二人の之助、またいつか

文字数 6,583文字

伝之助と別れ、京に帰って来てからもう一月以上経つ。

すっかり暖かくなった。
その間、優之助は羽田と仕事を続ける日々を過ごしていた。

羽田はとても優秀であった。
奉行所の思惑通り、羽田は更生したと言っていいだろう。

ここ最近の羽田は、奉行所からも協力要請として、少しずつ依頼されるようになっていた。
それだけでなく、民衆の信頼もまた得るようになっていた。

そして先日、遂に鈴味屋のお鈴からも許しを得て出入りできるようになった。


「優さま、そないな浮かない顔してどないしたんです」

いつも通りの鈴味屋の一室である。
小首を傾げて聞く今日のおさきも綺麗だ。

「いや、羽田さんが活躍してくれてんのはええんやけどな……」

羽田が活躍してくれているのは優之助にとっても良かった。
自身の評判も自動的に上がり、仕事も増えて好調だ。

羽田は元々がそうだったように人が好い。
伝之助のように面倒な仕事を優之助だけにやらせることはない。

よく働くし、当然のように居候をしていた伝之助と違って、ある程度稼ぎが出たからと言って、住まわせてもらっている代金を払うと言う。

伝之助に対しても取っていなかったからと言って辞退したが、その分より働いてくれている気がする。
羽田は非の打ちどころが何一つない。

そう、何もかもが上手く行っている。

だが何か物足りない。

鈴味屋で飲んでいても楽しめ切れない。

羽田が頑張っていると思うと、自分が呑気に酒を飲んでいてもいいのかと思う。

羽田は一切咎めないだろうが、後ろめたいのである。

羽田は優之助に逆らう事も無い。
それでいて上手く導いてくれる。

「羽田さんは完璧すぎるんや」

そう、羽田は完璧すぎるのだ。

伝之助も別の意味では完璧であったが、あくまで自身の基準だ。

羽田は優之助の基準に合わせてくれる。
優之助が出来ない分、やらない分を文句一つ言わず熟す。

伝之助なら何かと小言を言っただろう。
そして自身がやる必要がないと思えば優之助にやらせた。

当時は自身が楽をして面倒な仕事を振っているだけだと思っていたが、今となってはそうでもなかったのかもしれないと思い始めている。

おさきにそれらの事を掻い摘んで話した。

「羽田さまにその事ちゃんといいましょう。今の羽田さんならきっとご理解頂けます」

おさきが力強く言う。

それ程羽田を信用しているのか。
あれ程嫌っていたのにどういう風の吹き回しだ。

まさか羽田に惚れたのか。
いや、それは無いだろう。
それを言うとまたおさきに怒られる。

「そうやな。俺が言うたら羽田さんはちゃんと聞いてくれるやろな。けど羽田さんはいつも俺に合わせてくれる。伝之助さんみたいに俺に合わせろとは言わん」

優之助の言葉が虚しく響く。

暫く間が空いた。

「大山さまがおらんで寂しいんはわかります」

おさきが目線を落として言った。

寂しい?

いくらおさきでも聞き捨てならない。

「そんなことあらへん。俺は、はよあの人に出て行ってほしかったんや。けど、消息不明なんは素直に喜ばれへん」

伝之助の消息は依然として不明だ。

伝之助と別れ、京に帰ってからすぐに、藤井利也が賊に殺されたと言う事は聞いた。

それを聞いた時は、伝之助と日高は成功したのかと思い、その内帰って来るだろうと思っていた。

しかし帰ってくる様子は全くなく、町人の自分には薩摩の家老である松尾と話す権利はないが、松尾は気にせず鍋山を連れて優之助の家を訪ね、詳細を話してくれた。

藤井が討たれて彦根は少しばかり混乱に陥っているが、日高が仕組んだ通り小木が後釜を取るようである。

藤井の屋敷と屋敷周辺の森を隈なく探したが、賊も人の死体も見当たらなかった事を聞いた。

伝之助も日高も生きているとその時は思った。

だが松尾は暗い顔であった。
決してこの情報が正しいわけではないと言っていた。

もしかすると彦根は二人の身柄を取って既に処分しているか、何か手を打っているかもしれないが、それを他に漏らしていないだけの可能性もあると言っていた。

その時は松尾がかき集めてきた情報なのだからそれは無いだろうと思っていた。

しかしついこの前も中脇の見舞いに薩摩屋敷を訪れ、すっかり動けるまで回復した中脇と話していると、ここまで音沙汰がないと松尾の言う事もあるかもしれないと言っていた。

つまり伝之助も日高も既にこの世にいないと言う事だ。

せめて薩摩に帰ると言う事なら現状を喜べたかもしれないが、伝之助の状況が分からない今は素直に喜べない。
あんな奴どうなってもいいと思っていたが、そうでもなかったようである。

「それは信じるしかありません。何か事情があってすぐに戻られへんかもしれません。おりんちゃんも希望は捨てていません」

おさきは真っ直ぐ優之助の目を見て言う。

そうだ。
りんは気丈に振る舞っているが、明らかに狼狽えている。

ここ最近は会っていないが、京に戻って来てからすぐ鈴味屋であって報告した。

その時は冷静に話を聞いていただけだ。
戻って来るだろうと思っていたからだ。

しかしその後、十日程してからもう一度会ったが、りんはかなり落ち着かない様子であった。
上の空かと思えば、急に慌ただしく動き出したりと、挙動が不審であった。

「おりんちゃんはどないしてるんや」
心配になって尋ねた。

「特に変わりなく働いてますよ」
「思い詰めていないんか」
「ええ」

おさきのあっさりとした反応に困惑する。

やはり侍の妻となる覚悟を持っている女は違うようだ。
一月経って平静を取り戻したらしい。

「あ、そうや。話戻しますけど、今日は羽田さまがお鈴さんに認められたから祝いをするんですよね」
「ああ、そう言えばそうやったな」

羽田が先日、お鈴から鈴味屋の出入りを認められ、それに合わせて改めて歓迎の祝いをしようとなったのだ。

おさきもお鈴が認めるならと異論はなく、鈴味屋と羽田の仲直りの宴を今日する予定なのだ。

優之助はおさきと話したくて先に来ていたに過ぎない。

「まだ早いですけど、先に飲まれます?」

日が傾いている。
宴は日が沈み出す頃だ。

まだ時がある。
と言ってもそれ程長くはない。
少しぐらい飲んでいても問題ないだろう。

「そうやな。先にちょっと飲んで摘まんどくわ」
「わかりました。すぐ用意します」

おさきは言うなり女を呼んだ。
つまみと酒を頼む。

他愛もない話をおさきとする。

外は夕焼けが広がり出す。
その頃になると鈴味屋も忙しくなり客の談笑があちこちで響き出す。

隣の部屋も先程客が入ったのか、盛り上がっているようだ。

笑い声が止めどなく聞こえる。
何か祝い事でもあったのだろうか。

話している内容はわかなくとも複数人の男女がずっと朗らかな様子で話し、笑い合っている。

「お隣さんはえらい盛り上がってんな」

思わず口にした。
普段は隣がどうであっても気にならない。

「そのようですね。それこそお一人から団体さんまで鈴味屋には色んな方々がお出でになりますから」

おさきは微笑む。
やはり美しいと見惚れる。

「お待たせしました」

急に引き戸が引かれて、思わず体をびくつかせる。

「羽田さん……」

優之助が呟くと、羽田は遠慮なく部屋に入り、優之助の隣に座った。

礼儀正しい羽田にしては珍しい。
嬉しくて舞い上がっているのだろうか。

「あら、羽田さまも来られましたか」

おさきが以前からは考えられないような微笑を浮かべて言う。
もうすっかり許したと言う事だろう。

「ええ。約束の時刻を過ぎ無いように気を付けていましたが、結局丁度ぐらいになってしまいました」

羽田は申し訳なさそうに頭を掻く。

「誰か呼びましょか」

女をもう一人付けると言う事だろう。
そこで優之助は異変に気付いた。

「いや、大丈夫です。優之助さんと飲めればそれで満足です」

羽田は童顔で人懐っこい笑みを浮かべる。

「おさきは他の客につかんでいいんか」

そう、この忙しい時間帯となると、おさきは引っ張りだこだ。
こっちに来たと思えばすぐに違う客の元へ行く。

だから優之助は、鈴味屋が忙しくなる前に来ておさきと話していたのだ。
しかし今日は変わらずここにいる。

「今日は羽田さまの歓迎の祝いです。私は今日一日優さま達と過ごす事が許されてます」

おさきはにこっと笑って言う。

それならば遠慮する事は無い。
こうなると羽田がいるのは気に食わないが、おさきを独占できると言う事だ。

まあ羽田の歓迎祝いなのだから、羽田がいるのは仕方ない。
それに、羽田におさきを独占する気はないだろう。

「それは嬉しいわ。おさきも飲んでや」

優之助は上機嫌でおさきの杯に酒を注ぐ。

先程までの伝之助への想いも、羽田に対する気持ちもどうでも良くなった。
しかしおさきがそうはさせなかった。

「優さま、羽田さまに言いたい事があるんでしょ」

おさきは優之助から徳利を取って、優之助の杯に注ぎながら言った。

優之助はおさきの顔を見たが、おさきは変わらず杯を見て酒を注いでいた。

「言いたい事ってなんです」

羽田が童顔を向けて言う。
その顔は何の悪意もない、純粋そのものだ。

その顔を見ていると自身の要求が理不尽であるかと思うが、このままやり過ごすことも出来ない。
仕方なく優之助は言葉を選びながら話す事にした。

「羽田さんは本間ようやってくれてます。完璧や。でももっと息抜いてくれていいんです。いや、何も羽田さんがあかんなんて事は言うてませんよ。羽田さんはいつも俺の言う事聞いてくれます。けど嫌な事とかは嫌て言うてくれていいんです。全部自分で完璧に熟す事はありません。なんていうか、もっと気楽にして下さいと言う事です」

上手く言えたかで言うと、今一つ上手く言えなかったが、羽田は笑顔で頷いて言った。

「承っておきます」

おさきが羽田の杯にも酒を注ぐ。

「じゃあ乾杯ですね」

杯を合わせた。
申し合わせたように、隣の部屋がどっと沸く。

「さっきからえらい盛り上がりようやな。何か祝い事でもあったんやな」

「ええ。でも流石に騒ぎすぎでしょう。僕が一度注意しましょう」

羽田は言うなりぱっと立ち上がる。

「え、ちょっと羽田さん」

優之助が制止する間もなく、羽田はここに来た時と同じように、隣と仕切られている引き戸を両手で勢いよく開けた。

たんっと音がして戸が開く。

「おう。ようやっときたか」

聞き慣れた薩摩言葉。

羽田の背後から隣の部屋を覗き見る。

そこには伝之助がいた。
その隣にはりんがいる。

それだけではない。

囲むように座っているのは松尾、中脇、鍋山がおり、お鈴と鈴味屋の女が数人に加え、奉行所の吉沢までいる。

「これは一体……」

「楽しそうですね。僕達も混ぜてもらいましょうよ」

羽田が振り向いてにこっと笑う。

「ほら、優さま」

おさきが背中を押す。

どうやら何も知らないのは優之助だけらしい。

「伝之助さん、いつ帰ったんですか。それにこれは……羽田さんの歓迎祝いにしてはやたらと豪勢と言うか……」

優之助が言うと、皆どっと笑った。

「僕の歓迎祝いなわけないじゃないですか」

羽田が目に涙を浮かべて言う。

ちくしょう、そない笑わんでもいいやないか。

「帰ったんは七日前じゃ。今日はおいとりんが祝言を挙げた祝いじゃ」

「そうでしたか。それはおめでとうございます」

羽田とおさきが席に着く。
優之助はまだ立ち尽くしていた。

いや、今何と言った?

「ええ!祝言挙げたんですか」

「うぜらしかのう。そげん言うたでなかか」

「いつですか」
「昨日じゃ」
「え、昨日!どこで」
「薩摩屋敷で」

「なんで俺に何も言うてくれへんかったんですか。帰った事も祝言の事も」

「お前に帰ったこつ言いに行った時にはおらんかった。鈴味屋にでも行っちょったじゃろ」

確かにここ最近はよく行っていたかもしれない。

「けど七日前に帰ったなら俺に言うてくれるぐらいの暇はあったでしょ」

「おいはお前とちごて暇人でなか。りんに帰ったち言うて松尾さあに報告に行って、藤井のこつ解決したなら薩摩に帰る前でも仲人なるち、祝言挙げ言うで急遽準備するこつなった。言うてもおいもりんも家族はおらん。そげん手間はかからん。じゃっどんそいなりにやらんといかんこつはある。りんは気に掛けてくれちょる吉沢さあやおさきにも話したいち言うで、吉沢さあには今までんこつも話して、おさきには祝言挙げるち言うた。そいでお前や羽田どんにも言わんとな思て行ったらお前がおらん。羽田どんが鈴味屋に行っちょる言うで、羽田どんに今までんこつと祝言挙げるち話した」

なんやそれ……俺以外皆知ってるんや。

「その後また日改めて来てくれたらよかったやないですか」
「ないごてお前に言うぐらいでそげんせんといかん。おいは準備に忙しかったとじゃ」

まあ急な話だしそれはあるだろう。
しかしそれにしても……

「じゃあなんで誰も何も言ってくれへんかったんですか。羽田さんに至っては一緒に暮らしてるのに、おさきだって毎日のように会ってる。中脇さんの見舞いだってついこの間行きましたよね。誰も俺に教えてくれませんでした」

優之助の様子に、皆可笑しそうに笑っている。

「そりゃお前がおらんかった時点で驚かしてやろうちなったからじゃ」

伝之助がにっと笑って言った。
一時爽やかに見えた事もあった笑みだが、やはり気のせいであった。

ちくしょう、皆で嵌めやがったな。

「皆さん前失礼します」

どたどたとわざとらしく足音を鳴らして伝之助の席に行く。

伝之助の隣にはりんが座っている。
その反対隣にどかっと座った。

「ないじゃ。お前の席はこことちごう」
「いいやないですか。俺だけ嵌められたんやから」
「ここは主役の席じゃ。お前は脇役じゃ」
「ある意味主役やないですか。皆知ってて俺だけ知らんかったんやから。それ見て楽しめたでしょ」

伝之助の徳利と杯を取る。
手酌で酒を注ぐ。

「皆の前で行儀の悪か奴じゃ」
「ええ俺は行儀の悪い奴です。教養のあるお侍さまと違って、教養も素養もない町人です」

伝之助の酒を飲む。
それを見てまた皆が笑う。

ちくしょう、なんだか楽しくなってきた。

思わず笑みが零れそうになる。
こうなれば自棄だ。

「仕方んなかのう」

伝之助は呆れて、りんから新たな杯を受け取る。

「日高さんはどうしたんですか」
「鉄砲で撃たれた」
「え……」

酒を飲む手が止まった。

「危なかった。じゃっどん死んどらん。治療を受け、今は尾張で療養しちょる。そいでおいの帰りも遅れた」
「そうやったんですか……」
「日高に関しては心配なか。じゃっでおいも帰って来た」
「それを聞いて安心しました」

日高に思い入れは無いが、無事だと聞いて安心したのは事実だ。
死んだとなれば寝覚めが悪い。

「伝之助さん、改めてお帰りなさい。そんでお二人の門出に」

優之助が杯を掲げると、伝之助とりんも掲げる。

三人で杯を合わせると酒を飲んだ。

「また二人の之助再会ですね」

「お前との相棒はもう解散じゃ」

「え、薩摩にはまだ帰らんのと違ったんですか」
「京にはまだおる。じゃっどん羽田どんもようやっちょる。お前は羽田どんとやっていけ」
「そんな……」
「いつまでもおいとの仕事は続かんち言うたじゃろ。お前は色んなこつを経験して大きくなった。もうやっせんぼとちごう」

伝之助がにっと笑う。

また爽やかに見えてしまった。
思わず込み上げてくる。

「わかりましたよ。それより今までの話、聞かせて下さいよ」

涙を流さぬよう誤魔化す様に料理を食い、酒を煽る。

「ほれ、もうよかじゃろ。詳しくはまた今度話すで向こう行け」
「いや、今日はここにずっといます」

伝之助が溜息をつき、りんが苦笑いするが、知った事ではない。

「優さま、こちらで一緒に飲みましょ。お隣来て下さいな」

おさきがにっこり笑って手招きする。
そんな顔で手招きされると断れない。

「しゃあないな。お隣行かせてもらうわ」

さっと立ち上がり、鼻の下伸ばしておさきの隣に行く。

伝之助は呆れた様子でりんに言う。

「あいつはほんのこて単純な奴じゃ」
「まあまあ、そこが良い所でもあるんでしょ」
「まあの」

りんに酒を注いでもらい、りんにも注ぐ。
二人は杯を合わせ、酒を飲む。

伝之助は皆の様子を見る。
皆が楽しそうに笑っている。

今まで色々あった。
自分だけでなく、ここにいる皆も色々あった。
そしてこれからもあるだろう。

良い事ばかりではない。
嫌な事も辛い事もある。

死は怖くもないし特別意識もしていない。
物事や斬り合いに躊躇なく命を懸ける覚悟もある。
いつだって何にだってこうと決めればひっ飛んでやると思っている。

だがこうして、また皆と笑い合う日の為、生きていたいと思った。
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