第6話 時の流れ 前編

文字数 2,546文字



 アンフィニは素晴らしい娘だ。
 だが、ゆいいつ欠点があるとしたら、それは冬のうちしか、いっしょにいられないことだ。雪で作られた雪の精霊だから、しかたないことなのだが、やはり一人で待つあいだはさみしい。

 まだ、アンフィニがいなかったころは、いつも一人で暮らしていて、なんとも思わなかったのに、二人ですごす蜜月を知ってからというもの、一人の生活がわびしくてしょうがない。

 人々はみな、その訪れに心はずませる春を、ソルティレージュは落胆で迎え、消えてしまった恋人を、次の初雪が降るまでのあいだ、首を長くして待っていた。

 春がすぎ、夏も終わり、そろそろ秋もふけて、森の木々が赤く色づく。もうじき帰ってくる恋人を待ちわびるソルティレージュ自身の心のようだ。

 森の奥の彼の魔法屋に、若い女の客が来たのは、そのころのことだ。品のいい良家の娘で、もちろん、絶世の美女であるエメロードの血をわけあたえられて作られたアンフィニにくらべれば、ぜんぜん劣るけれど、まず人間界の娘としては人並み以上の容貌だ。

 愛する人の不在の心のすきまに、するりと処女の匂いが入りこんだ。要するに、浮気性のソルティレージュは、気晴らしにつまみ食いをしたくなったのだ。

「いらっしゃい。お嬢さん。どんなご用件ですか?」

 人間には磨きぬいた銀細工のように見せているひたいの一本角を、こころもち傾けてたずねると、娘は知的なふんいきのおもてに憂いをにじませた。

「あなたに頼めば、どんな難しい願いでも、必ず叶えてくださると聞きました。じつは、わたし、悪い魔物につきまとわれているのです。それで助けていただきたくて……」

「魔物ですか。命にかかわるような危険がありましたか?」
「いいえ。そこまでは。でも、とても怖いのです。魔物はいつでも、わたしを見張っています。今もきっと、どこからか、うかがっているでしょう。わたしの花嫁衣装を、もう三度も引き裂かれてしまいました」

「結婚が決まっているのですか」
「ええ、三月になったら。お父様が腕のいいお針子を何人も使って、それはきれいなドレスを作らせたのに、夜のあいだに魔物が忍びこんで、やぶいてしまいましたのよ。次はおまえの番だというようで、わたし、恐ろしくて……」

「なるほど。魔物に狙われて恐ろしくない娘などいないな。なんとかしてあげたいが、私の力が及ぶかな」

 ソルティレージュ自身が力の強い悪魔だから、たいていの魔物に引けをとることはないのだが、悪魔には悪魔のつきあいがある。もしや自分の知った悪魔なら、やっかいだ。相手の魔物の言いぶんも聞いてからのほうがいいと、ソルティレージュは考えた。

「それで、その魔物は、どんな姿をしているのです?」
「それが、おかしなことに、わたしにしか姿が見えないのです」
「魔法を使えば、そんなこともできますよ。どんな悪魔ですか?」

 娘は急に変な目つきで、ソルティレージュの銀の角を見つめた。ソルティレージュは笑って角をなでる。

「ああ、これね。ただの飾りだよ。うしろの留め金を外せば、とりはずせるんだ。気になるかい?」

 ほんとは外せないけど、悪魔であることは人間には秘密だから、こう言ってごまかす。

「気になるわけではありません。でも、わたしのまわりに現れる魔物も、そんな角を持っているから」

 驚いたのは、ソルティレージュだ。

「ひたいに一本角? それで、もしかしたら馬の姿じゃないですか?」
「ええ、そう。伝説の一角獣みたいですわね」

 みたいですわね、ではない。
 たぶん、そうなのだ。
 ソルティレージュと同種族の仲間ではないか。

(しかし、一角獣には、そんな悪さをするような気性の持ちぬしはいないはずだぞ。一角獣はみんな、とても誇り高いんだ)

 と言って、真剣な顔つきの娘が嘘をついているようには思われない。

「もう少し詳しく教えてください。それは何色の毛並みでしたか? 目や角の色は?」
「毛並みは血のように赤く、目の色はよくわからなかったけど、緑のようでした。角は白です」

「ふうん。角が白か。それなら性質はおとなしいはずなんだがな。一角獣は角の色で気質が決まってくる。角が赤いと血を好み、黒いと邪を好む」
「あら、よくご存じなのね」

「魔法使いだからね。では、まず、その魔物に会ってみないと、説得できるかどうか断言できないな」
「助けてはくださらないの?」

「もちろん、助けるつもりですよ。そのかわり、あなたの大切なものを貰うが」
「わたしに払えるものなら、なんでもお支払いするわ」

「いいね。ならば、今夜からあなたのところに泊めてもらいたい。いつ魔物が現れてもいいように」
「どうか、わたしを守ってください」

 というわけで、ソルティレージュはその日から娘の屋敷へ泊まりこむことになった。娘は伯爵家の令嬢で、レールデュタンと呼ばれていた。

「時の流れか。美しい名だ。ところで、ご令嬢。あなたが魔物を見かけるのは、どの場所です?」
「決まった場所はないのですけど、わたしの寝室がもっとも多いですわね」

「寝室に入ってきて、何かするのですか?」
「わたしのことをじっと見ています」
「なるほど。その魔物は、あなたに何か訴えたいことがある気がしてならない。今晩から、あなたの寝室で見張っていようかな」
「えっ? でも……」
「おやおや。私を信用してもらわないと」
「えっ、ええ……」

 ソルティレージュは自分では知らなかったが、じつは、こんな異名があった。人々は彼のことを国一番の魔法使いと称えるとともに、国一番の女たらしと言っていた。ソルティレージュの魔法にかかった娘は、みんな彼に夢中になってしまうことが、いつからかウワサになっていたのである。

 当然、結婚間近の娘の寝室に、女好きのすこぶるつきの美青年の魔術師を入れることを、令嬢の父伯爵は警戒した。そこで令嬢の寝室には、婚約者のエリップスくんも参上することになった。エリップスくんは、まるまっちい貴族のおぼっちゃまだ。愛嬌はあるけれど、男前とは言えない。

「こういうのが、あなたの好みなんですか? レールデュタン」
「熊さんみたいで可愛いでしょ?」
「ふうむ……」

 令嬢を守るという使命に熱く燃えるエリップスくんと、ささやかな火花を散らしつつ、ソルティレージュは寝室で待機した。
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