第11話 流れて眠る『ゴダールの映画史』

文字数 7,455文字


 だらだら映画エッセイ流れ第10弾はゴダールです。
 結構前からTAXiのリクエストを頂いているのだけど、ちょっと切り口が難しい(リュック・ベッソンは監督作品と制作指揮作品で方向性が結構違う)ので保留にしてます。カメラ技法とかで調べたいので図書館いかないと感があるので時間が有るときに進めよう的な。

 さて、単館映画好きの人はジャン=リュック・ゴダールというと、ああゴダールか(↓)という多数の人とゴダール様(↑↑)という少数の人にわかれる両極端な監督なのだけど、そうでなければ誰ソレ美味しいの、な人。

 そもそも書こうと思ってたリュック・ベッソン制作のTAXiは1990年代の映画なのだけど、リュック・ベッソンやレオス・カラックス(ポンヌフの恋人 とかポーラXとか)といった90年代前後に新しい潮流を生み出した監督を『新世代』と呼ぶことがある。

 この新世代の頃からいわゆる最近の『娯楽映画として面白いヨーロッパ映画』というのが続いているのだけど、何故この新世代の監督たちが面白いのか、というのはやっぱりそれ以前の世代のヨーロッパ映画が娯楽性より芸術性を重視してイマイチピンとこない感があるのに対して、フランスらしさと同時に娯楽性も重視しているからではないか? と思う。

 昔のフランス映画の印象って、誤解を恐れずにいうと「眠い」なんだ。そしてその原因はだいたいゴダールじゃないかと思っている(マイナーな監督を含めるともっと眠い監督はいるのだけど)。

 ゴダールが何故眠いのか、これはゴダールの作品が実験的すぎることが理由だと思われるのだけれど、なぜゴダールがこうなってしまったのかはフランス映画の歴史をたどる必要がある。
 ということで今回のエッセイは正直面白くはないのです。ゴメンネ。

 なお今回のタイトルの『ゴダールの映画史』というのはゴダールが撮影した映画をテーマにした映画。そしてフランスの映画史を内容としているのではなく、ゴダール的内面的な映画はこうあれという映画史なので、ちっとも一般的な『映画史』ではないのですこの『ゴダール“の”映画史』。
 でもまあその話は追って。
 (とはいっても自分は8章のうち3,4章しか見てないんだけど)

 多分よっぽどの映画強でなければ意味不明だろう。何故意味不明かは後に譲るけど、そもそもこれは映画じゃなくて恐らく記録で、とても不親切なものだから。

1.ざっくりフランス映画史、一次大戦まで
 問題です! 映画の発祥はどこでしょうか。
 答えです! フランスです!

 1888年にエジソンがキネトスコープっていう動画が見られる映写機を考案したんだけど、これは小さな箱を覗き込んで見る一人用のもの。大勢が一度に同じものを見る、いわゆる映画の発祥はフランスだ。

 リュミエール兄弟がシネマトグラフという映像投影機を発明して『工場の出口』とか『ラ・シオタ駅への列車の到着』という動画を撮って上映した。
 工場から人が出ていくだけとか駅に列車が到着するだけという短い映像だけれど絵が動く。これまでそんなものは存在しなかったなかったからとても画期的だった。

 それでこの、目に見える! わかりやすい! 最新技術! というのは世界に冠たる文化として華々しく開花していく@フランス。
 最初期の映画は風景が多いけれど、次第にストーリーが追加されていく。けれども無声(サイレント)映画の時代、音がなくてもわかりやすい喜劇やクライム映画的なものが流行った。

 それでフランスは映画大国になって映画をバンバン輸出するcivilization的に言えば文化大国プレイをしてたんだけど、第一次大戦が勃発して映画産業は右肩下がりになっていく。
 戦争も映画もお金がかかる。プロパガンダ的なニュース映画とかしか作られなくなる。映画関係者は亡命するわ金がないわで先細りだし、市民はニュース映画に飽き飽き。

 大戦が終わっても厭戦気分が満満ちていて、フランス映画は低迷した。フランス人は鬱ってた。失業者は増えたし映画は税金がバカ高くなって、娯楽的な外国映画の新作がフランスのリバイバルより安くなる始末。
 そんなこんなで戦争は終わったのにでかい映画会社もたくさん潰れた。

 そこで世界の文化の王たる自負のあるフランスはここに芸術を混ぜ始める。アヴァンギャルド、前衛映画だ。フランスはわけのわからない映画への舵を切ったのだ。
 1920年代のフランスはダダイズムとかシュルレアリスムが流行っていて、わけのわからない映画が流行った。画家サルヴァドール=ダリとルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬(1929)』なんかが代表なのかな。

 なお、あらすじ。
 冒頭に女性が剃刀で目玉を真っ二つにされたり、転がった右腕を杖でつついたり手のひらに蟻が群がったり、砂に埋もれて射殺されたりと、脈略のない意味のわからない映像が続く。

 意味がわからない。
 そもそもダリとブニュエルが見た夢をベースに作った映画だからもとより意味不明。ようはフランスでは映画というのは娯楽ではなく表現とか芸術の手法として発展していくのです。

 このアンダルシアの犬は無声映画だけど時代はすでにトーキー映画になりかけていた。役者が喋れる。そうするとセリフとか間合いとかそういった表現が可能になる(なお無声映画は唐突にト書きが画面に入るから映像がぶった切られる。これはこれで漫画みたいで好きなんだけど。)。

 それでフランスは「詩的レアリズム」を始める。長い歴史に裏打ちされた演劇やらなにやらをベースにフランス映画が返り咲こうとした。
 このときに活躍したのがルネ・クレールを始めとした四大巨匠っていう人たちなんだけど、映画の内容はパリで労働者階級が世を儚んだり、犯罪に巻き込まれて不幸になるロマンスとか、そんな雰囲気。『巴里の屋根の下』とか『望郷』とか、そういうちょっと暗いアンニュイ感のあふれる、つまり戦争が終わったのに鬱々とした映画。
 その頃の一番の代表作は第二次大戦中に撮影された『天井桟敷の人々』と言われている、多分。

2.ざっくりフランス映画史、二次大戦以降
 それで第二次大戦でフランスの映画産業は焼け野原になる。
 大戦開始とともに細々と続いてきた映画撮影は中止を余儀なくされるし映画祭もSTOP。ナチスがパリを占領してとうとうパリの映画館は閉鎖された。休戦協定後は再開するんだけど、すでにもう瀕死の状態。

 ナチスの宣伝隊長ゲッペルスはドイツ映画を世界の支柱としたかったわけで、フランス映画は死に体の方が都合がいい。でもフランス映画を残そうと作られたCOICっていう公的機関とコンチネンタル・フィルムっていう映画会社がナチスとせめぎ合って映画産業は細々と続いていた。ナチスがライバルの安価なアメリカ映画の輸入を禁止したのもプラスに働いた。
 結局のところ二次大戦前のフランス映画を半殺しにしていたのはフランス政府のかける高い税金と不況と安い外国映画なのです。

 それで戦後を向かえてヌーベルバーグです(唐突)。新しい波。ざぶん。

 映画が好きなら聞いたことがある単語だと思う。
 ゴダールやトリュフォーを始めとした若者が新しいフランス映画の潮流として台頭するようになった。
 なぜ台頭できたか。
 それはフランス映画を牽引していた四大巨匠がことごとく海外に亡命してユダヤ人の優秀な技師や監督の多くがナチスに捕まりいなくなっていたから。

 つまり大戦を終えてフランス映画の原野は草も生えない焼け原野になっていて、IOCCとかが必死で肥料をまいていた。なにもないところからどうやって草をはやしたのか。その萌芽は第二次大戦前に生まれていた。ちょっと前後する。

 戦前の1936年。シネマテーク・フランセーズというのができた。アンリ・ラングロワという『映画狂』と呼ばれた人が私費を投じて映画フィルムを集め始めたところから話は始まっている。
 失われつつあるフランスの古き良き映画を保存して次世代に伝えることを目的とした施設だ。そこで上映される映画を見に集まり映画批評を繰り広げた映画狂の若者たちが次の世代、ヌーベルバーグの旗印となる。 

 歴史ばっかりじゃつまらないから科学のお話。
 昔のフィルムを残すのは大変だ。戦争や災害で散逸することもある。特に当時はナチスが芸術弾圧を行っていたからその意味でも失われたフィルムは多いだろうけれども、フィルムを最も失わせたのはフィルム自身の特性だろう。

 映画のフィルムは燃えるっていう話を聞いたことがあるかな。昔は映画館がよく火事になったけど、それはフィルムが自然発火するからだ。

 1950年ごろまでのフィルムはナイトレート・フィルムと呼ばれる。これはナイトレートセルロース(ニトロセルロース、硝酸)を表面塗布したフィルムで40度くらいで自然発火する。
 なので夏に日なたに置いておく、衝撃を与える、静電気、もっというと何もしなくとも酸化して燃えだす。密閉空間だと爆発する可能性もある。つまり危険物。というかニトロセルロースは無煙火薬の主成分です。

 だから昔の映画のフィルムっていうのはさ、上映され終わったら後は裁断されて廃棄された。マニキュアの原材料で再利用された(マニキュアはアクリルやニトロセルロース等の合成樹脂を着色したもの)という話もある。
 そんなわけで当時のフィルムの保存はとても大変だった。
 ラングロワはおうちのお風呂にフィルムを保存していたらしい。

 閑話休題。
 それでヌーベルバーグ、それはラングロワのシネマテークから始まる。

 1948年にパリ8区に小さなシネマテークができた(今も12区にあるから行ってみたい)。ここに集まったラングロワと同じ映画狂の若者たちがあの映画はどうのこうの、とかどこがいいとかどこが糞だとか映画評論を始めた。その中のアンドレ・バザンという兄さんが中心に映画漬けの映画狂が「カイエ・デュ・シネマ」っていう雑誌を作り、そこであの映画がどうだこうだと批評を始めた。
 そこでフンス! した若者が巨匠はもういないんなら自分で映画をつくっちゃおうぜ、て始めたのがヌーベルバーグ(雑。

 簡単にいうと詩的リアリスムとか超陰鬱でつまんねえ! 世の中終わりじゃ的な鬱映画のどこが面白いの。戦争なんて終わったんだからさ、これからは世界最高! パリの街は輝きに満ち溢れている! って感じじゃなきゃね! と実験的な映画を撮り始める。
 ゴダールたちはもともと映画関係者でなかったのがこの『実験』という新しい発想にとても向いていた、のだろう。
 なお、カイエ・デュ・シネマ紙自体は現在も続いていて、100号毎に映画監督が編集長になるっていう伝統があって600号目は北野武が編集長だったりする。

3.ざっくりフランス映画史、ヌーベルバーグの試行錯誤
 それでフランス映画っていうのは世界に冠たる新しい価値観を生み出さないといけないっていう呪いの話。
 フランス映画はもとより『芸術』に呪われている。アメリカやイタリアのような『娯楽』映画もいい。けれどもそれを一捻りして確固たる『芸術』にしてこそがフランス映画なのだ! という自負が根底にある。
 だから『実験的』の方向性は多分に『芸術』に向いていた。

 そしてこの新しい監督自身たちが映画批評家っていうのがスタートなのだから、それはもう芸術方向にアクロバットにこじれるわけてすよ。娯楽何それ美味しいの。そんなもんは他所に任せればいいのです。偉い人にしか芸術はわからんのです。

 それでヌーベルバーグ以前の映画はスタジオでカメラを固定して撮影するのがスタンダートだった。そこを映画なんて自由にとっていいんじゃい! とやったのが今回テーマのゴダールの代表作『勝手にしやがれ』なんだけど、これは勝手にしやがって出来上がった作品。
 撮影所じゃなくカメラを担いで街に出て路上で即興。さらにその映像をバラバラにカットしてストーリーテリングを崩壊させた。

 ようするに話の筋がめちゃめちゃなんだこれ。けれどもこの素人くささというかカオス感ていうのが当時のいわゆる『詩的レアリスム』という情緒とストーリーに溢れた映画と全然真逆で、そこが新しい風としてもてはやされた。
 このゴダールの即興性はいろんなとこに派生して、日本でも大島渚をはじめ松竹ヌーベルバーグになったり、脚本からの脱却っていう考えはアメリカン・ニュー・シネマになって俺たちに明日はなかったりした。

 ヌーベルバーグって言われる監督は何人もいるけどゴダールはやっぱ特殊な気がする。勝手に人が考えたり考察したりするのが好きなんだろうなっていう気はする。濃ゆいイメージを並べ立てて後は勝手に想像しろ的なというか。

 トリュフォーも大切な場面でコマ止めたり不安を煽るのに音を消したりとかこれまでの映画界の常識と外れた撮影をしているけれども、内容的には代表作の『大人はわかってくれない』も含めて話がわかりやすい。自語り多いけど。
 トリュフォーはこれまでのレールの敷かれた脚本主義を批判して、その臨場感の盛り上げと世界観とマッチした色彩感覚と構図を重視しているのが特徴の気はする。トリュフォーはゴダールに色彩感覚が敵わないと言っていていたけど、わけのわからない素晴らしい色彩感覚より世界観にマッチして描いているトリュフォーの方が自分は好き。

4.ゴダール眠い
 それでゴダールが眠い話に戻るのだけど。
 日本では1967年から1971年にかけてやたらゴダールが上映された。映画関係者の中に学生運動の関連者でもいたのかな。
 この頃から日本のゴダールの捕捉率は非常に高いのだ。なにせ本国で上映されなくても完成したら日本で上映、という謎の状況に陥っていた。というか表題の『ゴダールの映画史』が映画館で公開されたのも日本だけだ。
 それほど何故か日本人はゴダールが好き。
 以下妄想。

 時は1968年。ゴダールは政治に狂っていた。
 同年フランスでは五月革命が起こりゼネスト主体の学生が労働者とともに蜂起した。同時期に中国では文革の機運が高まり、チェコではプラハの春が起こる。

 ゴダールはソビエトの活動的映画人の名前を借りてジガ・ヴェルトフ集団という名前の映画集団を形成し、同志とともに政治映画を撮影し続けていた。学生に占領された大学に潜入して撮影したり、自動車工場で共産党宣言が朗読されたり、まあそんな感じの作品をたくさん撮っていたので本国では次第に放映されなくなるわけです。

 それでジガ・ヴェルトフ集団自体も重商主義はブルジョワジーってやって商業映画から離れて草の根に潜って、何故か日本でウケた。
 その頃の日本は東大紛争が始まり学生が団結して全共闘を構成したから時代感が共感を生んだのかもしれんと思っている。

 それで日本の映画狂がゴダールの映画についての映画批評を始めてイデオロギーがどうの表現手法がどうのというのを1980年くらいまで喧々諤々繰り広げている間にゴダールは1980年の『勝手に逃げろ』で商業路線に復帰した。

 結局のところゴダール的には政治運動のさなかに自分が撮っているのが現実そのものじゃなくて虚構に過ぎなかったんだ、映画とは正悪問わず単なるイマージュイメージそのものであるという確信を得る。
 ごめん、自分も何を言ってるかわからない。多分ゴダールは何か悟ったんだと思う。
 お疲れさまです。

 それで『ゴダールの映画史』とは何か。
 ようやく戻ってまいりましたよ! 今日の本論に!

 この映画は「映画というものは素晴らしい芸術媒体であり、様々な絵画や映像を映しながら少女に詩を語らせ、様々な音楽や音響とともにでかいフォントとビビッドカラーで様々な言葉の断片を散りばめさせて、つまるところ映画というイマージュ」を映像化した「人生や世界を映し出すイマージュとしての映画」を表現している。
 なんとなく考えたら負けのような、サブリミナル効果があるような。

 うん、何を言っているのかわからない。
 でもそれは仕方がない。これはゴダールのこれまでの映画観を総まとめした作品で、そのためにはフランスの映画業界から何故ゴダールがそのような考えに至ったのかと『映画史』に矢継ぎ早に現れる作品群がどのようなイメージを想定されているかというのがさっぱりわからないと理解のしようがない気がする。この切り刻まれてる感じはゴダールっぽくはあるのだけど。

 正直わからん。わし、フランス人ちゃうし。
 だから考えるのを放棄する。
 つまるところ眠くなる。
 スヤァ。

 そんな芸術に無理解な自分にとっては意味があるようなないようなよくわからない映像や音がずーっと流れるのが『映画史』です。
 そしてフランス映画史を知らないとピンとこなさそうなわけのわからないゴダールが何故日本でウケ続けているのか。

 色々ネットを漁った中で最も納得深かったのが、ゴダールのイマージュを意味内容と切り離して、唯きれいな映像や鮮烈なイメージとして受容したのではないかというもの。ゴダールは映像はきれいなんですよ、でも意味がわからないから眠くなる。でもきれいな映像っていうのが当時のサブカルチャー文化と合致したのではないか。

 だから今で言うBGMとかフィーリングというものとして消費したからこそゴダールがウケ続けているのではないかという。
 ゴダールは「僕の映画の全てを理解したわけじゃないなどと口にする人がいる。でも僕の映画には理解すべきことはなにもない。耳を傾けさえすれば、そして受け入れさえすればいいんだ」と語ったそうだけど、日本の観客は耳を傾けてそのまま流して受け入れてないんじゃないかな、という気がした。

 文化背景が断絶している大部分の日本人にとって、ゴダールはきれいな映像だねーとバッググラウンドに眺めるもので、真面目に真正面から見る分には、やっぱり『よくわからない』『眠い』ものなんじゃないだろうか。
 眠くならない見方を教えてほしい。

 というわけのわからない小難しい話で〆てみる。つまらなくてすみません。次こそは「リュック・ベッソン」とは思っているのだけど、なかなか映像技術的なものは陳腐化しやすいのもあって難しいなと思っていてすみません。当エッセイは常にリクエストを募集しております(見てなければリクエストに添えないすみません。)。
 See You Again★
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