文字数 2,075文字

「いらっしゃいませ。私、トギリ不動産の折尾と申します。本日、お客様の担当をさせていただきます」
 定型文のような挨拶に迎えられ、野暮ったい丸メガネの幸薄そうにひょろい男がカウンターに座った。折尾はカウンターに設置された端末を扱いながら、にこやかな接客をする。
「本日はどのような物件をお探しですか?」
 訊くと、客は喋り慣れていないようにつっかえながら言った。
 駅チカで――1Kで――家賃が安いところで――すぐに入居ができる――
「ざっと数十件ほどありますね」
 折尾はいくつかピックアップしたものを印刷した。紙に出した物件の写真と間取り、条件を差し出せば客は眉間にしわを寄せ、苦笑いした。そして、ジャンパーのポケットから四角に折りたたんだコピー用紙を出す。
「あの、この物件って、こちらで取り扱ってるんですよね?」
 そう言って出したのは、事前にプリントアウトした物件紹介のページだった。「メゾン4」というアパートで、部屋番号は102。1K、風呂トイレ別、収納スペースもあり。家賃、八千円。この部屋だけ異常に安い。
「お客様……あの、こちらは……」
 今度は折尾が苦笑を浮かべた。
「確かに、こちらはうちが取り扱ってますが……オススメはできませんよ」
「知ってますよ。事故物件なんですよね」
 客はあっけらかんと言った。さきほどまでの腰の低さはどこへやら。
 折尾はあたりを見回し、密談をするように首の角度を落として、ひっそりと話をした。
「この『メゾン4』の102号室は昔から、嫌な噂があるんです」
 家というのは、あらゆる人間の人生が染み付いている。この102号室も例外ではない。
 昭和四十二年、この建物は「しのみや荘」だった。二階建て、長屋風の造りで一部屋六帖。トイレと水道は共同で風呂なし。山を切り開いた地にあり、建物の南側、つまり窓側は(がけ)だった。この崖の上には明治時代から続く篠宮(しのみや)病院がある。
 この年に、とある男子大学生が102号室に越してきた。当時の家賃は二千円。102号室だけ当時から安かったわけだが、その原因は心霊めいたものではなく、日当たりの悪さとトイレ横という悪条件が関係していた。
 この男子学生は引っ越して一ヶ月後、不審死体として見つかった。喉には掻きむしったような赤い切り傷があり、また遺体の損傷が激しく、全身土まみれだったという。部屋は鍵がなく、誰でも出入り自由な状態だった。
 次は若い男女が越してきた。元々が二千円だった部屋が千円に落ちたことから、借り手はすぐに飛びつく。しかし、この男女二名とも男子学生と同じ状態で発見された。
 翌年、昭和四十三年。102号室に母親と小学生の子供の親子が越してきた。しかし、この親子も同じく不審死を遂げる。いよいよ「しのみや荘」は借り手がつかなくなり、昭和六十年に取り壊しが決まった。
 そして、近隣にある噂が横行した。しのみや荘は、自殺した人間が行き着く場所であると。
 というのも、このしのみや荘は病院の真下に位置する。自然豊かな連峰を望む見晴らしのいい場所にあるが、反対に病魔に苦しむ人々がこの高台から身を投げることもあった。どうやら、この篠宮病院の院長は高慢ちきなヤブ医者だったが故、患者から金をむしり取るだけ取って治療はほぼ手つかずだったようだが、その真偽は定かではない。
 患者が身を投げる場所はどうやら同じ場所だったようで、次第に〝身捨場(みすてば)〟と揶揄されるようになった。そうして長らく放置されていたその土地に昭和四十二年に買い手がつき「しのみや荘」が建設された。
 一連の怪死は心霊現象ではないか――なんてオチは世間じゃ注目の的となるが、地主や売り手としては面白くない。平成五年に「メゾン4」として新築する際には厳粛に地鎮祭(じちんさい)を執り行った。
「――でも結局、この土地に何があるのかは誰も分からないんですよね」
 折尾は一区切りつけるように茶を飲んだ。客の彼もまた湯呑に口をつける。ごくり、と互いの喉が鳴った。
「やっぱり、まだ悪いことは起きているんですか?」
 その問いに、折尾は口の端を伸ばした。
「えぇ。『メゾン4』は『しのみや荘』時代の名残もあって、二階建ての東向きに設計されました。ただし、部屋は1K、風呂トイレ付きということで以前より部屋数を減らし、元102号室だった場所を管理人室にしたそうで……でも、この翌年に管理人が失踪しましてね。次の管理人も、その次も同じで。長く続かないので、結局、管理人室も入居可の部屋に変えたんです」
 102号室の復活は、ひっそりとしたものだった。しかし、この時点では事故物件ではない。管理会社は別室と同値で売り出すことにした。
 しかし、平成七年。事件が起きてしまう。越してきたばかりの女性があの不審死を遂げた。
 世間から忘れ去られた怪死が再び起きてしまい、たちまち事故物件と化した「メゾン4の102号室」。安いからと借り手はすぐにつくものの、逃げ出す人があとを絶たない――
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