第5話「末摘花の物狂」
文字数 17,614文字
ほぅ、と息をつきたくなるのは、鼻腔をくすぐる
しゅんしゅん、と石油ストーブの上に置かれたやかんが鳴き始めた。そろそろ湯が沸いてきたのだろう。同じくその音を聞きつけたらしい
「おまたせ。さ、おあがり」
「いつもありがと、藤治郎さん」
手のひらにじんわりと広がっていく熱が心地いい。湯呑をのぞき込むと、水色は緑ではなく、黄色がかった黄緑だった。そっと口をつけて喉を通過させると、緑茶とは違った香りが鼻を抜けていく。
「玄米茶か」
隣に座る
正解、と目をほころばせた藤治郎は、元の位置に正座をして、自分の湯呑を傾けていた。彼の淹れるお茶は、特別においしいわけではないが、妙に舌に馴染むところが魅力だ。
ここは、長谷駅と極楽寺駅の間に位置する骨董屋「わらしや」だ。家業としては廃れてしまって久しいが、かつては陰陽師の一族であった
五ヶ月前も同じ理由でこの店に足を運んでいたが、今日も今日とて、引きこもり大黒柱のお遣いである。今回は何を依頼したのかは知らないが、すでに手渡された、風呂敷に包まれた重箱くらいのものが、お目当ての品らしい。現状、用事は済んでいるのだが、お茶くらい飲んでいきなよ、という言葉に甘えているわけである。
「めっきり寒くなったねえ」
十月後半ともなると朝晩は少しずつ冬の訪れを朝晩に見せ始めている。
「最高気温十五度下回る日も多くなってきたしね。茶が沁みるよ」
「何言ってるんだい、まだまだ若いだろう」
「若かろうとなんだろうと、寒いもんは寒いんだよ藤治郎さん」
そう言って、風夜はもうぬるくなり始めた茶をすする。口の中がさっぱりとしてくると、茶請けが欲しくなってくる。
あー、漬物食べたい。
茶請けに漬物。口に出せば、お前は一体何歳なんだ、と言われそうだが、彼女自身は趣味嗜好に年齢は関係ないと思っている。うまいものはうまいし、苦手なものは苦手。年齢からくるレッテルから逃れられないことは知っているが、そのレッテルに自分の好みを否定される
漬物といえば、若宮大路と小町通に店舗を構えている漬物専門店「
「藤治郎、よかったら食べてくれ。ぬか漬けだ」
以心伝心か?
我に返った風夜は、店主にタッパーを差し出す飛龍の背中に、目をしばたたかせた。
礼を言って蓋を開けた藤治郎は、心底嬉しそうにしている。
「いやあ、飛龍くんのぬか漬けか。これはおいしいだろうねえ」
「最近始めた。味は悪くないはずだ」
「飛龍くんの作るものに間違いはないからねえ。ありがたくいただこうかね」
その言葉に、青年は少し安堵の表情を浮かべた。
煌道家の食卓に出しているため、味に自信はある。しかし、家族以外にもそう言われるのは、やはり嬉しいものなのだ。
「お礼に、もう一杯くらい飲んでいかないかい? この暇な老人に付き合ってくれると嬉しい」
「なら、もう一杯だけ」
了承した飛龍の湯呑に、新しい茶を淹れようと茶筒に手を伸ばすと、出涸らしでいい、と制止が入る。
そんな様子をうしろから見ていた風夜は、空になった湯呑を盆に置いて、店内を見て回ることにした。
いつも品を受け取ると、すぐに帰るか今のように茶を飲むかの二択で、実はしっかりと店の物を見たことがないのだ。骨董品自体にはあまり興味がないが、ひやかすくらいはいいだろう。
「風夜くんはどうだい?」
「俺はもういいです。ごちそうさまでした、藤治郎さん」
「いえいえ。こちらこそ、お粗末だったね」
「
「どうぞどうぞ。店なんだから、お好きなだけ」
風夜が店内を物色し始めると、ぱりぽりという小気味よい音が聞こえてきた。どうやら、ぬか漬けを食べ始めたらしい。やっぱりもう一杯付き合えばよかったか、と思いつつも、棚のものをじっくりと見て回る。
彼女に骨董の目利きはないが、素人なりに楽しむ方法はある。単純に、好みかどうかを見ていけばいい。香炉やティーカップ、アメジストドーム、装いが見事な
そんな時間が十分を過ぎる頃、風夜の目に留まったのは、小さな座布団の上に伏せられた御猪口であった。外側は椿が描かれており、白磁に赤の花弁が実に美しい。そっと手に取って裏返してみると、風夜は目を見張った。その内側は、想像していた白磁ではなく、玉虫色をしていたのだ。
「藤治郎さん、これなんですか」
そう一声問いかけると、談笑をしていた店主のもとへ、御猪口を持っていく。
あぁ、と一言置いた藤治郎は、
「紅猪口?」
「内側の玉虫色をしているのが、今でいう口紅なのさ」
「これが!? え、赤くない」
「紅花から作られた紅を塗って乾燥させると、そんな玉虫色になるんだよ。なんでそんな色になるのか、いまだにわかってないらしいけどね。不思議だろう?」
風夜の手元をのぞき込んだ飛龍も、ほぉ、と目を見張っている。
見れば見るほど、紅という色と結びつかない色をしている。緑色なうえに、金属箔のような光沢。これが紅色になるとは、どうも想像が及ばない。
「水でしごいた紅筆か、濡らした薬指で玉虫色を溶かして使うんだ。江戸時代だと、口紅以外にも頬っぺたや目元に塗っていたそうだよ」
「アイシャドウとか、チークの代わりか。へぇ」
「浮世絵なんかにも残っているけれど、下唇にその紅を厚塗りして玉虫色にする『
なんという美的センス。
開いた口が塞がらない風夜は、その時代のトレンドってあるもんだな、と内心でごちた。
その時代、良質な紅は「
笹紅にするには、一度に御猪口の三分の一程度を塗り重ねなければならない。そのため、笹紅にできるほどの経済力を持っている、もしくはそんなパトロンが存在しているという、遊女や歌舞伎役者のステータス誇示のための化粧だったそうだ。それが流行りとなったが、実際にそんなことができない町娘は、墨を塗った上に紅を重ねて、玉虫色を真似ていたのだと、藤治郎は語る。
「まあ、それも一時の流行りで終わったらしいよ」
「ふぅん」
手元をしげしげと見つめる風夜は、そう生返事をする。そんな彼女に、藤治郎はにこりと笑って、湯呑を傾けた。
「そういえば、唇ということで思い出したけれど、通り魔に気をつけるんだよ」
「あぁ、最近よくニュースでやってる、あの通り魔か」
反応を返したのは飛龍だ。
その通り魔とは、ここ二週間ほど前から、鎌倉を騒がせているもののことだ。
被害者は全員若い女性で、日没後の十八時以降に襲われている。被害者はすでに四名。それだけで同じ犯人とするには無理があるだろうが、特徴的な共通点が二つあるのだ。
ひとつは、唇を噛まれているということ。三人目の被害者は、唇の肉を一部持っていかれていると、ニュースの報道がされていた。
ふたつめは、噛みつかれるという方法で襲われているにも関わらず、犯人の顔を四人ともはっきりと覚えていないらしい。ショック性による記憶障害の線を見て、調べを進めているとのことだが、四名とも覚えていないとなると、信憑性が薄いなどとして、ネットを中心に話題にされている事件だ。
「祓い屋としては、どうなんだい? その事件」
「どうなんだい、と言われても。まぁ、奇妙な事件だとは思います。でも、ニュースの報道だけじゃ、なんとも判断できませんよ。四人全員が覚えてないなんて九十九パーセントありえない、って考えは俺も同じですけど、可能性はゼロじゃない。それに、なんかしらの
どんな箝口令なのかは知りませんが。
「妖怪の
「いや、大いに考えられますし、ぶっちゃけ納得します。でも、だからといって全部俺が引き受ける義理はないんで、理由ができない限り、何もしません」
祓い屋は
時に良心にも似たものがうずいて、自分から首を突っ込むこともままありはするのだが。
「なるほどねえ。煉樹くんの教育かな」
「まぁ、一応あの人だって家長で、俺の師匠ですからね。みっちり叩き込まれてますよ」
素直ではないが、風夜は両親をしっかりと尊敬している。親としてもそうだが、どちらかというと術者としての尊敬の念が強い。うぬぼれもしないが、過小評価もしない風夜からみても、まだまだ雲の上にいるのが、煌道家の当主とその妻だ。
「商売には必要なことだよ。必要とあらば、そういうものは縁が結ばれるものだからね」
「俺としては結ばれなくていい縁ですね、それ」
目をほころばせる藤治郎に、風夜はややげんなりした顔をする。
紅猪口を小さな座布団の上に戻すと、ぼーんぼーん、という古時計の鐘が鳴った。午後四時である。
「もうこんな時間か。飛龍、そろそろ帰ろ」
「帰る前にタイムセールが始まる。それに寄ってから帰るぞ」
「え」
濁点がつきそうな声が漏れた。
「今日は卵が安いんだ。一パックおひとり様百円だからな、お前も来てもらうぞ」
「え、なに珍しく車で来たの、それが理由かよ!」
「当然だろう」
眉一つ動かさない青年に、風夜は小さく了解、と返した。
彼の正体は、その名のとおり立派な白銀龍なのだが、ただのできた主夫なのではないかと、一緒に暮らすようになって十年経った今でも思う。
「ははは。飛龍くんは若いのに、本当にしっかりしてるねえ」
「そんなに若いつもりはないんだが。それはそれとして、長居をした」
「いやいや。ぬか漬けまでいただいちゃって、こちらこそありがとう」
風呂敷を手にした飛龍は、また持ってくる、と言って出入口に向かう。その近くには風夜が待っており、隣に並んだところで、最後の挨拶を口にする。
「それじゃ、お茶ごちそうさまでした! また来まーす」
「はあい。まいどありぃ」
がらがらと少しやかましいガラス戸を閉め、歩道に出る。
車を停めているコインパーキングは、歩いて二、三分のところにあった。
「そういやお前さ」
「なんだ」
「人間で換算すると、歳いくつなのよ?」
素朴な疑問だった。一緒に暮らし始めて十年。残っている写真には、今よりずっと幼い飛龍の姿が写っている。つまり、人間と同じような年のとり方を外見上はしていることになる。
「さぁな」
「いや、自分で若くないって言ってたじゃんよ」
「まぁ、そうだな」
「なら、いくつになるんだよ?」
いつになく食い下がる風夜に、飛龍はちいさくため息を漏らした。
確かに、若くはない。若くはないが、人間の姿で生き始めたのは十年前だ。それより前のことは、年月としてあまり憶えていない。
「想像に任せる。間違いなく、お前たち兄妹よりは上だ」
「濁すなぁ」
しかし、それ以降彼女が、その話題を出すことはなかった。そんなことより、卵を二パック確保できなければ、本日夕飯予定のハヤシオムライスが、ただのハヤシライスに変わってしまう。風夜にとってはそちらのほうが重要だったのである。
二人がわらしやを訪れて、十日が経った。
例の通り魔はいまだに捕まっておらず、それどころか被害者はもう一人増え、警察はパトロール強化と犯人逮捕に尽力しているとのことだ。報道番組やワイドショーでは、典型的な警察批判や、またもや犯人の記憶が五名ともないことに対して、専門家の意見などが流れている。
週半ばの水曜日、時刻は十七時半。
飛龍はすでに暗くなった道で、単車を走らせていた。バイクの型はホンダのクルーザーだ。クルーザーの代名詞といえば、ハーレーダビットソン。そのため、このタイプは「ハーレー」という呼び名で一般的に浸透している。
風夜と行動を共にすることが多い彼は、公共交通機関以外だと車を移動手段にしているが、単身の場合はこうしてバイクを走らせる。
そんな彼は、煉樹から日雇いバイトとして、平塚市まで用を済ませてきた帰りである。
平塚市にある廃屋の
廃屋の四方に煉樹の霊力が宿った
昼下がりに出発し、バイトを終えてからお土産としてシルスマリアの生チョコを物色していたため、やや帰りが遅くなってしまった。夕飯は蓮霞が作ってくれるからと、あまり時間を見ていなかったのもある。
一度路肩にバイクを止め、スマホを確認する。
蓮霞から「夕飯は七時ごろの予定だけれど、まだかかるの?」と連絡が入っていた。それに、あと十五分で着く、なにか買っていくものはあるか、と返信をする。すぐに既読がつき、何もないことと気をつけて帰ってくるように、という答えが返ってきた。了解、と打って、もう一度グリップを握った瞬間。
きゃああああああ!
近くはないが、たしかに彼の耳にはそれが届いていた。反射的に声の方向へ車体を向ける。
やや入り込んだ小道で、街灯がまばらに点いている。人気はない。だが、街灯下で倒れた人影に気づいた飛龍は、手前のほうでバイクを停止させた。フルフェイスヘルメットを取ると、その人影の上に浮かぶものに目を留めた。
「能面…?」
そう、能面なのだ。面をかけている肉体はなく、ただそこに無表情な白い顔が浮かんでいる。
目を見開いたものの、あまり動じている様子のない飛龍が身構える。自身の気が
ああ違う、これでもない、ああ、ああくちおしや。
しっかりと形を成した方天戟を手に、飛龍が一歩踏み出したところで、浮かんでいた能面は、闇に呑まれるように消えていった。
標的をなくした彼は、
舌打ちを一つすると、武器を霧散させて、倒れている女性の上半身を抱き起こす。
セミロングの髪が顔にかかる。それをそっと指で退けると、しっかりとメイクされた相貌のなかで、唇だけがひどい有様になっている。ぶっくりと下唇が腫れ、裂傷もできていた。
風夜の勘があたったか。
そう内心ごちた飛龍は、スマホで
「お前なんでいらない
「繋ぎたくて繋いできたわけじゃない。不可抗力だと言ってるだろう」
「わーってる。わかってるんだけどな! あー、なんであんとき俺自分であんなこと言っちまったんだ! 俺のバカ!」
理由ができない限り、何もしない。
この言葉を発した過去を消したい。そんな気持ちでいっぱいである。
飛龍が発見した女性は、
警察としては、残念ながらこの通り魔事件は、ほぼ迷宮入り確定となってしまった。
代わりにというべきか、こちらは事の次第を知ってしまった以上、風夜に「何もしない」という選択肢は消えた。不可抗力とはいえ、関わってしまった手前、何も手を打たないというのは術者の矜持が許さない。
「
左手首の紫水晶の数珠を鳴らす。彼女の癖の一つだ。
「と言っても、情報が少なすぎるな」
「そーなんだよなぁ…」
気分を切り替えてすぐ、がっくりと肩を落とした。
今回は正式な依頼人がいない。つまり、被害者から情報を得る術がないのだ。
煌道家当主であれば、警察とのコネくらいありそうだが、代わりに何を押し付けられるかわかったもんじゃない。新たな被害者が出ないうちに対処したいところではあるが、それと天秤にかけても、父親に借りを作りたくない気持ちが勝ってしまった。
「とりあえず、情報整理から始めるか」
ダイニングテーブルに向かい合わせで腰かけた二人は、白紙に情報を書き出していく。
「まず、ニュースで報道されてる情報な」
被害者は今日までで六名。飛龍が通報した一件が最新だ。襲われているのはいずれも女性で、年齢層は二十代から四十代と幅広い。発生時刻が日暮れ以降なのは、相手が化け物の
「俺が遭遇したのも含めて、全員が唇に噛みつかれているのも共通している」
「噛みちぎられた人もいるって話だったな。……ったく、むごい」
「……そういえばあの面、何かを探している様子だったな」
今思い出した、とばかりにぽろっと言葉をこぼした飛龍に、風夜は一拍間をおいてから噛みついた。
「お、まえはなんでそういう情報を早く言わないの!」
「今言っただろう」
「そのせりふは親父だけでじゅーぶんなんだよ! ったくもう。で? 探してたって、何を」
「詳しくはわからん。たしか『違う、これでもない』と言っていたから、そう推測しただけだ」
なるほど、とつぶやいて、風夜は『何かを探してる?』と書き出し、丸で囲む。羅列された情報をじっと凝視するが、圧倒的にピースが足りない。
「相手は面にとり憑いた霊か、妖怪か、付喪神から化け物になったやつかのどれかだろうけど、襲ってる条件がわからん!」
うがーっと唸る相棒に、飛龍はそうだな、と同意を返す。唇に指先を当てて黙り込んだ青年は、しばしの沈黙のあと、とつとつと言葉を並べた。
「襲うのは女。唇に執着している。言葉からみるに、それだと思って襲ったが違った」
「わかりそうで全然わからねぇ」
行き詰った。いやな静寂が場に満ちる。
とりあえず夕飯の支度をするか、と飛龍が立ち上がったところで、フレアスカート姿の蓮霞が入ってきた。
「あら、どうしたの二人とも。そんなに深刻な顔して」
「あー…、昨日飛龍が通報した通り魔について、情報整理してたとこ。で、圧倒的情報不足で行き詰った」
「能面だったのよね。どんな特徴があったか、思い出せる?」
風夜の隣に腰かけた蓮霞が問いかけた。
「どしたの母さん、いきなり」
「化けているにしろ、とり憑いているにしろ、物が宿す想いに引きずられるのが
再度腰を下ろした青年は、ふむ、と考え込む姿勢を見せると、そういえば、と口にした。
「女の顔で、目が金色をしていた」
「ということは、鬼の形相ではなかったのね。なら『
「でいがん?」
泥の眼と書いて、でいがん、よ。
「嫉妬に苦しみつつも、その心を抑えようという女の面よ。元々は菩薩や
能面において、金色の眼は「人ではない」ことをあらわす。しかしながらこの面は、まだ人である役柄でも用いられる。人が「
「女っていうのは不思議でね。自分を選ばなかった男より、選ばれた女に嫉妬することが多いのよ」
「じゃあ、自分を捨てて鞍替えされた女が、その相手の女を探してる?」
「断定はもちろんできないけれど、可能性はあるんじゃないかしら。きっと目印になる何かがあって、それで今までの方々は襲われたんでしょう」
「だが、その目印が何なのかはわからんままだな」
一進一退だ。襲われた場所は点々としており、さまよっているとみて間違いないだろう。そうなると、先回りも難しい。目印さえわかれば、囮作戦という使い古された方法が取れなくもないのだが。
「あら。このくらいわかっていれば、あとはなんとかできる腕利きが我が家にはいるじゃない」
にこりと笑った蓮霞に、二人は首をかしげた。
「もうすぐ帰ってくるでしょうから、お願いしてみなさい」
アイボリーのカーテンにベッド。ネイビーのラグマットにローテーブル。オレンジやレモンの断面がプリントされた、もちもちクッション。そして身の丈ほどのでっかいテディベアもいるこの部屋は、煌道家の末っ子、
「もう、何かと思ったよ。いきなり土下座でなだれ込んできて」
「いや、だってお前もそろそろ期末だろ? テスト勉強する時間もらうのは、やっぱ気が引けるんだよ」
帰ってきた妹の部屋に突撃した姉の声は、やや口籠っている。居心地悪そうに視線を逸らす姿に、莉舞はくすりと笑った。
「いいよ、テスト前日とかじゃないし」
「ほんとすまん! 恩に着る莉舞!」
ぱんっと手を合わせて妹を拝んだ風夜は、事の次第を話し始めた。
化け物は、何かを目印に相手の女を探している可能性がある、と話し終えたところで、三回ノックがされる。部屋の主が
「龍にい、どうぞ」
木製のトレーを持った飛龍が入ってくる。各々の専用マグカップがのっていた。
「もうすぐ夕飯にするから、菓子はなしだ」
「えー、ちょっと楽しみにしてたのに。今日のお夕飯なに?」
「豚バラ大根と、じゃがいもの煮っころがし、あとは厚揚げ焼きと温野菜だ。プリンは冷蔵庫」
「やったぁ」
莉舞のご機嫌取りのためのプリンは、うまいこと働いてくれたようである。飛龍の作る蜂蜜プリンは絶品なのだ。
それぞれのマグカップを手に取り、青年が腰を下ろしたところで話を戻した。
「で、その化け物が次どこに出るのか、お前の占いで予測してほしい」
「ちょっと正確に出るか、難しいと思う。情報の半分が憶測だから、山のない方向で山を探すみたいな、矛盾する結果になりかねないんだけど…」
「それは俺も想定済み。でも、勝率は俺より断然高い」
煌道家の
蓮霞があえて夫の名前を出さなかったのは、末娘への課題といったところだろう。
「わかった。やるだけやってみる。成功したらスイーツバイキングね!」
「……りょーかい」
十中八九、彼女は当ててくる。それが煌道莉舞だ。
今月の小遣いの残りを脳内で数えながら、風夜はもう一度頭を下げた。
莉舞が得意とするのは、星読みと呼ばれる占いだ。ホロスコープを使った西洋呪術としてのものが有名だが、彼女の占いは式盤を用いる「
水盆に引いている井戸水を入れ、水晶のさざれ石を沈める。満月の夜ならば、水鏡にそれを映して行う占いもあるが、今回は波紋の形から結果を読み解く「ハイドロマンシー」と呼ばれる方法だ。
夕飯後、莉舞は上弦の三日月が浮かぶ空の下で、水盆の
日も暮れてしっかりとした寒さが肌にしみる。ダイニングでミルクたっぷりのカフェオレを用意していた飛龍は、足音を聞きつけて出入口に視線を送る。
ダイニングテーブルに腰かけて、自分の字が躍る紙とにらめっこをしていた風夜は、待ってました、と言わんばかりの顔だ。
「お姉ちゃん、龍にい。視えたよ!」
にかっという笑顔に安堵すると同時に、風夜の懐に冬到来が確定した。
時刻は二十時。場所は鎌倉市、
浄土宗の寺院であり、鎌倉唯一の尼寺、
鎌倉駅から徒歩十五分ほどでたどり着くここは、次の化け物出没箇所として、二日前莉舞が示した場所だ。
空は薄い雲に覆われ、昇っている月は
「気配はまだないね」
そう口にしたのは悠嘉だ。しっかりとキャメルのピーコートを着込み、きょろきょろとあたりを見回している。
今回悠嘉はフォロー要員だ。泥眼が現れるとしたら、必ずそこに狙う相手がいる。襲われることを未然に阻止し、アフターフォローは兄に丸投げするのだ。具体的には、襲われかけた場合は記憶を混濁させる術を、襲われてしまった場合は警察と救急車の手配をする担当になる。
「あれの気配は希薄だった。だから、今回もその可能性が高い」
「それ、早めに言ってほしかったなぁ」
「今言っただろう」
「そういうのは父さんだけで充分なんだけどなぁ」
線路沿いの一本道を、源氏山のほうへ進んでいく。相変わらず人の気配がないが、三人の中に莉舞の占いが失敗したという考えは浮かんでいない。
「時間帯まで読んでみせたから、かなり気合入ってたんだね、莉舞」
「スイーツバイキング賭けてたからだよ。前から行きたいところがあるって言ってた」
「なるほど。じゃあ、おごってあげなきゃだね、お姉ちゃん」
「やかましい」
はぁ、と風夜はため息をついた。それと同時に、肩をわざとらしく下げて力を抜く。すると肩にかけた
ふぅ、と息をついて数秒後、わずかに感じ取った気配に三人のまとう空気がぴぃんと張り詰める。
曲がり角を左に折れて顔を上げると、かつん、というアスファルトとヒールがぶつかる音がわずかに聞こえた。
ちっ、と舌打ちするのと同時につま先を蹴った。通り過ぎていく家からわずかに漏れる光が、彼女を急かす。もう一つの角を曲がったところで、それはいた。
恐怖で喉が凍り、悲鳴は小さく口からこぼれる母音のみ。後ずさりをしてから腰を抜かしたのか、ヒールが足を離れていた。瞬きを忘れた目は、恐怖の対象を見上げている。
月明りも乏しい夜に、ぼんやりと浮かぶ白い顔。一重からのぞく目は金泥で、口まわりを中心に、べったりと赤黒いものが貼りついている。
それか。それだろう。よこせ、よこせ、よこせ!
耳障りな女の声だ。
力なく座り込んだ女性に襲い掛かろうとする泥眼に、風夜はとっさに
面の両の口端が横に裂け、目と同じ金泥をした歯がぬたりとあらわれる。それが女性の顔に届く寸前で、霊力の刃が間に斬りこむ。残念ながらそれが泥眼に届くことはなく、間一髪のところで回避された。
ああくちおしい。
そう言って夜闇に紛れようとするのを、風夜がもう一発放った刃が防ぐ。一瞬ひるんだような様子を見せた泥眼は、ふらふらと源氏山のほうへと逃げていく。
「兄ちゃん、あとよろしく!」
振り返りもせずにそう言って、逃亡する面を追いかけていく妹に、わかったよ~、と兄は暢気な声色で返した。
「飛龍は、あのじゃじゃ馬をよろしくね」
「わかった。あとは頼んだ」
風夜のうしろ姿はまだ捉えられる位置にいる。それを追っていく飛龍の背中を一瞥した悠嘉は、状況が理解できていない女性の前に膝を折った。
「怖い思いをしましたね。もう大丈夫なので、このあとは何事もなく、まっすぐ家に帰って、忘れてしまってください」
え、と声をこぼした女性が目にしたのは、人差し指と中指を唇に当てて、にっこりと笑う優男の顔だった。
浮遊体というのはなんでこうも速いのか。
短距離前提のスピードで走るのがきつくなってきたころ、場所は源氏山に差し掛かった。家々の合間にできる狭い道を駆け抜けていくと、次第に街灯はなくなり、暗闇があたりを支配する。暗視の術が利いているため、暗さはデメリットにならないが、障害物が多くなると面倒だ。
「待てっつーんだよこの野郎!」
刀印が三日月を描く。面の左耳あたりをかすめた刃は、そのまま空気に溶けていった。観念したのか、くるりと振り返った泥眼は、ぎろりと金泥の目を向けてくる。
なぜ。なぜこのようなことをする。なぜ、なぜ邪魔をする。
「そらこっちのせりふだ。なんでこうも次々と女性を襲ってる? その目的はなんだ」
竹刀袋から刀を取り出して抜刀すると、その切っ先を能面に向ける。霊力の高ぶりで、風夜の灰色の瞳がぎらりと剣呑な光を帯びる。
欲しいだけ。あれはわたしの、わたしのものであるはずだった、あれが。
邪魔するな。あれを、わたしのあれを、返せ、返せ!
にたあ、と口端が横一文字に広がって、金泥の歯をのぞかせる。暗視の利く目は、輪郭を持たないはずの暗がりが、次第に人の形を成していくのを見てしまう。
面倒だな。
竹刀袋を落とし、鞘を左手に、刀を右に構える。ぐっと一瞬握りを強くすれば、風のように流れる霊力が刀身にいきわたっていく。
うしろから追いついた足音が、隣に並ぶ。ちらりと一瞥すれば、見覚えのある方天戟が手の中に納まっていた。
「なんで実体持ってるんだ」
「俺が知るかい」
そう答えたところで、影が伸びてきた。両腕の輪郭を持った影が、暗闇を裂いていく。上に跳躍した二人がそれらを斬り落とすと、本体から離れた影はもとの闇に溶けた。しかし切り口はすぐに輪郭を持ち、先ほどと変わらぬ腕を生み出している。
「やっぱりあの面をやらないとだめか」
「だな。飛龍、援護任した」
「任された」
すかさず伸びてくる影を斬り、時には鞘で殴っていなす。影は腕にとどまらず、ゆらゆら
「ちっ、しゃらくせぇ!」
左下から斜めに斬り上げた斬撃が、大きな
ここは山の入り口で、派手に立ち回れば音が十分に聞こえる位置に住宅もある。昔と違い、まだまだ人が寝静まる時間でもない。あまり長引かせるとただの消耗戦になるうえ、人が寄ってこないとも限らない。
十文字を描いてまとわりつく影を斬り払い、右足で地面を蹴った風夜が一気に距離を詰める。しかし面は怯みもせず、刀を握っている風夜の右肩を大きな棘のような影が襲う。着ていたデニムジャケットと薄手のニットが破け、薄皮一枚が擦りむける。血は流れないものの、紅色の直線が浮き上がった。
「っ、んの!」
怒りといらだちが入り混じる。
さらに向かってくる影を一刀両断し、確実に間合いを詰めた風夜は、影の動きが止まったその一瞬の隙を見逃さなかった。
「てああぁぁ!」
振り上げられた刀が、にたあと口を広げたままの泥眼に届く。
肉とは違う、堅く無機質な手ごたえが、刀身から手の平に伝わる。左下に刃がめり込み、小さくぱき、めき、と崩壊の音が鳴る。そのまま右目の上へ斬りあげると、面はぱきゃ、とわずかな泣き声をあげて、地面へと落ちていく。あっけなく散ったそれは、暗闇の中で白く浮かび上がることはなく、無機質になった顔をさらしている。
輪郭は瞬く間に霧散し、晩秋と初冬の闇と静寂に溶けた。
血振りをしてから納刀すると、援護に回っていた飛龍が歩み寄ってくる。
「大丈夫か」
「……服、やられっちまった。あー最悪」
左手でそこをさすると、擦り傷に指先があたって、思わずびくりと身体がはねた。
「怪我はそこだけか」
「おう」
かろうじて道と呼べるところでの対峙だったのが功を奏した。たまにではあるが、足場が最悪なところでの戦闘は、足場と敵、二重に神経を使う。
「面の実体が残ったまま、か。ということは、やはりなにか憑いていたのか?」
「半々、ってところだろ。口裂けてたし。憑いていた時間が長くて、だいぶ同化が進んでた」
斜め斬りにされた面を見下ろすと、左目のあるほうを手に取る。無機質になってしまった金泥が、一瞬きらりと光る。
くちおしい。ああ、くちおしい。どうして。
すこしだけでいい。ひとさし、どうか。
遠くで泣く女の声だ。
もとは美しかったであろう黒髪は、色艶をなくし、うねりを見せている。はれぼったい一重。頬を伝う涙のあとを辿っていくと、かさついてぼろぼろな唇がある。しかし、それは不自然なほど艶やかな色をしていた。
なぜなぜなぜなぜ。なぜ、わたしではないのです。
あぁ、そういうことか。
流れ込んできた情景にそう納得していると、ぽん、と肩に手が添えられる。慣れ親しんだぬくもりだ。
「視たのか」
疑問ではなく、確認の問いだった。こくりとうなずいた風夜は、紅雪を飛龍に預け、ウエストポーチを開ける。中から風呂敷を取り出すと、両断された泥眼を丁寧に包む。
「どうする気だ」
「供養してやんないと。人の形を持ってるから、一層しっかりやらないとまずい」
苛立ちを見せながら刀を振るっていた時とはえらい違いである。ちなみにこれも母親譲りであることを、彼女はまだ知らない。
竹刀袋に紅雪を入れたところで、風夜のスマホにメッセージが入る。悠嘉だ。
内容は、女性の記憶隠滅は成功、周辺を修祓して、先に帰路についているというものだった。それに、こちらももう帰ると返信して、ウエストポーチに機器をしまう。
「は~…、動いたら腹減った」
「太るぞ」
「コンビニの肉まんくらい食ってもいいだろ」
しかし、そこだけとはいえ、ざっくりと右肩の服が破けている状態を思い出した風夜は、とぼとぼと家路につくのだった。
翌日。
日曜日の十時をまわるころ、わらしやの玄関戸が開いた。
茶をすすりながら朝刊を広げていた藤治郎は、いらっしゃい、という言葉と同時にそちらを見る。人影は三人分。二人は見慣れているが、一人はなかなかに珍しい客人だった。
「おお、今日は珍しい人を連れてるね、風夜くん」
「藤治郎さん、お久しぶりです」
「ご無沙汰してたねえ、莉舞ちゃん」
藤治郎は目をほころばせた。
赤子の頃から知っている少女は、見ないうちに大きくなっていた。姉のほうはこの数年、頻繁にこの店を訪れることもあって、あまり身体の成長を目で感じることはなかったが、久しぶりの客人の姿で流れた年月を思うことになろうとは。
「今日はこんな早くに、どうしたんだい。煉樹くんから連絡は受けてなかったけれど」
「あー、今回は親父のお遣いじゃなくて、自分の買い物で」
「ほお。これまた珍しいね」
訪れることはあっても、品を買うのは彼女の父だ。今まで風夜が自分のためにこの店に来たことはなかったと記憶している。
「うん。藤治郎さん、前に見せてもらった紅猪口、まだありますか?」
「あれかい。それなら、同じところにまだあるよ」
その言葉を聞いて、まっすぐ目当てのもののところへと歩いていく。確かにあの日と変わらず、小さな座布団に伏されたままの御猪口があった。
「その玉虫色がそんなに気に入ったのかい?」
御猪口を手に取って、じっくりと中身を見ている風夜に、店主が問いかける。それに、ちょっと違います、と否定を返した。
「供養に使いたくて」
そう言って、紅猪口を手に藤治郎のほうへと向かう。
「これ、おいくらになりますか」
「そうだねえ。煉樹くんのご贔屓ものっけて、特別価格にしてあげよう。このくらいでどうかな」
電卓で示された数字は、一がひとつと五がひとつ。そのうしろに〇が三つ。
表面の顔は無表情に、しかし内心はうげ、と呻きを上げる。
「…………もう、一声」
「おやおや。うむ…じゃあ、これで」
一がひとつに、〇が四つ。学生の身にはなかなかの金額である。骨董の相場はピンキリだと知ってはいるが、今の風夜にこの紅猪口の価値を正しく見極める目は持ち合わせていなかった。
「……………………………………………………………それで、ください」
財布から一枚紙幣を出すと、それを受け取った藤治郎が、代わりに手書きの領収書を手渡してくる。
しかし経費じゃ落ちない。金の出どころは風夜の
「それにしても、供養ってどういうことだい?」
「これの供養に、使いたくて」
背負っていたリュックから、そっと風呂敷を取り出す。それを広げると、昨日斬った泥眼が姿を現した。
「おや、割れてるし、ずいぶんな有様だが…、なかなか美しい顔の泥眼だね」
「連続通り魔の犯人でした」
老人は声こそあげなかったが、心底驚いた様子で目を見開く。
口まわりの赤黒い汚れを落としてやることはできなかった。能面に使われる塗料は、油や水に弱い。無理に落とせば、塗料もはがしてしまう。
「唇を噛みちぎるくらいのやつなんで、どんなのかと思いましたけど。案の定、化け物でした」
「暗闇でこの顔浮かんでたら、さすがに怖いなぁ」
「いや、俺だって覚悟してたからビビんなかったけど、やっぱ怖かったって」
「私だって水盆で視ちゃったもん!」
ぷす、とむくれる妹に、すまんすまん、と気持ちのこもらない謝罪をする。彼女も謝ってほしいわけではなかったのだろう、対して気にした風もない。
「それで? その紅で、どう弔うんだい」
人数分の茶を淹れていた藤治郎が、三人分の湯呑がのった盆を差し出す。それを受け取った飛龍は、いつもの椅子に腰かけて、先に一口いただく。
「大したことじゃないんですよ。弔いといっても、自己満足なんで」
そう語る風夜の目が、ほんのすこし伏せられる。灰色の瞳が翳った。
人を襲い、今を生きる女性の顔に傷をつけたことに、同情の余地はない。特に、唇を噛みちぎられたひとは、顔以上の傷を心に負っただろう。それでも、風夜にとっては縁のない人なのだ。
金泥の目から、無意識に同調してしまったのが、今回一番の失態だった。そうでなければ、形式的な弔いと修祓で事を終え、わらしやに足を運ぶことなく、横浜のスイーツバイキングに足を向けていたはずだ。
同調しなければ、ここまでの気持ちになることもなかった。
男に捨てられた女だった。
涙に暮れる女がさしていたのは、こぼれた涙で溶かした紅猪口の紅だった。おそらく、夫が別の女に贈るつもりで買った紅だったのだろう。夫に愛される女に成り代わりたいと願いながら、そうはならない現実と、嫉妬の心さえ持つことを許されない世の中が、口惜しくて。
なぜあの面に、その女の情念が宿ったのかまではわからなかった。きっかけは不明だが、蓮霞が言っていたように、物に宿る想いに女の魂が引きずられたのかもしれない。もっとも、もうあの女は、紅を求めることだけに執着してしまっていたようだが。
「端的に言えば、同情しちゃったんですよ。ほんと、だから半人前って言われるんですけどね」
自嘲の笑みが浮かぶ。
拝借した水で右薬指を濡らし、
これくらいか、と指を一瞥してから、泥眼に向き直る。どす黒く汚れた口まわりは、元の色をなくしている。
「死に化粧がこんなんじゃ、死んでも死にきれないだろ」
ぷっくりと盛り上がっている唇の部分に、そっと指を滑らせる。肉体のような柔らかさはない。ただの物であるとわかっても、柔肌をなぞるように丁寧に色づけていく。
やがて黒ずんでいた唇は、ほんの少しだけ血の気を取り戻した。しかしそれは、決して美しいものではない、いびつな色だった。
指についた紅をぬぐった風夜は、しばらくその姿を眺めると、再び丁寧な手つきで風呂敷に包んだ。
「よし、俺の用事は終わり! 飛龍、これ親父によろしく」
包みを差し出すと、了解した、と青年がそれを受け取る。てっきりスイーツバイキングの付き添いかと思っていた莉舞が驚く。
「え、龍にい行かないの?」
「行かん。俺はこれの回収係だ」
「えー…。確かに珍しいとは思ってたんだけどさぁ」
「風夜の財布の温度をこれ以上下げるのは良心が痛むからな。二人で行ってこい」
「いや待て。なんで俺がお前の分までおごる前提で話してんだよ!」
がう、と噛みつく風夜の瞳に、もう翳りは見えない。
ああ、いつもの調子だ、と藤治郎は胸をなでおろし、まだ熱い湯呑を傾けた。
初掲載:カルチェラタン2020年11月号
書 籍:『北鎌倉の
シリーズ表紙
キャラクター原案:
イラスト・編集 :
掲載されている小説は、上記書籍に収録されている「