文字数 3,536文字

 登霧市には古くから霊験(れいげん)あらたかな神の授かりものが各地にちらばっているという伝説がある。
 西は海、東は山と、閉塞的な土地柄もあり、市民の信仰心も比較的高い。市は四つの地域に分けられており、そのうちの南側に位置する篠宮という地は高台にある。
 トギリ不動産の折尾が語る怪談をボイスレコーダーで録音した歩は、機械をテーブルに置いて桂馬に聞かせた。
「聞いただけでは、よくある怪談だな。もともと曰くがある場所に建物ができた。そこで死んだ人間の怨念(おんねん)がその地に縛られ、夜な夜な化けて出る。そういう系」
 桂馬は畳に寝転がったまま言った。歩はその近くまで椅子を引きずってきて、ちょこんと座って話を聞いている。
「桂馬くん、死霊って本当にいるのかしら」
 歩が言う。すると、桂馬は不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「そんなものがいたら、この世の不思議は全部、非科学的な現象として片付けられちまう。お前、死んだあともその場にい続けて、他人を殺そうと思うか? 霊になったからといって謎の超常的パワーが備わると思うか?」
 桂馬は早口に言った。これに歩はきっぱり笑顔で答える。
「思いませんね」
「だろ? すべての事象には必ず理由があるんだ。その不思議現象やら怪談とやらも大元の事件があった。そこで人が相次いで死んだという結果が残った」
 寝転がったまま足を組んで毅然と言い放つ。そんな桂馬をじっと見やる歩は、動きにくそうなワンピースの上で静かにお茶を飲んだ。一方、桂馬は天井を見上げて黙々と考察する。沈黙を破ったのは歩だった。
「――ちなみに、桂馬くん。こういった怪談は超常現象ではないのならどうして不審な死を遂げる結果になってしまうのでしょう?」
 出てきたのは素朴な疑問。これに、桂馬は「ハッ」と鼻で笑った。
「不審死というのは、原因がわからないからそう処理される。そこに超常めいた憶測を当てはめることによって怪奇となる。恐怖というのは、つまるところ『得体のしれない何か』のことを指す。見えないから怖い、わからないから怖い、そういったものが人間の脳にあらぬフィクションを描くんだ。要は精神的な問題だ」
 桂馬はスラスラと当然のように言った。これに歩は「なるほど!」と手を打つ。
「さすが、事件の度に命を狙われるかもしれないと怯えてるビビリな桂馬くんらしい見解。実感がこもってますね」
「うるせーな」
 歩の冷やかしをあしらい、桂馬は「ふむ」と唸る。
「偶然の不幸が重なると恐怖を抱くものだ。まず、この事件が迷宮入りした理由としては被害者が全員、共通点も面識もないことだろうな」
 彼の中では怪談が事件へと置き換わっている。これに歩は言及せず、にこやかに「ふむふむ」と頷いて聞く。桂馬は何かを欲するように手を差し出した。心得たように、歩がハンドバッグからメモ帳とペンを出す。
 桂馬は紙の端から順に丸印を五つ描いた。その丸に番号をつけていく。
「まず、死んだ人間について考えよう。集中したのは昭和四十二年と四十三年の『しのみや荘』時代だ。二件目からは二人が同時に死んでいる。これがもし、連続殺人と考えるなら犯人は相当のシリアルキラーだよな」
 桂馬は苦々しく言った。
「シリアルキラーが起こした無差別殺人事件とするなら、平成七年に起きた『メゾン4』事件もそいつが犯人か。初犯当時が二十代と仮定して、平成七年当時では四十代後半といったところ。二十年余りのブランクがある。体力もまぁ残っているだろうな」
「現在は七十代ってところでしょうか? 現役の可能性はありますね。定年を過ぎたお年頃ですし、暇を持て余していたりして。くふふっ」
 歩の言葉には冷やかしが含んであり、桂馬の青い顔がますますどんよりと曇る。彼の頭ではおそらくシリアルキラー像が浮かんでおり、わずかに身震いした。
「そ、そんなシリアルキラーが二十余年の時を経て殺人を犯す動機はなんだ? 被害者にはどこかしら共通点があり、犯人の逆鱗に触れたせいで殺されたと考える方が自然だろ。それに、ここまでくると容疑者は絞られるはず。しかし、事件は今日まで未解決。ということは」
「ということは、犯人はいない?」
 歩が言葉をすくい取り、桂馬は同意するようにペンを天井に突き上げた。
「もしくは、犯人がそれぞれ違う。もしくは、全員が偶然の事故で死んだ」
 言いつつ、桂馬は紙に走り書きした。「他殺」と「事故死」を六つの丸の下に置いて、ペン先で叩く。
「死霊の仕業という線は?」
 歩が思考を掻い潜るように訊く。しかし、その言い方もどこか嘲笑的であり、桂馬も鼻で笑い飛ばした。ボサボサの眉毛を歪めながら。
「ないな。でもまぁ本来なら、被害者を徹底的に洗い出したいところ……うーん」
 言葉が尻すぼみになっていく。
 しばらくの沈黙後、桂馬は歩をちらりと見た。
「歩、当時の新聞をくれ」
「はい、ここに」
 歩はハンドバッグから、小さく折りたたんだ新聞記事をテーブルに置いた。準備がいい。桂馬はさっそく新聞記事を開いた。どうやら記事だけを切り抜いたものだった。
「昭和四十二年の最初の事件から、平成七年までの記事をピックアップしました」
 あらかじめ端的に説明をし、歩は優雅にレモンティーを飲む。そして、うっとりと美味しそうに「ぱぁ」と息を吐いた。

【昭和四十二年五月三日。『密室に謎の遺体。仁月(ひとづき)大生死亡』
()しくも身捨場跡地に建つしのみや荘より、仁月大学に通う男子生徒が死亡しているのが確認された。遺体は損傷が激しく、警察は事件の全容を調べている。学生はしのみや荘の住人であり、隣人や大家とのトラブルもなく勉学に励む秀才だった。友人の多くは被害者のことを慕い、国家への抗議運動も盛んに行っていた。いずれも、警察の解析を待つのみである。】

【昭和四十二年十二月二十九日。『またも〝しのみや荘〟で不審死か』
篠宮町内しのみや荘より、男女二名の遺体が発見された。遺体は損傷が激しく、警察は事件の全容を調べている。被害者の男性と女性は先月ほどこの登霧市へ越してきたばかりという。いずれも二十代であり男性は製鉄所に勤務、女性はスナックに勤務していた。隣人からの通報により事件が発覚。しのみや荘と言えば、五月に同室で男子学生が死亡したが、ここにどんな因果関係があるのだろうか。】

【昭和四十三年八月十八日。『しのみや荘、母子の遺体見つかる』
篠宮町内しのみや荘一〇二号室にて母とみられる女性一人とその子供とみられる男児一人の遺体が確認された。第一発見者は上階に住む女性。母子と住人によるトラブルはないが、母子の家計が乏しかった面を鑑み警察は無理心中の可能性を示唆している。だが、この一〇二号室だけで五人もの死者が相次いでいる。近隣住民はここを〝魔窟〟だと言うが果たして真相はいかに。】

 この記事の後には、しのみや荘全体と一〇二号室の間取りが記載されていた。
 トギリ不動産の折尾が言っていた通り、横長の長屋風、二階建て。部屋を三つに区切ったような造りで、一〇一号室と一〇二号室の間には共同トイレがあった。また、しのみや荘の裏手側、ちょうど一〇二号室の外には給湯用の水性ガスが設置されている。
 桂馬は黙々と新聞に目を通した。その間、歩もおとなしく椅子に座って茶を堪能していた。

【平成7年四月一日。『アパートで女性遺体』
登霧市篠宮町内アパートで女性の遺体が発見された。死亡したのは、四月一日付で市内の篠宮病院へ勤務予定だった看護婦、河野瞳さん。勤務先の病院から通報があり、本日十時ごろに死亡が確認された。部屋はダンボールが積んであり、引っ越しを終えたばかりだった。キッチンで倒れているところを発見された。警察が詳しい状況を調べている。】

 すべてを読み終え、桂馬は新聞をテーブルに放った。ココナッツクッキーをサクサク食べ、思案に暮れる。
「最後にしてはあっさりとした記事だな。まぁ、それもそうか」
「河野さんは篠宮病院に勤務予定だったみたいですね……やっぱり篠宮病院は関係があるのかしら」
「ないとは言えんが、あるとも言えんだろうな」
「というと?」
 歩の問いに、桂馬は気だるそうにもごもご言った。
「村雨さんが言ってたろ。この事件は明治まで遡れると。つまり、当時の病院患者が自殺していたのは本当で、近隣住民の噂が根強く残ってしまっているんだ。そうして憶測や不安から怪談が生まれる」
 桂馬はニヤリと笑い、唇についたココナッツを舐めた。
「――この家を死霊部屋にしたやつは、一体誰なんだろうな?」
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