文字数 3,813文字

 ウィンチェスターハウスを幽霊屋敷にしたのは誰だろうか。
 三十八年もの間、絶えず増改築を繰り返したその屋敷には幽霊が出るらしい。そもそも、この屋敷は主人である老婦人が、霊媒師(れいばいし)より「あなたは死霊に呪われている」と告げられ、その死霊から逃れるために建てたという。そして、増改築を繰り返すことで死霊(しりょう)の手を逃れられるのだと妄執していた。
 これだけ聞いても狂気的で恐ろしいものだが、屋敷の造りがもっとも不気味な要素と言えよう。扉を開ければ壁だったり、人が通れないほどの廊下だったり、部屋の中に部屋があったり異質そのものだ。そうして今日まで、多くの映画や小説のモデルとなり、呪われた幽霊屋敷として噂が波紋を呼んでいるが……
 さて、この家を幽霊屋敷にしたのは老婦人か霊媒師か、それとも民衆か。いずれも、この屋敷は部屋の増築が止められてもなお逸話の増築が止まらない。

 事件はいつも内側で起きている。(ことわり)を探り、疑い、暴くことでその秘めたる狂気を白日の下に晒さねば、事件は怪奇(かいき)となり果てる――

 ***

 登霧市(とぎりし)篠宮(しのみや)の大町を出て、目抜き通りのその先にひっそりとした小道の中、庭付きの大きな洋館がそびえる。塔を模したレトロな外観と、南国めいたヤシの木がミスマッチな旧家、百瀬(ももせ)家。この書斎の隅を居住地とする人物がいる。そこには、自分のスペースであることを誇張するかのように似つかわしくない四畳半の畳を置いている。
 その陣地の壁にかけた黒いダーツボードに矢を投げる青年、宝生(ほうしょう)桂馬(けいま)は言葉とは裏腹にやさぐれた声で言った。
「でもさ、事件は時効なんだろ? それならそれでいいと思うんだよ。誰も危険じゃない。なのに何故、わざわざ危険に飛び込む必要がある?」
 全身をスウェットで覆い、茶と黒が混じった髪はボサボサ。無精髭もあり、甘ったるい童顔を台無しにしている。この格好で近所のコンビニへ出かけても平気なのだが、身なりがだらしないせいでアルバイトの外国人女性に気味悪がられていることまでは知るよしもない。
 桂馬は百瀬家の主ではない。この洋館の主は、いとこの百瀬(あゆむ)だ。この歩に養ってもらっているので生活には不自由ない。
 歩は可憐な花柄の、淡い砂糖菓子みたいな水色のロリータワンピースを着ており、柔らかな金髪の巻き髪を胸元まで下ろしている。畳の外にある肘掛け椅子に座ってニコニコと笑っていた。大きな目と小ぶりな鼻が愛らしいが、性別は不詳である。
 そんな二人の前には居心地悪そうにソファに座る痩身の冴えない男。
「ねぇ、村雨(むらさめ)さん。俺は探偵であって、霊媒師じゃねーんだ。他を当たってくれ」
 村雨と呼ばれた冴えない男は苦笑いを浮かべた。
「そこをなんとか。君にとって〝退屈〟は毒なんだろう?」
 村雨は桂馬の機嫌を損なわないよう細心の注意を払う。その口調がわざとらしくねっとりしており逆効果である。それでも村雨はそのままの調子で話を続けた。
「それに、事件が起きてからでは遅いじゃないか」
「まぁ……でもさ、」
 ダーツの矢は中心部へとは吸い込まれなかった。的のほぼ外側に当たっている。これに桂馬は「ふっ」と満足そうに笑った。
「村雨さん、大昔の事件を今さら掘ったところで、誰も幸福にも不幸にもならないんだよ」
「いいや、これがどっこい、僕が幸福になる。そして、僕の友人も安心できる。トギリ不動産(ふどうさん)折尾(おりお)っていうんだが、この話はそもそも彼から聞いて……なんだよ、つまらなさそうな顔をして」
 桂馬の表情がみるみる冷めきっていくので、村雨は怪訝に言った。すると、桂馬は嘆くように言った。
「俺は村雨さんが健康的で幸福な生活を送っている姿が想像できない……したくもない……他人の人生をその汚い舌でベロベロと舐めまくって生きているような人間が幸福でいいはずがないと思ってる」
 長々と不遜なことを言う。これには村雨も眉をひそめて、椅子の背にもたれる。すると、それまで黙っていた歩がようやく身を乗り出して村雨を手招きした。
「なにも了承を()ずとも、話を垂れ流しておけば良いではないですか」
 可愛らしいウィスパーボイスで歩は言った。「うふふ」と小首をかしげて笑う歩に、村雨は「なるほど」と合点する。その助言通り、椅子に尻を(うず)めて一つ咳払いをした。
「事件は、おそらく明治まで(さかのぼ)れる」
「おい、勝手に話を続けるな」
 鋭い警戒が桂馬の口から放たれる。しかし、村雨は構わず後を続けた。
「ここから少し坂をのぼったところに、アパートがあるだろう? そのうちの一つ『メゾン4』の102号室に出るんだとさ。幽霊が」
「その手の話はごまんと聞く。そもそも、この土地は曰くがあるし治安も悪い。むしろ〝出ない〟というほうが都市伝説だ」
 話に乗り気じゃない桂馬だが、しっかり間に入ってくる。下手に芝居を打っておだてるより、最初からこうしておけば良かったのだ。村雨は嬉々を隠すように声をひそめた。
「この102号室に住む者は、死霊の手によって呪い殺される」
「わーお」
 歩が愉快そうに合いの手を入れる。せっかくの怪談なのに雰囲気がぶち壊しだ。
「ここでは何人もの人間が謎の死を遂げている。家の中にいるのに何故か、どこかからか落ちたように体が曲がって死んでいるんだ」
「うひゃー」
 歩がはしゃいだ声を上げる。一方、桂馬はダーツボードを見つめながら黙っていた。
「なんでも、その場所は自殺の名所だったらしくてね。崖がある真下に『メゾン4』が建てられた。いずれも原因不明の怪死事件として処理された。犯人が死霊なら警察もお手上げさ」
 その言い方は含みがあり、怪談の締めとしてはなんとも気の抜けたものだった。
「え? 終わり?」
 桂馬が訊く。
「あぁ。僕が聞いたのはここまでだ」
 村雨は肩をすくめて言った。すると、ようやく桂馬が畳から出てきた。裸足(はだし)のまま柔らかなカーペットの上を歩く。そして、彼はテーブルに置かれたココナッツクッキーに手を伸ばした。さっくりと前歯で噛み砕き、ザクザクと雑に咀嚼して飲み込む。
「村雨さん、あんたは怪談師(かいだんし)には向かんよ」
 そう言って、ため息をついた彼の口元にはココナッツがくっついている。別に褒めてはいないのだが、村雨は照れくさそうに笑った。
「しかし、おっかない話じゃないか? こんな噂があったら、安心して部屋を借りることができないし、市民も不安だ。いち報道者としてはこういう迷信めいた話を解明したいもので」
「はぁ?」
 桂馬は素っ頓狂な声で村雨の言葉を遮った。
「あんた、ゴシップ雑誌記者だろ。信念とか正義とかそういうのの真反対の人種だろ。その記事だって面白おかしく恐怖を煽ったものに仕立てるつもりじゃねーのか」
 随分な言い方だが、それでも村雨は穏やかに笑みを見せた。胡散臭(うさんくさ)くヘラリと笑う彼に、桂馬のいきり立った顔がますます(ゆが)む。すると、歩がやんわりと間に入った。
「まぁまぁ、桂馬くん。今回は命を狙ってくるような殺人鬼はいないんですから。あぁ、でも死霊はいるのかもしれませんが。ともかく、気楽に考えましょうよ」
 白いカップに注がれたレモンティーを優雅に飲む。その佇まいに村雨はうやうやしく一礼した。
「いやぁ、さすがは歩くん。君は本当に話がわかる人だねぇ」
「えぇ。ぼくはこの事件、調べてもいいなぁって思いましたよ。それに、怪談の謎は前から興味があったのです」
 意外にも歩は乗り気の様子だ。桂馬は不機嫌にクッキーを頬張り、歩の手から紅茶を奪って一気に飲み干した。カップをソーサーに置き、腕を組んで村雨を睨む。
「わかった、わかったよ。ただし、今回はあくまで推測だ。それをあたかも真実のように書くんじゃねーぞ。いいな?」
「あぁ、この件については、君の頭脳を借りたいだけなんだから」
 村雨は軽薄に笑った。それが気に食わない桂馬は鼻を鳴らして腕を組む。そして、咎めるように歩を見た。しかし、賛成した歩もただただ笑いかけるだけであり、桂馬の苛立ちはクッキーに集中していく。彼は誰に対しても不遜な態度をとるのだが、歩にだけは逆らえない。養ってもらっているという現状が最大の弱点でもある。
「じゃあ、歩。さっそくだが、『トギリ不動産』で詳しい話を聞いてきてくれ」
「了解です」
 桂馬の指示に、歩はスクッと立ち上がった。そんな二人の間で、村雨は呆れたように苦笑を漏らす。
「毎度のことながら、やっぱり桂馬くんは動かないんだね」
「桂馬くんは筋金入りのビビリですからね」
 歩が「うふふ」と悪気なく言った。すかさず、桂馬が訂正した。
「ビビリじゃねー。俺は慎重なんだ。もし、犯人から狙われたらどうする? 命がいくつあっても足りないぞ」
 事件はいつも内側で起きている。その渦中には探偵が必要だ。
 しかし、おおっぴらに探偵が事件の推理をすることはリスクが高い。犯人からしてみれば、事件の真相を暴く者は正義の審判。邪魔者でしかない。よって、真っ先に命を狙われてもおかしくない。だから彼はいつも外側から事件を解決する。
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