優之助救出、羽田と木本の戦い
文字数 4,885文字
「ありました」
伝之助と日高が去って、羽田と鍋山はすぐに隠し部屋の捜索に取り掛かった。
そして程なくして羽田が外壁の凹みを見つけた。
凹みに手をかけて引き戸を開けるように引くが、簡単には開かない。
それなりに重みがあるようだ。
体重を乗せて引くとゆっくりと開き出した。
「風史郎さあの言うた通りじゃ」
鍋山が中を覗き込む。
そこには地下に向かって階段が伸びていた。
「木本にはまだ気付かれていないでしょうか」
羽田がそう言った時、雷鳴のような轟音が響いた。
「始まったようじゃ。今ので木本にも気付かれたかもしれん」
鍋山が門のある方を見て言う。
羽田は頷き、「急ぎましょう」と言うと、階段を駆け足で降り出した。
「ん、誰か来る」
丸くなって横になっていた優之助は、人の気配を感じるとさっと身を起こして立ち上がり、格子に顔をつけた。
まさか拷問でもされるのだろうか、それとももう用はないと斬り捨てられるのだろうか等と、嫌な事ばかりしか思い浮かばない。
薄暗い牢から目を凝らして見ていると、信じられない人物が現れる。
「羽田さん!」
「あ、優之助さん。ここでしたか。助けに来ましたよ」
羽田は言って、童顔を綻ばせる。
優之助は力が抜けてその場にへたり込んだ。
「おはんが優之助どんか。しっかりせえ。もう大丈夫じゃ」
この薩摩言葉はいつも聞き慣れている声とは違った。
思わず顔を上げる。
「あなたは……」
「おう、おいは鍋山っちゅうもんで薩摩の侍じゃ」
「薩摩の侍……」
どこで何がどうなったのかは分からないが、薩摩の侍が来ている。
と言う事は薩摩が後ろ盾となっていると言う事だ。
羽田だけで来た訳ではない事に心底安堵した。
「良かったぁ、助かった。あれ、伝之助さんは?」
「日高と戦っています」
羽田が表情を固めて即答する。
ここに来るまで見つからずに来た訳ではないようだ。
「じゃあはよ逃げんとまずいんちゃいますか」
「そうですね。だから早く出てきて下さい」
早く出てきて?
何を言っているのだ。
出してくれるのではないのか。
「いや、羽田さん。俺、閉じ込められてるんです。自力では出られません」
優之助が言うと羽田も鍋山も固まった。
そして互いに顔を見合わす。
「風史郎さあは、場所は教えてくれたが助け出す方法は教えてくれんかったの」
鍋山が言ってがははと笑う。
何も面白くない。
「いやいや嘘でしょ。冗談ですよね。助けに来てくれたからにはここから出してくれるんですよね」
「いやまさか、牢屋に入っているとは思いませんでした。鍵までついている。困ったなあ」
羽田は苦笑を浮かべて頭を掻く。
冗談ではない。
困ったのはこっちだ。
「困ったのは俺ですよ。何とかして下さい」
「まあそげん騒がんとちと待ってくいやい」
鍋山は言うなり、木で組まれた牢を手で開けようと試みる。
「さすがに無理じゃの」
そりゃそうやろ。
思ったが口には出さない。
暫く二人はあちこち触ったり見て回ったりとしたが、やがて優之助の牢まで戻って来ると羽田が童顔を綻ばせて言った。
「無理ですね」
「いや、そりゃないでしょ。助けに来てくれたんと違うんですか」
「そうなんですけど牢に入ってるとは思わなくて。鍵探して来ますのでここで待っていて下さい」
言うなり背を向けて歩き出す。
鍋山もそれに続く。
「ちょっと待って下さい。どちらかは残ってくれませんか」
言うと、二人とも半身をこちらに向ける。
「そげんわけにはいかん。木本に見つかったら戦わんといかん。一人よりは二人じゃ」
木本にはまだ見つかっていないのか。
「そこにいればとりあえずは安全ですよ。必ず戻りますから待っていて下さい」
確かに言われるとそうだ。
斬り合いに巻き込まれる事は無いし、安全は安全だろう。
「わかりました。絶対帰って来て下さいよ」
優之助の悲痛な声は虚しく響いた。
二人して来た道を引き返し、階段を上った。
外に出ると先程と違ってやたらと月が明るい。
上を見やると月が真上に来ていた。
「しもた。もうこげん時が経ってたか」
松尾達がここに向かってくる。
門ではまだ伝之助と日高が斬り合っている音がする。
「大丈夫です。優之助さんが攫われている事は確認しました。後は皆で助ければいいだけです」
「そう簡単に行く思うか」
嗄れ声が響く。
声の方を見やると木本がいた。
ついにこっちも見つかったようだ。
「木本さん、この地下の牢屋の鍵を知りませんか」
羽田が余裕の表情で尋ねると、木本は曲がった口を更に曲げた。
「わしが持っとる。欲しけりゃ奪い取るんやな」
言うなり刀を抜いた。
羽田も合わせて抜く。
と、その時外が騒がしくなった。
「松尾さあらも来たようじゃの」
鍋山も言って刀を抜く。
これで木本はもう逃げられない。
証拠を掴んだ上に、この隠れ家には日高と木本しかいない。
と思っていたが外がやたらに騒がしい。
大人数の声がする。
これ程人数がいただろうか。
松尾と吉沢の後発部隊は全員で六人だったはず。
それに木本を呼び出すのにこれほど騒ぐ必要はない。
「ないかおかしいの」
鍋山も異変に気付いた。
木本がその様子を見て笑っている。
「なんぼわしが腕に自信があって日高が滅法強い言うても、人一人攫った日に無防備にも二人で呑気に構えてる思うか」
やはり近くに浪人がいたのか。
どこにいたと言うのだ。
村にはそんな隠れる場所は無い。
村から離れた場所だとこうも早く辿り着くはずがない。
まさかこの小山に潜ませていたのか。
こんな小山に潜んでいたらそれこそ気付くのではないだろうか。
「一体なぜ……」
わからない。
わからないが今、形勢が逆転しようとしている。
「この騒ぎ方からしてお前ら外にも連れがおるんか。その連れらは残念ながら間もなく死ぬやろな」
木本の言葉に鍋山が血相を変えた。
木本の相手をするのではなく、松尾を助けに行かないといけないと思っているのだろう。
「この小山の下に小さい村があったやろ。あの村人はな、全員わしの子分や。有事の際はこうやってすぐに駆けつけてくれる。そうそう、あいつら農民ちゃうで。元々侍やった奴ばかりや。腕が良くて特に信用出来る奴らを集めて生活させてやってる。皆怖いもん知らずや。どれ程のお立場のもんが来るか知らんけど関係ないからな」
そう言う事だったのか。
まさか村人が木本の子分だとは思いも寄らなかった。
松尾達が集団で移動した時に見つかったのだろうか。
村に来るまでは警戒していただろうが、木本の所に乗り込む際は今更見られたところで何もないと考え、村人の目など気にもしていなかっただろう。
村人の誰かが木本の息がかかっているかもしれないとは考えていただろうが、まさか村人全員が木本の子分だとは思いも寄らなかったはずだ。
「鍋山さん、ここは引き受けます。本当に村人全員が松尾様達に襲い掛かるとすればかなりまずい。手練れ揃いと言え、人数が少な過ぎます。鍋山さんが助けに行ってもどうかと言う所です。一刻も早く向かった方がいいです」
羽田が言い終わるなり、鍋山はその言葉を待っていたとばかりに「すまん」と一言残して踵を返して去って行く。
「お前一人で俺の相手をするんか。お前らにもう一つ誤算があるとしたら俺は強いぞ。お前みたいな若造が一人で相手に出来るようなもんちゃう。役不足や」
「お言葉ですが、僕も強いですよ。あなたのような中年には手に余る」
羽田の挑発に木本の口元が歪んだ。
その瞬間、羽田が先に仕掛けた。
木本が羽田の言葉に立腹した瞬間を狙った。
羽田の刀が横に薙ぐ。
伝之助なら鋭い踏み込みと、速い振り上げで斬り掛かる所だろうが、羽田には出来ない。
木本は後ろに飛びのき、羽田の刀を受けた。
しかし羽田の方が腰の入った一撃を放てたので、木本が打ち負け体勢を崩す。
続けて羽田は袈裟に斬り掛かった。
木本は崩れた体勢を利用して僅かに沈み、伸び上がり様に下から斬り上げる。
刀がぶつかり合い、今度は力が拮抗した。
なるほど、自分で強いと言うだけはある。
木本は意表を突かれてもすぐに冷静に対応出来る。
斬り合いをした事のある人間だ。
「若造の癖にそんな手も使えるんか。おもろいやないか」
羽田は答えず、木本の押し込む力を逃し、体を入れ替え様にまたもや横一文に斬りつけた。
木本は力を逃されても体勢崩れず踏みとどまり、羽田の一撃を受ける。
すると今度は木本が羽田の剣を受け流し、返す刀で手首に狙いを定めて斬りつける。
羽田は間一髪刀を返して受けた。
しかし無理な体勢で受けたので、今度は羽田が力負けをする。
木本はその機会を逃さず追撃をする。
羽田は辛うじて木本の追撃を躱し、大きく距離を取った。
一度呼吸を整える。
木本は羽田を追う事無く余裕の笑みを浮かべて見つめる。
木本は相手の動きに合わせて動く待ちの剣である。
以前、伝之助が坂谷の事件で斬り合った沢田(さわだ)と言う男がいたそうだが、その者が待ちの剣で名を馳せる光(こう)影流(えいりゅう)の遣い手であったと聞いた。
光影流は後で動いて先に斬る事を得意とする流派だ。
そして一撃で致命傷を与える事をせず、手首など狙えそうな所から斬っていき、戦闘不能にさせると言う剣である。
木本も光影流かもしれない。
羽田はどう出るか考える。
もし木本が光影流なら先に動こうとはしないだろう。
理精流は基本的には先に動く事を心掛けるが、状況に置いては変わる事もある。
状況を判断して最善の手段で立ち向かう事を信条とする流派だ。
そしてそれがどれ程苦難な手段でも、強靭な精神をもって実行するのだ。
羽田は刀を握り締める。
最善の手段は見えた。
後はそれを強靭な精神をもって実行するのみだ。
かなり危険な手段だが、確実に勝つにはそれしかない。
元より斬り合いは、肉を切らせて骨を断つ覚悟がないと出来ないのだ。
羽田は正眼に構えてじわじわと距離を詰める。
木本は刀を前に突き出すように構え、羽田の攻撃を待ち受ける。
もう少しと思われた間合いから、羽田が一気に間を詰める。
そして間合いに入った瞬間、木本の前にある刀を払うように横一文字に斬りつける。
木本は羽田の突然の動きに一瞬遅れるも、さっと刀を引き、羽田の手首を狙う。
先程と同様の展開だ。
羽田の振りが大きい分、今度こそ手首を斬ったと木本は思った。
しかし羽田は木本の視界から消える。
そして消えたと思った瞬間、喉に強い衝撃が走った。
「…………!」
木本は、言葉を発したが声にならなかった。
喉に突き刺さった刀を見る。
そして今度は素早く引き抜かれ、かと思うと胸に衝撃が走った。
もはや痛みは感じなかった。
ただ首から生暖かいものが噴き出る感覚と、胸からそれが溢れ出る感覚があったが、それもやがて感じなくなり、視界が徐々に狭まったかと思うと、何も見えなくなった。
羽田は倒れる木本を見やると、自身の手首を見る。
着物の袖が斬られている。
間一髪であった。
木本の反応が僅かに遅れなければ地に臥していたのは自分かも知れない。
一息つくと木本の懐を探り、牢屋の鍵を手に入れた。
そして優之助が待つ牢へと急いだ。
鍋山は生垣を抜けて走った。
必死に走った。
日高は「ここには俺と木本しかいない。それがどういう事か考えろ」と言った。
それは後から援軍が来ると言う事を示唆していたのだ。
門の方へ行くと、閉ざされた門の前に灯篭に照らされ、奮闘する皆の姿が映った。
松尾と吉沢を後ろにやり、橋本と高木、奉行所の者達が奮闘している。
しかし人数は圧倒的に不利で、前線で戦っている橋本らは所々血を流している。
怪我の大小はわからないが、戦えるほどなのでまだ致命傷は負っていないのだろう。
木本の手下である村人らは中々結束が強いようで、木本が言った通り腕もそこそこ立つようである。
十数人か、二十人程はいると見る。
誰も鍋山に気付かず橋本らに立ち向かっている。
これは好機と読み、鍋山は刀を握り込むと目の前の相手に斬りつけた。
「ぎゃああ」と悲鳴を上げ男が倒れる。
何事かと村人達は振り向くが、事態を把握し切れていないようで反応が遅れる。
鍋山はその機会を逃さず、二人三人と斬っていく。
橋本と高木は鍋山が駆けつけた事を察し、後ろに気を取られた男達の隙を見逃す事無く斬り掛かる。
劣勢だった状況が覆りつつあった。
伝之助と日高が去って、羽田と鍋山はすぐに隠し部屋の捜索に取り掛かった。
そして程なくして羽田が外壁の凹みを見つけた。
凹みに手をかけて引き戸を開けるように引くが、簡単には開かない。
それなりに重みがあるようだ。
体重を乗せて引くとゆっくりと開き出した。
「風史郎さあの言うた通りじゃ」
鍋山が中を覗き込む。
そこには地下に向かって階段が伸びていた。
「木本にはまだ気付かれていないでしょうか」
羽田がそう言った時、雷鳴のような轟音が響いた。
「始まったようじゃ。今ので木本にも気付かれたかもしれん」
鍋山が門のある方を見て言う。
羽田は頷き、「急ぎましょう」と言うと、階段を駆け足で降り出した。
「ん、誰か来る」
丸くなって横になっていた優之助は、人の気配を感じるとさっと身を起こして立ち上がり、格子に顔をつけた。
まさか拷問でもされるのだろうか、それとももう用はないと斬り捨てられるのだろうか等と、嫌な事ばかりしか思い浮かばない。
薄暗い牢から目を凝らして見ていると、信じられない人物が現れる。
「羽田さん!」
「あ、優之助さん。ここでしたか。助けに来ましたよ」
羽田は言って、童顔を綻ばせる。
優之助は力が抜けてその場にへたり込んだ。
「おはんが優之助どんか。しっかりせえ。もう大丈夫じゃ」
この薩摩言葉はいつも聞き慣れている声とは違った。
思わず顔を上げる。
「あなたは……」
「おう、おいは鍋山っちゅうもんで薩摩の侍じゃ」
「薩摩の侍……」
どこで何がどうなったのかは分からないが、薩摩の侍が来ている。
と言う事は薩摩が後ろ盾となっていると言う事だ。
羽田だけで来た訳ではない事に心底安堵した。
「良かったぁ、助かった。あれ、伝之助さんは?」
「日高と戦っています」
羽田が表情を固めて即答する。
ここに来るまで見つからずに来た訳ではないようだ。
「じゃあはよ逃げんとまずいんちゃいますか」
「そうですね。だから早く出てきて下さい」
早く出てきて?
何を言っているのだ。
出してくれるのではないのか。
「いや、羽田さん。俺、閉じ込められてるんです。自力では出られません」
優之助が言うと羽田も鍋山も固まった。
そして互いに顔を見合わす。
「風史郎さあは、場所は教えてくれたが助け出す方法は教えてくれんかったの」
鍋山が言ってがははと笑う。
何も面白くない。
「いやいや嘘でしょ。冗談ですよね。助けに来てくれたからにはここから出してくれるんですよね」
「いやまさか、牢屋に入っているとは思いませんでした。鍵までついている。困ったなあ」
羽田は苦笑を浮かべて頭を掻く。
冗談ではない。
困ったのはこっちだ。
「困ったのは俺ですよ。何とかして下さい」
「まあそげん騒がんとちと待ってくいやい」
鍋山は言うなり、木で組まれた牢を手で開けようと試みる。
「さすがに無理じゃの」
そりゃそうやろ。
思ったが口には出さない。
暫く二人はあちこち触ったり見て回ったりとしたが、やがて優之助の牢まで戻って来ると羽田が童顔を綻ばせて言った。
「無理ですね」
「いや、そりゃないでしょ。助けに来てくれたんと違うんですか」
「そうなんですけど牢に入ってるとは思わなくて。鍵探して来ますのでここで待っていて下さい」
言うなり背を向けて歩き出す。
鍋山もそれに続く。
「ちょっと待って下さい。どちらかは残ってくれませんか」
言うと、二人とも半身をこちらに向ける。
「そげんわけにはいかん。木本に見つかったら戦わんといかん。一人よりは二人じゃ」
木本にはまだ見つかっていないのか。
「そこにいればとりあえずは安全ですよ。必ず戻りますから待っていて下さい」
確かに言われるとそうだ。
斬り合いに巻き込まれる事は無いし、安全は安全だろう。
「わかりました。絶対帰って来て下さいよ」
優之助の悲痛な声は虚しく響いた。
二人して来た道を引き返し、階段を上った。
外に出ると先程と違ってやたらと月が明るい。
上を見やると月が真上に来ていた。
「しもた。もうこげん時が経ってたか」
松尾達がここに向かってくる。
門ではまだ伝之助と日高が斬り合っている音がする。
「大丈夫です。優之助さんが攫われている事は確認しました。後は皆で助ければいいだけです」
「そう簡単に行く思うか」
嗄れ声が響く。
声の方を見やると木本がいた。
ついにこっちも見つかったようだ。
「木本さん、この地下の牢屋の鍵を知りませんか」
羽田が余裕の表情で尋ねると、木本は曲がった口を更に曲げた。
「わしが持っとる。欲しけりゃ奪い取るんやな」
言うなり刀を抜いた。
羽田も合わせて抜く。
と、その時外が騒がしくなった。
「松尾さあらも来たようじゃの」
鍋山も言って刀を抜く。
これで木本はもう逃げられない。
証拠を掴んだ上に、この隠れ家には日高と木本しかいない。
と思っていたが外がやたらに騒がしい。
大人数の声がする。
これ程人数がいただろうか。
松尾と吉沢の後発部隊は全員で六人だったはず。
それに木本を呼び出すのにこれほど騒ぐ必要はない。
「ないかおかしいの」
鍋山も異変に気付いた。
木本がその様子を見て笑っている。
「なんぼわしが腕に自信があって日高が滅法強い言うても、人一人攫った日に無防備にも二人で呑気に構えてる思うか」
やはり近くに浪人がいたのか。
どこにいたと言うのだ。
村にはそんな隠れる場所は無い。
村から離れた場所だとこうも早く辿り着くはずがない。
まさかこの小山に潜ませていたのか。
こんな小山に潜んでいたらそれこそ気付くのではないだろうか。
「一体なぜ……」
わからない。
わからないが今、形勢が逆転しようとしている。
「この騒ぎ方からしてお前ら外にも連れがおるんか。その連れらは残念ながら間もなく死ぬやろな」
木本の言葉に鍋山が血相を変えた。
木本の相手をするのではなく、松尾を助けに行かないといけないと思っているのだろう。
「この小山の下に小さい村があったやろ。あの村人はな、全員わしの子分や。有事の際はこうやってすぐに駆けつけてくれる。そうそう、あいつら農民ちゃうで。元々侍やった奴ばかりや。腕が良くて特に信用出来る奴らを集めて生活させてやってる。皆怖いもん知らずや。どれ程のお立場のもんが来るか知らんけど関係ないからな」
そう言う事だったのか。
まさか村人が木本の子分だとは思いも寄らなかった。
松尾達が集団で移動した時に見つかったのだろうか。
村に来るまでは警戒していただろうが、木本の所に乗り込む際は今更見られたところで何もないと考え、村人の目など気にもしていなかっただろう。
村人の誰かが木本の息がかかっているかもしれないとは考えていただろうが、まさか村人全員が木本の子分だとは思いも寄らなかったはずだ。
「鍋山さん、ここは引き受けます。本当に村人全員が松尾様達に襲い掛かるとすればかなりまずい。手練れ揃いと言え、人数が少な過ぎます。鍋山さんが助けに行ってもどうかと言う所です。一刻も早く向かった方がいいです」
羽田が言い終わるなり、鍋山はその言葉を待っていたとばかりに「すまん」と一言残して踵を返して去って行く。
「お前一人で俺の相手をするんか。お前らにもう一つ誤算があるとしたら俺は強いぞ。お前みたいな若造が一人で相手に出来るようなもんちゃう。役不足や」
「お言葉ですが、僕も強いですよ。あなたのような中年には手に余る」
羽田の挑発に木本の口元が歪んだ。
その瞬間、羽田が先に仕掛けた。
木本が羽田の言葉に立腹した瞬間を狙った。
羽田の刀が横に薙ぐ。
伝之助なら鋭い踏み込みと、速い振り上げで斬り掛かる所だろうが、羽田には出来ない。
木本は後ろに飛びのき、羽田の刀を受けた。
しかし羽田の方が腰の入った一撃を放てたので、木本が打ち負け体勢を崩す。
続けて羽田は袈裟に斬り掛かった。
木本は崩れた体勢を利用して僅かに沈み、伸び上がり様に下から斬り上げる。
刀がぶつかり合い、今度は力が拮抗した。
なるほど、自分で強いと言うだけはある。
木本は意表を突かれてもすぐに冷静に対応出来る。
斬り合いをした事のある人間だ。
「若造の癖にそんな手も使えるんか。おもろいやないか」
羽田は答えず、木本の押し込む力を逃し、体を入れ替え様にまたもや横一文に斬りつけた。
木本は力を逃されても体勢崩れず踏みとどまり、羽田の一撃を受ける。
すると今度は木本が羽田の剣を受け流し、返す刀で手首に狙いを定めて斬りつける。
羽田は間一髪刀を返して受けた。
しかし無理な体勢で受けたので、今度は羽田が力負けをする。
木本はその機会を逃さず追撃をする。
羽田は辛うじて木本の追撃を躱し、大きく距離を取った。
一度呼吸を整える。
木本は羽田を追う事無く余裕の笑みを浮かべて見つめる。
木本は相手の動きに合わせて動く待ちの剣である。
以前、伝之助が坂谷の事件で斬り合った沢田(さわだ)と言う男がいたそうだが、その者が待ちの剣で名を馳せる光(こう)影流(えいりゅう)の遣い手であったと聞いた。
光影流は後で動いて先に斬る事を得意とする流派だ。
そして一撃で致命傷を与える事をせず、手首など狙えそうな所から斬っていき、戦闘不能にさせると言う剣である。
木本も光影流かもしれない。
羽田はどう出るか考える。
もし木本が光影流なら先に動こうとはしないだろう。
理精流は基本的には先に動く事を心掛けるが、状況に置いては変わる事もある。
状況を判断して最善の手段で立ち向かう事を信条とする流派だ。
そしてそれがどれ程苦難な手段でも、強靭な精神をもって実行するのだ。
羽田は刀を握り締める。
最善の手段は見えた。
後はそれを強靭な精神をもって実行するのみだ。
かなり危険な手段だが、確実に勝つにはそれしかない。
元より斬り合いは、肉を切らせて骨を断つ覚悟がないと出来ないのだ。
羽田は正眼に構えてじわじわと距離を詰める。
木本は刀を前に突き出すように構え、羽田の攻撃を待ち受ける。
もう少しと思われた間合いから、羽田が一気に間を詰める。
そして間合いに入った瞬間、木本の前にある刀を払うように横一文字に斬りつける。
木本は羽田の突然の動きに一瞬遅れるも、さっと刀を引き、羽田の手首を狙う。
先程と同様の展開だ。
羽田の振りが大きい分、今度こそ手首を斬ったと木本は思った。
しかし羽田は木本の視界から消える。
そして消えたと思った瞬間、喉に強い衝撃が走った。
「…………!」
木本は、言葉を発したが声にならなかった。
喉に突き刺さった刀を見る。
そして今度は素早く引き抜かれ、かと思うと胸に衝撃が走った。
もはや痛みは感じなかった。
ただ首から生暖かいものが噴き出る感覚と、胸からそれが溢れ出る感覚があったが、それもやがて感じなくなり、視界が徐々に狭まったかと思うと、何も見えなくなった。
羽田は倒れる木本を見やると、自身の手首を見る。
着物の袖が斬られている。
間一髪であった。
木本の反応が僅かに遅れなければ地に臥していたのは自分かも知れない。
一息つくと木本の懐を探り、牢屋の鍵を手に入れた。
そして優之助が待つ牢へと急いだ。
鍋山は生垣を抜けて走った。
必死に走った。
日高は「ここには俺と木本しかいない。それがどういう事か考えろ」と言った。
それは後から援軍が来ると言う事を示唆していたのだ。
門の方へ行くと、閉ざされた門の前に灯篭に照らされ、奮闘する皆の姿が映った。
松尾と吉沢を後ろにやり、橋本と高木、奉行所の者達が奮闘している。
しかし人数は圧倒的に不利で、前線で戦っている橋本らは所々血を流している。
怪我の大小はわからないが、戦えるほどなのでまだ致命傷は負っていないのだろう。
木本の手下である村人らは中々結束が強いようで、木本が言った通り腕もそこそこ立つようである。
十数人か、二十人程はいると見る。
誰も鍋山に気付かず橋本らに立ち向かっている。
これは好機と読み、鍋山は刀を握り込むと目の前の相手に斬りつけた。
「ぎゃああ」と悲鳴を上げ男が倒れる。
何事かと村人達は振り向くが、事態を把握し切れていないようで反応が遅れる。
鍋山はその機会を逃さず、二人三人と斬っていく。
橋本と高木は鍋山が駆けつけた事を察し、後ろに気を取られた男達の隙を見逃す事無く斬り掛かる。
劣勢だった状況が覆りつつあった。