01-018 事故

文字数 3,504文字

「それって……」
「おやおや、もしかしてそこのあなたはご存じないのかな?」
 後ろでケイイチが思わず漏らした言葉に、男はすかさず反応した。
「やめて」
「この子の頭にはね、それはそれは醜いものが入っているのですよ」
 ナオの制止は聞かず、男は高らかに告げる。
「電脳などという、醜いものがね!」

「……!?」
 ケイイチは思わずナオの方に目線を向ける。
 ナオは僅かに俯き、何かを堪えるような表情になっている。
 銃を構えるギンジも、何も言わない。
 男の言葉を否定は――しない。
 無言の肯定。
 つまり――先輩の頭には、電脳が入っているという事?
 としたら、先輩は――

「それも壊しておかないとね」
 戸惑うケイイチをよそに、男は残忍な笑みをその表情に浮かべる。
 そして――一同の視界から()()()

「なっ……」
 男を見失い、慌てるギンジ。
 自身の右に感じる風圧、そして視野外に男が移動した事を示すAR表示を見て、ようやく男が背後に移動した事を理解する。
強化外骨格(パワードスーツ)……!?」
その老いた外見からはまるで想像できない速度での移動。
恐らくは機械の力を使った補助(チート)

(……!)
 ギンジが慌てて振り返ると、男はすでにナオに肉薄しており、小さな棒状のデバイスをナオの頭にあてがおうとしていた。
 あれは――数時間前の博士が電脳を壊す時に使ってたやつか?
(やべぇ)
 ギンジは慌てて拳銃を男に向け、引き鉄を引こうと指に力を込める。

 だが、そこでギンジは一瞬、考えてしまった。
 電脳を破壊するというのは、ナオの命に関わる事、でいいのか?
 ナオの生命に関わる話なら、この銃を撃って、最悪この男の命を刈り取るところまで行ってしまってもいい。
 だが、そうでないなら、警察としてやっていいのは無力化までだ。
 ナオの電脳にはバックアップがあり、復旧も――

(俺は何を考えてるんだ)
 そこまで考えて、ギンジは己の思考の誤りに気づく。
(嬢ちゃんはアンドロイドじゃねぇ!)
 ギンジは改めて、引き鉄にかけた指に力を込める。
 だが、その一瞬の思考も、躊躇も、何もかもがあまりに遅すぎた事をギンジは思い知る事となった。

 男が恐ろしい速度で迫ってきたその瞬間、ナオの思考はすでに加速を始めていた。
 加速した思考の世界で、スローモーションで迫り来る男の姿をじっくりと観察する。
 男のおおよそ人間離れした速度。おそらくはコートの下に強化外骨格なり何なりの補助を入れている。

 そして接近しながらその右手でコートのポケットから取り出しているのは、細長い小さなデバイス。
 数時間前、切り離したアンドロイドの電脳を完全に破壊する際に使っていたのと同じものだ。
という事は――その宣言通り、やはり狙いはボクの電脳(あたま)か。

 あれをボクの頭にあてがって、スイッチを入れる。
 そうすれば、ボクの電脳(あたま)は壊れる。
 電脳(あたま)が壊れたら――ボクはどうなるんだろう。
 データはアンドロイド達と同じく、オンライン上にバックアップがある。
 でも――アンドロイド達とは違って、電脳を差し替えてデータ入れ替えてはい終わり、というわけではない。アップデートはできても、リプレースはできない。それがボクの電脳(あたま)だ。
 壊されて、そのまま修理ができなければ――恐らく、人生終了。

 ――どうしたらいい?
 迫り来る男の首には、例の首を切り落とすデバイスが巻き付いているのが見える。
 たとえば――近づいてきた瞬間にボクがあのデバイスの起動ボタンを押せば、男は恐らくあの世行きだ。

 でも、そんな事はボクにはできない。できるわけがない。
 ボクは人を傷つけられない。ましてや命に関わる事なんて。
 幸い、ハルミや、他の警察のアンドロイド達もこちらに移動開始している。ギンさん達もすぐに気づいて銃を向けてくれるだろう。
 であれば、少しだけ時間を稼げれば――

 ナオはその方法を考える。
 逃げる――のは無理。
 思考速度は速める事ができるが、アンドロイド達と違って肉体の動く速度を上げられるわけではない。人間離れした速度で迫るこの男から逃げ切るのは不可能。
力で抵抗するとか、華麗な体裁きで相手を無力化するなんていう事も、武術の心得もなく小さく非力なナオには無理な相談だ。
 舌先三寸で翻弄できそうな相手でもない。
 あり得るとすれば――あの手に持っているデバイス。
 あの電脳破壊デバイスは、ある種のスタンガンのようなものだとレポートにあった。
 磁気も使って破壊を行うため、電脳に対しては破壊的な威力を発揮するが、誤って人体に向けて起動してしまっても生命に危険はなく、やや威力高めのスタンガン程度の効果になる――だったか。

 であれば、この男の手の動きをうまくコントロールして、男に向けてデバイスを起動すれば、一時的に行動不能にするくらいの事なら――できるかもしれない?
 ナオはAIの力も借りて男の行動を細かく計算し、動作の予測を組み立てる。

 スローモーションで男が迫る。
 男はナオに正面から肉薄し、その頭ににデバイスを押し当てようと腕を振り上げる。
 そして、男の手がナオの頭に向かって振り下ろされた瞬間、ナオは体を低くしながらデバイスをかわした。
 男の手が本来押し当てるはずだったナオの頭が無くなった事で、止まらずに下にブレる。
 そのブレた腕の下向きの力を利用して、ナオは男の腕をさらに下に引き下げ、その勢いのままデバイスを男自身の腰のあたりに押し当てさせる。

 そして、ナオはデバイスのスイッチを押し込んだ。
 ミッションコンプリート。
 これで、男の腹部には電流が流れ、男は一時的に動けなくなる――はずだ。
 動けなくさえなれば、その瞬間にハルミや警察のアンドロイド達が動きを封じてくれるだろう。
 多少の怪我はするかもしれないが、医療系の車も近くにある。すぐに治せばいい。

 だが――
(……!?)
 押し込んだデバイスからは、電流の一つも発生しなかった。
 代わりに――
 眼前に迫った博士によく似た男の目が、一瞬笑ったように見えた。
 その直後――その男の顔は、そのまま地面に()()()()()

(まさか……)
 一旦速度を緩めたナオの思考が、再び強烈な速度で回転し始める。
 嫌な――予感。
 何が起こった――?
 その問いを発するまでもなく、ナオの脳は、気づいている。
 ナオのおそろしく高速で、人の命に敏感な脳は、全て理解している。
 首が――
 男の、首が――
 それは、数時間前と同じ事。
 あの、忌々しい首に巻かれたデバイスが、男の首を――切り離した。

 真っ赤に染まる視界。
 あっという間に刈り取られていく眼前の男の生命。
 なぜ?
 男は、ギロチンデバイスの起動スイッチを押してなどいない。
 当然、ナオも。
 なのに、あのデバイスはなぜ起動した?
 ナオが押したのは、電脳破壊のための、細長い、小さなデバイスのボタンで――
 でも、電流は走らなくて――
 代わりに――

 ナオの脳が、ご丁寧にも先ほどの場面をリピート再生してくれる。
 ナオが電脳破壊デバイスのボタンを押し込んだその瞬間と、ギロチンの起動のタイミングは――はっきりと一致。

 そんな、まさか――
 まさか――もしかして――
 あのデバイスは、あのデバイスのスイッチは。
 首を切り落とすデバイスの起動スイッチ――だった?
 でも、あの首切りデバイスに、リモートコントロールの機能は――
 いや――
 リモートコントロールの機能を埋め込むのなんて、簡単なこと。
 ただボクが勝手に、以前と同じだと思い込んでいただけで――

 ――つまり。
 ――つまり、ボクが。
 ――ボクがこの男を。
 この、ラクサ博士によく似た男を――
 ――殺した?
 ……いや、違う。
 違う。
 違う違う!
 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
 これは偶然だ。事故だ。
 あり得ない。
 ボクが、そんな。
 人の命を奪うような事、ボクが。
 できるはずないじゃないか。
 できるはずが――

 ――でも、確かに。
 ボクがスイッチを押して。
 この男は、今まさに死に行かんとしている。
 その命刻一刻と死に近づき、死が――確定しようとしている。
 ボクがその――死を確定させるスイッチを押した。
 そんなバカな。
 あり得ない。
 心が悲鳴を上げる。
 気持ち悪い。
 ごめんなさい。
 気持ち悪い。
 あり得ない。
 ごめんなさい
 気持ち悪い。

 近づいてくるハルミ達。人命救助しようという必死の行動の気配。
 だが、ナオはもう何も考えられなくなっていた。
 不快感。罪悪感。苛立ち。怒り。悲しみ。不安。絶望。暗澹。焦燥感。悔恨。当惑。苦悶……ありとあらゆる不快な感情の波に飲み込まれ――
 ナオは再び意識を失った。
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