ベーシストの話

文字数 1,333文字

世間はベーシストでできてるんじゃないかというぐらい、ベーシストと縁がある。
ライブに行ってもよく目で追ってしまうのはベーシストだし、過去の推しもベーシストがダントツで多い。
勿論全部とは言わないが。

最初に好きになったのはギタリストだった。
ギターの技術はそうでもなかったが、ファンのことを大事にしてくれる人で、毎回ライブの度に直筆でお手紙を書いてくれる優しい人だった。
実はこの人、塾の講師のアルバイトで数学を担当しており、ライブが終わった後に私の宿題を見てくれたりもした。
赤点で追試になったときも「ここはこうやって解くとええんですよー」と言って、ライブハウスの近くのベンチで教科書を開きながら教えてくれた。
この人に出会っていなかったら、私は高校を留年していたかもしれない。
のちにそのバンドは解散し、数学講師のギタリストは故郷の香川県に帰ってしまった。

その後、いくつも他のバンドを好きになるが私が好きになるのは下手側に立ってる人に偏ることが多かった。
上手側のギタリストは比較的派手なフレーズを弾きがちなのに対して、下手側のギターはわりと控えめなところ、さらにその後ろに立つベースはリズム隊としてどっしりバンドを支える職人気質なところが垣間見えて好感が持てる。
いわゆる、目立つ花形よりも一見地味に見えるが実はすごいことをやっている、みたいな人の方が私は気になるのだ。

以前、小説家の人と話す機会があった。
何かのきっかけで音楽の話になって、お互いジャンルは違うがライブハウスに通っていることが判明し、すっかり意気投合した。
「俺ね、学生のときにバンドやってたの」
「そうなんですか?ボーカルさんですか?」
昔から歌詞などを書いていて、それが今の作家活動に繋がっていったのかと思った。
「ぶっぶー!違いまーす」
「え、じゃあ楽器やってたんですか?」
「そう!俺、ベースやってた」
一瞬、心臓が跳ねた。
あぁ、ベーシスト…そうか、なんか好きだなぁって思ったら、そうか…。
知らない間に、私のベーシストアンテナが反応しているのかもしれない。

リラクゼーションのクーポンが今日までだったので、お試しで初めて行くところを予約した。
大きい丸眼鏡をかけた若い細身のお兄さんが出てきて、その人が担当してくれることになった。
施術する前に、問診票を書く。
気になる身体の箇所以外に「喋らない方がいいですか?」の項目があり、どちらでもいいですの方にチェックを入れた。
丸眼鏡兄さんは私の背中を強めに押しながら、いろいろ声をかけてくる。
仕事の話、普段の生活の話、とりとめのない世間話がしばらく続いたが、ふと丸眼鏡兄さんの学生時代の話になった。
「大学生のときに楽器始めまして、バンド活動してたんです」
「へ、へぇー。そうなんですね」
フラグがうっすら立っている。
「最初はギターだったんですけど」
この後の展開は高確率であのフレーズだ。
間違いない。
私はうつ伏せで施術されたまま、ギュッと目を閉じ次の言葉を待った。
「ベースに転向したんです」
思わず目をパッと開く。
やっぱりだ、そんな気はしていた。
丸眼鏡兄さんは、渋谷や下北沢でバンド活動していたらしい。
まさか、こんなところでベーシストに出会うとは。

私の日常生活には頻繁に、ベーシストが現れる。
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