アイスクリーム・青春歌

文字数 1,323文字

 蝉が煩く鳴いて、湿気った空気は土の臭いがする。そんな真夏の日のこと、私の勤務する小さな事務所のラジオから、甲子園の実況が流れて来る。実況の後ろ側で吹奏楽の懸命なメロディーが聞こえてきた。

 その金管楽器の真っすぐな音は、私を思い出の球場へ誘う。汗ばむ湿度とジリジリとした日差しの中で、一生懸命になって楽器に息を吹き込んだあの日。晴れ空の下の甲子園球場は、グリーンの芝も観客席もそして白いユニフォームを纏った選手たちも全てがとても輝かしく、手に持つ金色が跳ね返す太陽の光は、とても眩しい。

 1点のビハインドで迎えた9回裏、ツーアウトで一塁三塁の場面だった。乾いた音が鳴って会場がわっと盛り上がる――それは楽器を吹く私には届かなかったはずの音だったけれど、耳の奥で聞こえた気がした。
 球が手前の守備を抜け、三塁の選手がホームへ走る。懸命に走る彼に追い風を吹かせるように、私達も懸命に楽器を吹いた。しかしボールは後ろに控えた守備の選手に捕まえられて、大きな弧を描いてキャッチャーに戻される。試合終了、アウトだった。

 サイレンが鳴って、終わってしまったという実感が足の下からじわりじわりと上の方へ登ってくる。気が付けば涙が次から次へと落ちていた。
 勝ったチームが校歌を歌っている。グラウンドを見るとうちの野球部の選手達はベンチ前で姿勢正しく整列していた。彼らのじっと上を見据えた姿は、零れ落ちる様々な感情をなんとかその目に留めようとしているようで、私も真似て上を向いた。

 空は青くて眩しかった。

 その後ボロボロ泣きながら皆で帰りの支度を整えたっけ。その時配られたアイスクリームをよく覚えている。それは私達があんまりに泣くものだから、顧問の先生と保護者が差し入れてくれたものだった。

 甘くてしょっぱい、今まで食べた中で一番おいしいアイスクリームだった。

 その後帰る直前に、私達が大型バスに荷物を積み込んでいるところへ野球部が現れた。

「応援、ありがとうございましたー!」

 僅かに震えるしかし芯のある声で彼らは声を張り上げ頭を下げた。再び顔をあげると真っ赤な目を擦って、彼らは校歌を歌いはじめる。
 その重々しくも勇ましい旋律に、吹奏楽部の私達も込み上げる涙に抗いながら、精一杯の声を重ね合わせて彼らを讃えた。
 後で喉が痛くなるくらいに声を張り上げて歌ったっけな――

 ……カン!

 ラジオから乾いた音と、うわーーーっという歓声が聞こえてくる。実況が白熱したかと思えば、サイレンが試合の終了を知らしめた。
 今年も甲子園は青く輝いているようだ。

「おーい、おつかれー」

 取引先から帰ってきた社長が事務所に顔を覗かせた。その片手にはビニール袋がぶら下がっている。

 中にはアイスクリーム。

 配られたそれはあの日と同じ銘柄のもので、蓋を開けると白さが眩しい。
 ラジオからは青春の歌が流れている。それは私の知らない旋律で、外の蝉が懸命に鳴くものだから、よく聞こえなかった。

 アイスクリームをスプーンで掬う。白くて冷たいそれは、口に入れるとなんだか懐かしい味で――

 私の瞳から涙が1粒、零れ落ちた。
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