第5話 幸福のおまじない 中編

文字数 2,479文字



 翌朝。
 おどろいたのは、ロカイユ王だ。
 まるで生きているように美しい彫像が、いつのまにか、そこにあったのだから。

 女嫌いの王は、身のまわりの世話も小姓にさせて、近ごろは女とつくものは雌犬さえ近づけないほどだったので、最初はそれを本物の女だと思い、悲鳴をあげるほど恐れた。が、よく見れば、それは石の人形。しかも、つぶさに見るにつけ、なんとも優美で艶麗な美女の像だ。この世に二人といないだろうと思われる。

「なんと麗しい像だ。こんなに美しい女を見たことがない。よかろう。そなたを余の寝室へ(はべ)らせよう。そなたならば、余を傷つける残酷な言葉をなげてくることもあるまい」

 孤独な王様は物言わぬ石の女に、すっかり心を許して、毎日、彫像に話しかけるようになった。話しているあいだも、その像は王の言葉に耳をかたむけ、微笑んでくれているかのように生き生きとしていた。しだいに王は本気で彫像の女に心惹かれるようになっていった。

「ああ、優しげな微笑をむけてくれるそなたが、生きた人間だったらなぁ。こんなに嬉しいことはないのに」

 このときをソルティレージュは待っていた。ソルティレージュは森の外れのゴブリンの城へ行くと、ポワーブルが眠っているすきに、エメロードの寝室へすべりこんだ。
 エメロードは侵入者に気づいて目をさました。

「誰かいるの?」
「ああ。私はね、自分の魔法のせいで誰かが不幸になるのは嫌いなんだ。もし、あんたが後悔しているのなら話を聞くが、どうだ?」

 エメロードはこの上なく美しいおもてに、悲しげな(かげ)りを見せる。

「後悔しているわけじゃないの。殿はわたしをとても大切にしてくださる。だけど、このごろ悲しくて。父上も母上も、とっくにお亡くなりになって、兄弟たちもいない。百年は人間にとって長い。わたしのことをおぼえている人は、もう誰もいない。それが悲しいのです。もう一度、人間のなかに帰ってみたい。わたしを愛してくれる家族がほしい」
「ポワーブルが百人ぶん、おまえを愛してくれてると思うがね」
「…………」

 物憂げに黙りこむエメロードを見て、ソルティレージュは嘆息した。

「まあ、あんたのことは、悪魔が二人がかりで、むりやり花嫁にしちまったようなものだから、そう言われれば責任を感じるよ。そんなに人恋しいなら、人間の世界に帰してやろう。ついてくるか?」

 エメロードはうなずいた。
 ソルティレージュは一角獣の本性に戻って、エメロードを背中に乗せ、街までつれていった。夜の闇にまぎれてお城に忍びこむと、王の寝室へ向かった。

「どこへ行くの?」
「あんたは生まれついての王族だから、貧しい暮らしはできないだろう。明日からの生活に困らないようにしといてやるよ。さあ、この寝台で眠るといい」
「ありがとう」

 背中から降ろされたエメロードは、去っていこうとするソルティレージュの首にしがみつき、一角のあるひたいに唇を押しつけた。

「あなたを恨んだことはなかったわ。ほんとよ。わたしの初めての人だもの」
「おれも、あんたのことは特別に好きだったよ。なにしろ、とびきりの味だった」

 ソルティレージュはエメロードを残して立ち去った。エメロードは言われたとおり、豪華な寝台によこたわって朝まで眠った。

 次の朝、ロカイユ王は、またもや驚愕するはめになった。自分のよこに、あれほど恋い焦がれた女が、彫像のときより、さらに何倍も美しくなって、今度は生きた人間として眠っている。彫像のほうは夜中にソルティレージュが持ち去ったので、王には像が人間になったのだとしか思えなかった。

「美しい人。余の願いが叶い、人間になったのだな。そなたを余の妃にしよう」

 女嫌いなんて、すっかり返上して、王は若い男の欲望のまま、美少女を愛した。美少女はすぐにも反応して、王を優しく包みこんだ。王を男として、これ以上ないほど鍛え、さまざまな技巧を教えこんだ。

「ああ、可愛い人。このような醜い余に、あなたの宝玉をなげだしてくれるとは」
「あなたは醜くなどないわ。とても、きれいよ。どうして、そんなふうに思うの?」
「余がきれい? そんなはずはない。余はまったく平凡な、つまらない男だ」

 悪魔のなかでもとくに醜い小鬼を夫にするエメロードには、真実、王は端正なくらいに映った。

「そうね。決して美しすぎるほど美しいとは言わないけど、でも醜くはないわ。あなたの優しい目、わたしは好きよ」
「おお、可愛い人」

 王は身も心もエメロードにメロメロだ。
 だが、エメロードはと言えば、王が洗練された技術を持つにいたっても、どこか物足りなかった。王と同じほど優しくて、王と同じほど愛情深かったけれど、その身に備える剣の見事さだけは、断然、ポワーブルが凌駕(りょうが)していた。人間の男では、とてもじゃないが悪魔の夫にかなわない。それはもう人間と悪魔の違いなので、どうにもしようがないが、夫の剣になじんだエメロードは、夜ごとに物足りなさが募っていった。

 ある夜、どうにも辛抱できなくなって、エメロードは王が眠ったすきに、寝室をぬけだした。

「ごめんなさいね。あなたはどこか殿に似ていて、好きだったけど、あなたじゃダメなの。わたしはもう行くわ」

 それでもまだ人間のなかには、もとの夫ほど素晴らしい男がいるに違いないと信じて、エメロードは新しい夫を探しに夜の街へ出ていった。

 朝になって、ロカイユ王は打ちのめされた。愛しい人がいない。必死になって探しまわった。

 だが、見つけることができない。エメロードによって、すっかり女好きにされてしまった王は、夜の相手にことかいて、毎晩、街へくりだした。

 女たちはみんな、とびきりの技を持つ王に夢中になったが、王にはどの女も味気ない。姿形の美しさが劣るのはしかたないにしても、官能の深さまで、エメロードに匹敵する女はいなかった。魔術によって最上の女の体に作りかえられたエメロードは、特別な仕上がりだったのだ。

「ああ……あの味を今一度、堪能したい。でなければ、余はこのまま気が狂うだろう」

 これには、王を女好きにしてくれと願いでたじいやも、大弱りだった。
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