というのは処女の前にしか現れないんだってね。婚約者のあんたなら、結婚前にも令嬢を守ってあげる手段があるんじゃないかな」

 おぼっちゃまは一角の悪魔にそそのかされて、顔を真っ赤にした。

「しかし……そんなことをしたら、伯爵がなんと言うだろう。第一、それは騎士のすることではない」
「そんなことを言って、もし魔物が令嬢をさらっていったらどうするんだ? 私の魔法だって万全なわけじゃない。相手は悪魔だからね」

 おぼっちゃまは考えこんでいる。
 もう充分だろうと思ったので、ソルティレージュは邸内の見まわりに行くと嘘をついて、エリップスだけを令嬢の寝室に残し廊下に出た。

 ぶらぶら暗い城内を歩いていると、誰もいない広間で、急に背後に何者かの気配が立った。強い殺気がこもっていたので、とびすさってふりかえる。たてがみを炎のように逆立てたキプロコが、憤怒(ふんぬ)の形相でにらんでいた。

「きさまのせいで、あの娘は私を見ることができなくなった。きさまを殺す」
「ちょっと待て! おまえ、変だぞ。ほんとに一角獣なのか? 一角なら生娘でなくなった女に、そんなに執着しないはずだ。たとえ、それがどんなに愛した娘でも」
「レールデュタン……ずっといっしょだと、約束した。一生、離さないと言った」

 キプロコは聞く耳持たず、前足で床をかいて、突進してくるかまえだ。

「おいおい。おれは仲間とやりあう気はないぜ?」
「黙れ。殺す」

 長い角を凶器にしてつっこんでくる。
 やむなく、ソルティレージュは網の魔法でキプロコを捕らえた。キプロコはあばれたが、もがくほどに強く体をからめとる魔法の網だ。逃げられないと観念したのか、キプロコの姿はしだいに薄れて消えていった。

「やっぱり、おかしなやつだ。あいつ」

 たしかに外見は一角獣なのだが、どうにも一角らしくない。悩みながら歩きかけたソルティレージュのつまさきに、コツリと何かがあたった。赤い小さなガラスのかけらだ。

「これは、もしかして……」

 思いたったソルティレージュは、大急ぎで令嬢の部屋へ戻った。前ぶれなく入ると、寝台のとばりのなかで、エリップスが令嬢に男の力をふるっていた。

「これでもう大丈夫だよ。君は僕が守ってあげるからね。レールデュタン」
「男らしいあなたも素敵よ」

 これは邪魔しては悪い。
 ソルティレージュは目的のものだけ調べて、そっと令嬢の部屋をあとにした。

 翌日。
 エリップスが得意げに去ったあと、ソルティレージュは令嬢の前に、それをさしだした。

「魔物の正体は、これでしたよ。レールデュタン」

 目の前のものを見て、レールデュタンは驚嘆の声をあげる。

「まあ! これが?」
「ええ」

 ソルティレージュは昨夜、広間でひろったガラスのかけらを、あの美しいステンドグラスの宝石箱のフレームに嵌めこんだ。キプロコの落としものだ。

「でも、これが、どうして?」
「それはね。レールデュタン。こういうことだよ」

 ソルティレージュが宝石箱をあけ、窓辺に置くと、明るい朝日を通して、ステンドグラスが床に色つきの影を落とした。それを見たレールデュタンは再度、驚きの声をもらす。影の形は、一本の角を持つ赤い獣。キプロコの姿そのものだ。

「これを作った細工師の遊び心だね。このステンドグラスは一枚ずつだと別々の絵に見えるが、二枚かさねて光に透かすと、表と裏の絵が一体になるんだ。ほら、こうすると、表の塔が裏の馬のひたいのところにきて、森のなかを駆ける一角獣になるだろう? こいつがキプロコだったのさ」

「知らなかったわ」
「君のおばあさんは知っていたんじゃないかな。もともと、おばあさんの持ちものだったんだろう? きっと、とても愛して、大事にしていたんだろう。大事にされた品物には魂が宿る」

 急にレールデュタンは黙りこんだ。

「どうしたの?」
「わかったわ。キプロコがほんとに好きだったのは、わたしじゃないのよ。彼は勘違いしてたのね。わたし、祖母にそっくりなんですって。それで、みんな、わたしをレールデュタンと呼ぶのよ。レールデュタンは祖母の名前だったの」

 物悲しい顔をして、令嬢は言った。

「かわいそうに。キプロコはあばあさまがとっくに亡くなったことを知らなかったんだわ。いなくなった人をずっと探していたのね。それで瓜二つのわたしを見て、おばあさまだと思ったのよ」

 令嬢の瞳に涙が浮かび、赤い一角獣の影の上にこぼれた。一瞬、キプロコの影が揺れたように見えた。きっと令嬢の思いが届いたのだろう。

「彼も勘違いに気づいたようだ。もう襲ってはこない。あなたはなかなか楽しい婚約者と結婚して、幸せにおなり。キプロコもそれを望んでいるはずだ」

 令嬢は微笑み、その手に宝石箱をとった。

「わたし、この箱、大切にするわ。そして、わたしに娘が生まれたらあげるの。娘が結婚したら、そのまた娘に……それでいいのね?」
「キプロコも喜ぶだろう」

 レールデュタンと別れて、ソルティレージュは森の奥の一軒家へ帰った。アンフィニのいない我が家の、なんと空虚なことか。

(キプロコは人間の娘に恋して、けっきょく、時の流れをつかまえそこなったんだな。彼の思いは変わらなくても、人間は年老いて死んでいく)

 その日はむしょうに一人でいることが耐えられなくて、ソルティレージュは愛しい娘を迎えに北の国へ走りだした。いくつもの国をぬけ、夏でも峰に白雪をかぶる峻嶺(しゅんれい)で、ようやく初雪を見つけた。麗しい雪娘が、清らかな新雪から新しい体で生まれでてくる。

「アンフィニ!」

 ソルティレージュは力のかぎり、少女を抱きしめた。

「君に会いたくて死にそうだった」
「わたしもよ。ソルティレージュ」

 彼女は春になると消えてしまうけど、でも、何度でも生まれ変わって、彼のもとへ帰ってきてくれる。

(君がいてくれて、おれはなんて幸せなんだろう)

 雪降る峰のいただきで、ソルティレージュはいつまでも、愛する娘を抱きしめていた。



 了
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