01-037 始末

文字数 5,910文字

 ◇ ◇ ◇

 ケイイチは、それをただ見ているだけしかできなかった。
 目の前で起こっている事。
 二人が交わす会話の意味。
 何一つ、理解できなかった。
 理解できないまま、ただただ、見ているしかできなかった。
 ナオが構えた銃が、パァンという轟音とともに火を噴く瞬間。
 博士が仰向けに倒れ、博士の胸のあたりに赤いものが広がっていく光景。
 それをケイイチは、ただ、見ていた。

 ケイイチの視界の片隅では、なぜか急に復活したアシスタントAIが、救急救命ドローンを呼べない、ネットワーク接続エラーだ、どうにかしろとメッセージを五月蠅く点滅させている。
 ああ、こんなエラー、見るの初めてだな……と、ケイイチは全くどうでもいい事を考える。
 この世界で、ネットの繋がらない場所なんて、ほぼあり得ない。
 電波が遮断されていたとしても、マイクロマシン達が少しでもいれば、必ずネットも繋がる。
 それに――マイクロマシン達がいれば、人が撃たれるなんていう事は――起こらない。

 なのに――おかしい。
 何もかもがおかしい。
 本当におかしな事が起きている。
 だって――ケイイチは、止めたつもりだった。
 『博士は、狂ってない』
 そう訴えて、ナオが博士を撃つのを止めたつもりだった。
 実際、止まったし、これでナオと博士は和解して、きっと穏やかな結末を迎えるに違いない。
 そう思っていたし、それを実現できた事を、ちょっと誇らしく思っていた。
 思っていたのに――
 なぜか先輩は、改めて銃を構え直し、博士を撃った。

 まったくわけが分からない。
 これは、何だ?
 何なんだ?
 だが――
 眼前の二人のその表情が、目の前で起きたわけのわからない出来事の全てを肯定していた。
 ナオに撃たれるその瞬間も、床に倒れ天を見上げる今も、博士の表情は、不思議なほどに穏やかだった。
 そしてそんな博士を見つめるナオの顔にも、怒りや後悔、憐憫ではなく、感謝と情愛に満ちた、温かい色が浮かんでいる。
 なぜ、二人がそんな表情を浮かべていられるのか。
 ケイイチには全く分からない。

 ただ――一つだけは、分かった。
 ナオは、きっと博士の行動の全てを完全に理解した。
 そして、博士の研究は、きっと、完成した。
 目の前で起きたこれは、きっと博士の研究のその完成のために、必要な死で。
 研究の中身はまるで想像もつかないけれど、博士は確かに今、一人の研究者として、幸福な死を迎えているのだと。

 ナオとケイイチが見守る前で、横たわる博士の胸の動きは次第に弱く小さくなり、やがて――止まった。
 ナオは動かない。
 噛みしめるように、ただじっと博士を見ている。
 その顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。
 しかしその涙に悲しみはない。後悔もない。
 その涙が表すのは、たくさんの感謝と敬意、そして少しばかりの惜別。
 しばし、博士を悼む、静謐な時間が流れる。

 だが、それは長くは続かなかった。
 目の前のこの少女の頭にあるのは、世界で一番早く動く脳だ。
 ケイイチにとって一瞬に感じる時間も、彼女にとっては時に永遠より長い。
 ナオは何かを確かめるように一つ小さく頷くと、拳銃をホルスターにしまった。
 そして袖で涙を拭い、おもむろにケイイチに近づくと、
「助手には面倒かけた」
 そう言いながら、手足に嵌められていた拘束具と、首に巻き付いたギロチン首輪を外した。

「どうして……」
 未だに眼前で起こった事を十分に理解できず、呆然としているケイイチは、かろうじて疑問を口にする。
 だが、ナオは何も答えず、ケイイチの首から外したギロチンを手に、そのまま部屋の片隅――銀色をした柱状の箱がずらりと立ち並ぶエリアに向かった。

「何を……」
 ケイイチの疑問をよそに、ナオはその中の一つの箱の前に立ち、箱の右端に並ぶボタンの一つをぐっと押し込んだ。
 ナオの操作に反応して、箱の一面が横にスライドする。と、箱の中から溢れ出した白い冷気がナオの肌を撫でた。
 そして、その箱の中には――
(……博士?)
 遠巻きに様子を見ていたケイイチは、その光景に少なからず驚かされた。
 箱の中にいるのは、間違いなく博士だった。
 目の前の床に倒れている博士と瓜二つ。違うのは、全裸であることと、凍り付いている事――

「それって……」
「ん」
 ケイイチの声に、ナオが短く肯定を返す。
「その箱全部、ですか……?」
「そ」
 つまり――自身の体を複製して、冷凍保存していた、という事か。
 それが、博士が何度も目の前で亡くなり、そして復活できた理由。
 一人が死んだら次の体を解凍していけば、確かにずっと「復活」し、生き続ける事はできる。

 だが――
「そんな事……」
 できるのだろうか。
 人体を冷凍保存するほうは、コールドスリープの実例がいくらでもある。
 だが、人の体を完全に複製するなんていう話は、聞いた事がない。
 どうやったら実現できるのかも、ケイイチにはまるで想像がつかない。
 それに――これは多分、何かの法やルールに触れる気がする――のだけど、法に明るくないケイイチにはその辺はよくわからない。

「すごいよね」
 ナオが凍り付いた博士の顔を見ながら呟く。
「これ、少なくとも1度は自分の命を賭けないとできない」
「そう……なんですね」
「おじさんはすごい」
 そう言って博士を見つめるナオの目には、尊敬の念が見てとれた。
 方法も何も全く想像のつかないケイイチと違い、彼女は恐らく、この人体複製の方法を正確に理解している。
 命を賭けないとできない、というのもきっと本当なのだろう。
 としたら、自身の命を賭けてまでこんな事をして、博士は一体――

「なんのために……」
 博士がアンドロイド破壊の現場で何度となく言っていた事――アンドロイドを壊すため、というのが本当の狙いではなかった事は分かる。
 博士に拉致され、二人きりで話したあの短い対話で、ナオに関わる何かをしようとしていた事も知っている。
 でも、じゃあ、博士は何をしようとしたのか。
 ナオはなぜ、博士を撃ったのか。
 それ以前にナオはなぜ博士を()()()のか。
 ケイイチにはまるでわからない。

「おじさんは、ボクを人にしようとした」
「人……?」
「三原則は知ってるね?」
「はい」
「おじさんはボクのその制約を外した」
「え……」
「ボクにおじさんを()()()()ことで」
「……!」
 そう言われて、はじめてケイイチは気づいた。
 これまでの、ナオがいる現場での博士の行動が、全てアンドロイド達ではなく、ナオをターゲットに、ナオが博士を殺すように仕組まれていた事だ、と考えるなら――

「もちろん、全く制約がなくなったわけじゃない」
 言いながら、ナオは冷凍された博士の首に、博士が作ったギロチンを取りつけた。
「でも、できる」
 そして、そのギロチンを自らの手で起動し、首を落とした。
 刹那、ナオの顔に、苦悶のような、憐憫のような、複雑な表情が浮かぶ。
 だが、それだけだ。
 これまでに博士の死に直面した時のように、気絶したり、取り乱したりする事はない。

「それって……」
「うん、とんでもない事だね」
 言いながら隣の箱に移り、箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、また一つ首を落とす。
ナオの脳は、心は、暴れ回っている。
 でも、それだけの事。
 それだけの事だ。

「……というかあの、先程から何を……?」
 ナオがあまりに淡々と、さも当然の事のように行うものだから、ツッコむタイミングを失してしまっていたが、凍結しているにせよ、人の首を落とすなんていう行為は――何をどう考えても鬼畜すぎる。
「おじさんはとっくに死んでる。だからきちんと死なせてあげたい」
 ナオは言いながら、また一つ箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、首を落とした。
 小さな女の子――少なくとも見た目は――が、凍り付いた老紳士の首を淡々と切り落としていくその光景は、残虐を通り超してもはやシュールにすら見える。
「二度と復活できないようにする、って事ですか?」
「そ」

 博士はもう死んでいる。
 だから、もう復活できないようにする。
 なるほど、その必要はあるのかもしれない。
 でも――彼女がそれをする必要があるのだろうか。
 しかも、あんな苦しそうにしながら。

 ――いや、それ以前に、やっていい事なのだろうか。
 そこは、警察や警察の超AI達の管轄なのでは――?
 そんなケイイチの疑問が伝わったわけではないのだろうが、
「この事は、ギンさん達にも秘密」
 ナオはそう言った。
「え?」
「いい?」
「……?」
 こんな人殺しめいた事をしてるのを秘密にしておきたいのかな……とケイイチは一瞬考えかける。だが、ナオの言ってる「この事」が、博士によってナオに引き起こされた変化を含め、この研究所内で起こった全ての事を指すのを、少し遅れて理解した。

 電脳、つまり、世の中のAIたちと同じアーキテクチャで作られた脳を持つナオが、博士を殺した。
 そして、今も淡々と命を奪うのに近い行動を行っている。行えてしまっている。
 その事実が持つ重大な意味は――
「助手の可哀想な脳味噌でも理由は分かるよね」
「……はい」

「これが今回の事件で助手が見たこと」
 ナオはそう言って、びっしりと文字の書き込まれた1枚のレポートをAR視野に投げて寄越した。
「え……」
 今、博士の首を落としながら書いたのだろう。さすがの常人離れしたマルチタスクっぷりだ。
 ざっと斜め読むと、そこには博士やナオの行動、ケイイチの発言などが時系列に沿って書き込まれている。
 ただしそれは、ここで実際に起きた事とはまるで違う内容だった。
 ケイイチを助けるため、博士とナオは戦闘状態になり、その戦闘の中でナオは博士を説得。
 凍結された博士の複製体を博士自身の手で破棄させ、博士を捕縛する事に成功したかと思ったところで、一瞬の隙を突かれて、ナオの拳銃を使い博士は自死。
 そんな筋書きが書かれている。
 ――つまり、この通りに口裏を合わせろ、という事か。

「いい?」
 ケイイチはぶんぶんと首を縦に振る。
「今すぐ覚えて」
「今ですか!?」
「証拠残したくない。あと3分で消す」
「えぇ……」
 涙目になるケイイチ。
 だが、僅かに口元がだらしなくほころんでおり、
「先輩と僕だけの秘密……うへへ」
 そんな事を小声で言っている――事についてはひとまず気にせずにおこう。

 気味の悪い笑顔を浮かべてレポートの中身を必死に覚えんとするケイイチを横目に見ながら、ナオは残りの複製体の破壊を続けた。
 時間の止まった博士の肉体。
 これを一つでも残しておけば、おじさんはまた復活できるのだろう。
 復活したおじさんに「あなたの企みは成功した」と告げて、共に生きていく事だってできる――のかもしれない。

 でも――ラクサ・エイジは死んだ。
 社会的にも、法的にも、もう何日も前に死んでいる。
 それに――
 おじさんは願いを叶えるために、少しだけ悪を為した。
 アンドロイドを壊すという事。
 人体の複製。
 自身の目的のために、ボクの頭に電脳を埋め込んだこと。
 それは、些細な悪事だ。ほとんど誰の迷惑にもならない。
 ボクを始めとした、たくさんの人の命を救ってすらいる。

 でも――悪事だ。
 ならばきちんと裁いてあげなくちゃいけない。
 それが多分――おじさんの願い。
 そして、人の願いを叶えるのが、ボクの脳だ。
 だから、この体は壊す。
 二度と復活させるわけにはいかない。
 8体目の博士の首を落とすため、スイッチを押し込む。

 ――と、不意にナオの視界が涙で歪んだ。
 おじさんには、小さな頃から本当に色々とお世話になった。
 電脳を組み込んで、生かしてくれたこと。
 厄介なボクを諦めずに面倒見てくれたこと。
 普通の人と違う事、電脳を持つ事を疎ましく思う度に、おじさんはいつだって「それは素晴らしい事だ」と信じさせてくれた。

 電脳を持つ事で、これまでボクは確かにたくさんの苦労をした。
 でもそれはきっと、ボクの脳が電脳じゃなくったって起こり得た事だ。
 今、このボクの人生があるのは、やはりどうしたっておじさんのお陰だし、この人生を生きる事ができている、それだけできっと十分に尊い。

 だというのにおじさんは――命がけでボクに自由を与えてくれた。
 命がけでボクを「人」にしてくれた。
 そんな事、一言もお願いした事はないのに。
 ――全く、余計なお世話だよ、ほんとに――
 ナオは歪む視界の中で、居並ぶ博士の最後の首を落とすスイッチを押し込んだ。

 ちょうどそのタイミングで、部屋の奥から炎が吹き出すのが見えた。
「さすがおじさん、最後まで仕事が丁寧」
 きっと、最初から仕込んでいたのだろう。
 ナオの手で自身が正しく殺されたなら、この屋敷に火を放つ。
 自らの研究の痕跡や、自らの死体を全て消し去り、悪者としてこの世から消える。
 ナオの手によって人質は無事救出され、ラクサ・エイジという悪は滅びましたとさ。めでたしめでたし。
 そんなシナリオだろうか。

 ――だったら、わざわざこんな事、しなくてもよかったのかな。
 助手に渡したシナリオ、少し書き換えたほうがいいだろうか。
 今まさに切り落とされようとする博士の顔を見つめ、ナオはそんな事を考える。
 でも、ここで首を落とすことをしなければ、確認ができなかった。
 本当に、自分にそれが()()()ようになったのか。
 自身に起きている変化が本物なのか。
 もしかしたら、おじさんはそこまで見越して自分の体を複数残していた――と考えるのは、さすがにちょっと深読みしすぎだろうか。

 ナオの視界の中で、最後の博士の頭が落ちていく。
 それを見届け、心を埋め尽くす強い不快感に耐える。
 これで、終わり。
 終わりだ。
 いや――始まり、なのかもしれない。
 ナオは、スローモーションで落ちる博士の首を記憶回路にしっかりと刻みつけながら、そんな事を考えていた。

 が――
 ナオの視界が、急に明滅し始めた。

 ――ああ。
 今日はさすがに。
 何度も何度も加速して。
 暴れ回る電脳を無理矢理押さえつけてこんな事を繰り返したら、そりゃ――

 ナオは慌ててポケットからキャンディを出して咥えようとする。
 だがそれは、口に運ぶ前に、手からポロリと落ちた。
 急激に視野が狭くなっていく。
 体に力が入らない。

 ああ、ほんと。
 ここしばらく、こんな事ばかりだ。

 ここまでやってボクも死んでしまったとしたら、ちょっと笑えない――が、まあ図体だけはでかいのが近くにいるし、何とかなる――かな。ちょっと不安だ。

 ケイイチが「先輩!」という慌てた声とともに駆け寄ってくる気配を感じながら――ナオの意識はそこでぱたりと途絶えた。
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