作戦会議
文字数 5,476文字
「お前はほんのこて期待を裏切らんの」
帰るなり伝之助が嫌味を言う。
伝之助と羽田は、こんにゃくの田楽をつまみに酒を飲んでいた。
羽田もいつもの苦笑を張り付かせ、顔には出さないが呆れているに違いない。
「いや、積もりに積もる話しとなりましてね。ついこないに遅くなりました。決して、決してですよ、端(はな)からこないなるまで飲み食いしよう思ってたんと違いますからね」
「ほざいちょれ」
一蹴される。
優之助は呆れる二人を尻目に自分の杯を出す。
二人に向かい合って座り、伝之助の徳利を掴んで注いだ。
「ないしよるか」
伝之助は言葉ではそう言うも、止める素振りは無い。
「俺も飲み直します。それで今日の報告をしましょう」
伝之助の前にある田楽を食う。
伝之助は睨みをくれて言った。
「ないが報告じゃ。お前から話すこつは、引き続きおさきに暫く仕事を止めてもらうこつんなったち言うこつだけじゃろ」
「くっ……」
ちくしょう、その通りだ。
「まあまあ、大山さん。優之助さんにも今日の事話してあげましょう。それで今後の事も相談しないと。何と言っても親分なんですから」
羽田が取り繕う。
親分は余計だが、羽田がいてくれてよかったと心の底から思う。
「大した親分じゃの。まあよか」
伝之助は鼻を鳴らして言うと、話し出した。
伝之助達に日高の事を話す事を薩摩内で反発があったが、松尾の顔で通した事で松尾の立場は微妙となり、表立って依頼出来ない状況にある事。
その為表面上は伝之助達個人で日高を追う体面を取るが、裏では松尾と繋がり、松尾個人からの依頼として引き受けた事を話した。
「松尾様も大変ですね。それで具体的にはどないするんですか」
優之助はまた伝之助の酒を取って注ぐ。
伝之助はもう何の反応もしない。
「薩摩屋敷で松尾さあに会うと、あるこつないこつ噂され更にお立場を悪くされる。じゃっでおいの隠れ家で松尾さあと会い、情報を流してもらう」
伝之助が言い終わると、羽田は自分の酒を伝之助の杯に注いで言った。
「となると松尾様の情報待ちですか」
羽田自身の杯にも注ぐ。
「そうじゃのう……藤井はこげんなった以上、表立って日高を使えん。じゃっどん日高にとって隠密行動はお家芸じゃ。おいらだけで探るんは難しか。逆に下手に探って日高に知られっと厄介じゃ。ここは松尾さあに任せるとこは任せて、おいらにはおいらの出来るこつ、やるべきこつをやっど」
伝之助は言うと酒を飲んだ。
羽田は「わかりました」と頷くと決意を固めるかの如く、酒を飲みほした。
「これからの事は分かりました。それで中脇さんはどうでしたか」
優之助は前のめりになって言う。
中脇の事は一番気になっていた事だ。
「瑛介どんは今朝意識を取り戻した」
伝之助が言うと、優之助は全身から力が抜けて崩れそうになる。
「よかったあ」
「じゃ。じゃっどん油断はならん。傷が化膿せんよう気を付けんといかん」
伝之助が言うと、今度は羽田が聞く。
「傷に関しては分かりました。中脇さん自身の気の持ちようはいかがでしたか」
羽田は死と引き換えに一矢報いようとした侍が生き延びた事を心配していた。
なぜなら自身が同じことを経験したからだ。
「そうじゃの、最初は生きちょったこつを恥じるかのようじゃった。じゃっどん話して最後には前向きになった。治ったら小太刀の稽古をつけてくれち言うちょった」
「そうですか。それは良かった」
羽田は安心するとまた酒を注いで飲んだ。
伝之助も注いで飲もうとすると徳利の中は既に空であった。
「優之助、酒がなか」
伝之助が徳利を掲げる。
優之助は見るなり田楽をつまむ。
「買ってるんでしょ、ご自分で用意されたらどうですか」
優之助の言葉に羽田が青ざめる。
「優之助、酒じゃ」
伝之助が無表情でもう一度言う。
「優之助さん、薩摩人に酒を渋るのは命取りです。今すぐご用意を」
羽田が耳元で囁く。
薩摩人に酒を渋ると命取り?
何を言うてるんやと思いながらもう一度伝之助を見る。
伝之助は徳利を掲げて無表情である。
無表情……伝之助が無表情な事があっただろうか。
伝之助はいつも笑みを浮かべている印象だ。
知らない人はその精悍な顔から生み出される笑みが爽やかに見えるだろうが、伝之助を知っているこっちからすると全く爽やかに見えない。
そしてその爽やかに見えるだろう笑みも今は無い。
これはかなり不味いのではないだろうか。
「すぐに用意します」
優之助は席を立ち、酒を用意する。
伝之助に注ぐと、自身の杯にも注いだ。
「あいがと」
伝之助は言うなり酒を啜る。
薩摩人は焼酎と言われる酒よりも濃い酒を普段から飲む。
酒を愛する人々なのだ。
薩摩人に酒を渋るのはやってはいけない事だ。
つまみの田楽を取った時は睨みをくれただけだが、酒を取った時は言葉を発した。
つまみより酒なのだ。
と言うより今更伝之助の新たな一面など知りたくもない。
優之助は乱暴に伝之助の田楽を掴んで食べた。
しばらく何も起こらず過ごした。
伝之助と羽田は毎日裏の庭で剣の稽古に励む。
優之助はおさきの元に通い、情報収集に励むと言う名目で通った。
「優さま、あれから五日程経ちますけど、どないですの」
おさきが心配そうに眉根を寄せて酒を注ぐ。
そんな顔のおさきも美人だ。
「そうやな。今は情報集めで準備中や。もうすぐしたら動きがあると思う」
半ば期待を込めて言う。
優之助自身、はっきりいつ動くか分からない。
「でも優さま、昔みたいにこないしていつものように通(かよ)て下さるのは嬉しいんですけど、お仕事を止めてる事もあるから……」
確かにいつまでも仕事を止めてもらう訳にもいかない。
「そうやな。目処が立ったらすぐに言うわ。心配かけて悪いな」
おさきは納得した様子ではないが、仕方ないとばかりに頷く。
その様子に申し訳ないと心から思った。
しかしどうする事も出来ない。
料理をつまみ、酒を飲む。
おさきが再び酒を注ぐと、口を開いた。
「そう言えば、大山さんはどうされてます」
「羽田さんと剣の稽古に励んでる。伝之助さんも次は後れを取らんよう今まで以上に腕を上げるつもりやろ。羽田さんも剣才溢れる人やから、伝之助さんみたいな日本でも類を見ん遣い手と稽古してたらかなり底上げされるやろな……て、伝之助さんの事がなんか気になるんか」
優之助は目に警戒の色を浮かべて聞く。
おさきが万が一にでも伝之助に惚れるとなると、もうこの世の終わりだ。
「もう、優さまはそないな心配ばかり。大山さんにはこれっぽっちもそないな気はありません。おりんちゃんもおるのに」
さすがにおさきは優之助の下心を見抜く。
優之助は下心を見抜かれた事を恥じるよりも、おさきの言葉に飛び上がりそうな程喜びを感じる。
「いや、そりゃそうやわな。俺の方が良い顔やし。伝之助さんは恐ろしくて粗暴で、薩摩言葉であんまり何言うてるか分からんもんな」
優之助は言って「ははは」と笑う。
おさきはその様子に呆れて呟く。
「はあ……男は顔の良さと違って心意気ですよ」
「ん?何か言うたか」
「いえ、何も……それで大山さんの事ですけど、おりんちゃんが心配してまして」
まさか、伝之助が日高に負けた事がりんに伝わったのだろうか。
「おりんさんの耳に入ったんか」
「いえ、そうではないんですけど、仕事終わりによく送ってくれてたんが最近は来てくれへんけど何かあったんかなと溢してました」
なんと、伝之助も詰めが甘い。
あれ程頻繁にりんを送っていたのに近頃送っていないとは、すぐに何かあったのかと思うに決まっている。
「そうやったんか。伝之助さんも何というか、その辺りは誤魔化す気もないんかな」
「お仕事の事で他言出来へん事はおりんちゃんも承知してるはずです。あれこれ詮索する気はない。けど急に音沙汰無くなったら心配にはなります」
おさきがりんの気持ちを代弁するように言う。
伝之助とりんは鈴味屋の帰り道のみ会うと言う約束だ。
それがなくなると音沙汰無くなってしまう。
心配するのは当然だ。
「そりゃそうやな。わかった。伝之助さんにも言うとく」
「何卒お願いします」
おさきは殊勝に頭を下げる。
妹分のように可愛がっているりんの事だ。
自分の事のように真剣であるのが伝わってくる。
優之助は酒もそこそこに、日が暮れる前に帰る事にした。
帰ると、伝之助と羽田はまだ稽古をしているようで、裏庭から物音がする。
まさか一日中やっているのだろうか。
裏庭を覗くと、二人とも鬼気迫って稽古に取り組んでいる。
二人で対峙してする事もあるようだが、今はそれぞれ別の稽古に取り組んでいる。
ここ五日間、ずっと鈴味屋に通っており二人の稽古を見ていなかったので、あまりの気魄に驚いた。
伝之助は隼人丸を使いこなす為、隼人丸と同様の長さと重さの木刀を用意し、多数木を立てて敵に見立て、裂帛の気合いと共に素早く打ち倒したり、かと思うと一本だけ立て、いかに速く強く初太刀を見舞うかと取り組んでいる。
完成されていたかと思う伝之助の剣は、更なる凄味を帯びている。
これぞ真なる天地両断の剣であろうと思わされる剣だ。
一方羽田は、伝之助と同様多数木の棒を立て、素早く踏み込み突きを見舞う。
突きを実戦で使うのはかなり難しい。
動く相手を自身も動きながら太刀筋を整えて斬り掛かる事さえ難しいのに、突きはその遥か上を行く。
しかし羽田は流れるように動き、刀と一体となって正確に狙った場所を弾丸のように突き倒す。
その美しい技に見惚れる。
理精流の技に天地流の気概が注がれたかのような技で、羽田の剣才と運動神経があってこその剣である。
五日でここまで成長しているとは思わなかった。
優之助は声を掛けられずに二人の様子を見ていた。
実際、余程緊急時でない限り、声を掛けると叱られる。
二人の稽古が終わるのを縁側にて待った。
日が傾くのを合図に、どちらともなく稽古を終える。
二人とも息を切らせて汗だくだ。
「おう、優之助。今日は早い帰りじゃの」
伝之助が例の爽やかに見えるだろうの笑顔で言う。
「ええ、伝之助さんにお話がございまして早く帰って来ました」
「話?ないじゃ」
「いや、まあ一度汗を流して落ち着いてからで結構です」
言うと羽田と目が合った。
羽田はそれと無く頷く。
「それじゃあ僕は町の風呂屋へ行きます」
羽田が気を利かせて言う。
伝之助は羽田に一言詫びると風呂へ向かった。
優之助は茶を用意して居間にて待つ。
程なくして伝之助が現れた。
「お、気が利くの。あいがとな。で、ないじゃ」
座るなり早速伝之助が切り出す。
いつだって前置き無しの男だ。
「今日鈴味屋に行きましてね」
「今日も、じゃろ」
「いや、まあそうなんですけど……」
そこは今ええやないかと思いながら続ける。
「おさきから聞きまして。伝之助さん、松尾様の依頼後からおりんさんを送ってないそうやないですか。仕事帰りにしか会って無かったのに、いきなり音沙汰なくなってえらい心配してるそうですよ」
言うと伝之助が気まずそうに横を向く。
相変わらず男女の事となると弱い奴だ。
「依頼内容の事はおりんさんも口外出来へん事は承知してるはずです。根掘り葉掘り聞く事は無いでしょう。けど何も言わんと心配しますよ」
優之助が言うも、伝之助は黙って茶を啜る。
無視だろうか、何か考えているのだろうか。
しびれを切らせて更に言葉を重ねる。
「今日はまだ間に合います。送ってあげたらどないですか」
伝之助が茶を置くと、優之助を射抜くように見た。
その視線に僅かに体を震わせる。
何か気に障っただろうか。
「日高は強敵じゃ。一度おいは負けちょる。あん時、瑛介どんが助けに入らんかったらおいは今ここにおらん。日高と良くて刺し違え、悪くておいだけが死んどったじゃろ。どちらにしてもりんとは二度と会えんかったかもしれん」
伝之助が一度言葉を切り茶を啜る。
何が言いたのだろう。
だからりんとはもう会わない方が良いとでも言うのだろうか。
そんな事も含めて覚悟を決めたのではなかったか。
「伝之助さん、だからおりんさんと会わないと言う事ですか。やっぱり自分は侍であり、いつどうなるかわからないから会わないと――」
「ちごう」
伝之助が優之助の言葉を遮る。
「おいはまたりんと会いたか。じゃっで会わんでこげんして剣の修業をしちょる」
伝之助は以前なら恥じて言わないだろう事を、恥じる事無く射抜く目を再び向ける。
優之助は今度はたじろぐ事は無かった。
こういう事は本来しっかりと言った方が良いのだ。
「そう言う事でしたか。要するに強くなって生き残る事でおりんさんとまた会えるように修行してると言う事ですね」
「お前にしたらよう理解しちょるの。そう言うこつじゃ」
何かと一言多い奴だ。
「でもそれはおりんさんに言いましたか」
「言うちょらん。ないごてな」
伝之助は本当に分からないかの如く顔を傾ける。
こいつは馬鹿だ。
「いやいや、それ言わな分からんでしょ」
「りんも侍の嫁んなるこつ覚悟しちょる。おいがないも言わんでも察しちょる」
伝之助は悪びれる事無く堂々と言う。
こいつは本当に馬鹿だ。
「伝之助さん、確かに覚悟の上かも知れませんし察してるかもしれませんけど、わかってても言葉にして伝えてほしい事もありますよ。現に心配されてますし」
優之助が言うと、伝之助は腕を組み思案顔となる。
「そげんもんかの」
「そげんもんです」
伝之助の薩摩言葉を真似て返すが、伝之助は特に反応しなかった。
「そうか。そげん言うなら今日送って話せる範囲で話す」
「そうしてあげて下さい」
これでおさきからの頼みは解決した。
りんも心配なのは変わらないが、音沙汰ないよりはいいだろう。
二人の悩める女の依頼を解決したことになる。
優之助も気分が良くなった。
帰るなり伝之助が嫌味を言う。
伝之助と羽田は、こんにゃくの田楽をつまみに酒を飲んでいた。
羽田もいつもの苦笑を張り付かせ、顔には出さないが呆れているに違いない。
「いや、積もりに積もる話しとなりましてね。ついこないに遅くなりました。決して、決してですよ、端(はな)からこないなるまで飲み食いしよう思ってたんと違いますからね」
「ほざいちょれ」
一蹴される。
優之助は呆れる二人を尻目に自分の杯を出す。
二人に向かい合って座り、伝之助の徳利を掴んで注いだ。
「ないしよるか」
伝之助は言葉ではそう言うも、止める素振りは無い。
「俺も飲み直します。それで今日の報告をしましょう」
伝之助の前にある田楽を食う。
伝之助は睨みをくれて言った。
「ないが報告じゃ。お前から話すこつは、引き続きおさきに暫く仕事を止めてもらうこつんなったち言うこつだけじゃろ」
「くっ……」
ちくしょう、その通りだ。
「まあまあ、大山さん。優之助さんにも今日の事話してあげましょう。それで今後の事も相談しないと。何と言っても親分なんですから」
羽田が取り繕う。
親分は余計だが、羽田がいてくれてよかったと心の底から思う。
「大した親分じゃの。まあよか」
伝之助は鼻を鳴らして言うと、話し出した。
伝之助達に日高の事を話す事を薩摩内で反発があったが、松尾の顔で通した事で松尾の立場は微妙となり、表立って依頼出来ない状況にある事。
その為表面上は伝之助達個人で日高を追う体面を取るが、裏では松尾と繋がり、松尾個人からの依頼として引き受けた事を話した。
「松尾様も大変ですね。それで具体的にはどないするんですか」
優之助はまた伝之助の酒を取って注ぐ。
伝之助はもう何の反応もしない。
「薩摩屋敷で松尾さあに会うと、あるこつないこつ噂され更にお立場を悪くされる。じゃっでおいの隠れ家で松尾さあと会い、情報を流してもらう」
伝之助が言い終わると、羽田は自分の酒を伝之助の杯に注いで言った。
「となると松尾様の情報待ちですか」
羽田自身の杯にも注ぐ。
「そうじゃのう……藤井はこげんなった以上、表立って日高を使えん。じゃっどん日高にとって隠密行動はお家芸じゃ。おいらだけで探るんは難しか。逆に下手に探って日高に知られっと厄介じゃ。ここは松尾さあに任せるとこは任せて、おいらにはおいらの出来るこつ、やるべきこつをやっど」
伝之助は言うと酒を飲んだ。
羽田は「わかりました」と頷くと決意を固めるかの如く、酒を飲みほした。
「これからの事は分かりました。それで中脇さんはどうでしたか」
優之助は前のめりになって言う。
中脇の事は一番気になっていた事だ。
「瑛介どんは今朝意識を取り戻した」
伝之助が言うと、優之助は全身から力が抜けて崩れそうになる。
「よかったあ」
「じゃ。じゃっどん油断はならん。傷が化膿せんよう気を付けんといかん」
伝之助が言うと、今度は羽田が聞く。
「傷に関しては分かりました。中脇さん自身の気の持ちようはいかがでしたか」
羽田は死と引き換えに一矢報いようとした侍が生き延びた事を心配していた。
なぜなら自身が同じことを経験したからだ。
「そうじゃの、最初は生きちょったこつを恥じるかのようじゃった。じゃっどん話して最後には前向きになった。治ったら小太刀の稽古をつけてくれち言うちょった」
「そうですか。それは良かった」
羽田は安心するとまた酒を注いで飲んだ。
伝之助も注いで飲もうとすると徳利の中は既に空であった。
「優之助、酒がなか」
伝之助が徳利を掲げる。
優之助は見るなり田楽をつまむ。
「買ってるんでしょ、ご自分で用意されたらどうですか」
優之助の言葉に羽田が青ざめる。
「優之助、酒じゃ」
伝之助が無表情でもう一度言う。
「優之助さん、薩摩人に酒を渋るのは命取りです。今すぐご用意を」
羽田が耳元で囁く。
薩摩人に酒を渋ると命取り?
何を言うてるんやと思いながらもう一度伝之助を見る。
伝之助は徳利を掲げて無表情である。
無表情……伝之助が無表情な事があっただろうか。
伝之助はいつも笑みを浮かべている印象だ。
知らない人はその精悍な顔から生み出される笑みが爽やかに見えるだろうが、伝之助を知っているこっちからすると全く爽やかに見えない。
そしてその爽やかに見えるだろう笑みも今は無い。
これはかなり不味いのではないだろうか。
「すぐに用意します」
優之助は席を立ち、酒を用意する。
伝之助に注ぐと、自身の杯にも注いだ。
「あいがと」
伝之助は言うなり酒を啜る。
薩摩人は焼酎と言われる酒よりも濃い酒を普段から飲む。
酒を愛する人々なのだ。
薩摩人に酒を渋るのはやってはいけない事だ。
つまみの田楽を取った時は睨みをくれただけだが、酒を取った時は言葉を発した。
つまみより酒なのだ。
と言うより今更伝之助の新たな一面など知りたくもない。
優之助は乱暴に伝之助の田楽を掴んで食べた。
しばらく何も起こらず過ごした。
伝之助と羽田は毎日裏の庭で剣の稽古に励む。
優之助はおさきの元に通い、情報収集に励むと言う名目で通った。
「優さま、あれから五日程経ちますけど、どないですの」
おさきが心配そうに眉根を寄せて酒を注ぐ。
そんな顔のおさきも美人だ。
「そうやな。今は情報集めで準備中や。もうすぐしたら動きがあると思う」
半ば期待を込めて言う。
優之助自身、はっきりいつ動くか分からない。
「でも優さま、昔みたいにこないしていつものように通(かよ)て下さるのは嬉しいんですけど、お仕事を止めてる事もあるから……」
確かにいつまでも仕事を止めてもらう訳にもいかない。
「そうやな。目処が立ったらすぐに言うわ。心配かけて悪いな」
おさきは納得した様子ではないが、仕方ないとばかりに頷く。
その様子に申し訳ないと心から思った。
しかしどうする事も出来ない。
料理をつまみ、酒を飲む。
おさきが再び酒を注ぐと、口を開いた。
「そう言えば、大山さんはどうされてます」
「羽田さんと剣の稽古に励んでる。伝之助さんも次は後れを取らんよう今まで以上に腕を上げるつもりやろ。羽田さんも剣才溢れる人やから、伝之助さんみたいな日本でも類を見ん遣い手と稽古してたらかなり底上げされるやろな……て、伝之助さんの事がなんか気になるんか」
優之助は目に警戒の色を浮かべて聞く。
おさきが万が一にでも伝之助に惚れるとなると、もうこの世の終わりだ。
「もう、優さまはそないな心配ばかり。大山さんにはこれっぽっちもそないな気はありません。おりんちゃんもおるのに」
さすがにおさきは優之助の下心を見抜く。
優之助は下心を見抜かれた事を恥じるよりも、おさきの言葉に飛び上がりそうな程喜びを感じる。
「いや、そりゃそうやわな。俺の方が良い顔やし。伝之助さんは恐ろしくて粗暴で、薩摩言葉であんまり何言うてるか分からんもんな」
優之助は言って「ははは」と笑う。
おさきはその様子に呆れて呟く。
「はあ……男は顔の良さと違って心意気ですよ」
「ん?何か言うたか」
「いえ、何も……それで大山さんの事ですけど、おりんちゃんが心配してまして」
まさか、伝之助が日高に負けた事がりんに伝わったのだろうか。
「おりんさんの耳に入ったんか」
「いえ、そうではないんですけど、仕事終わりによく送ってくれてたんが最近は来てくれへんけど何かあったんかなと溢してました」
なんと、伝之助も詰めが甘い。
あれ程頻繁にりんを送っていたのに近頃送っていないとは、すぐに何かあったのかと思うに決まっている。
「そうやったんか。伝之助さんも何というか、その辺りは誤魔化す気もないんかな」
「お仕事の事で他言出来へん事はおりんちゃんも承知してるはずです。あれこれ詮索する気はない。けど急に音沙汰無くなったら心配にはなります」
おさきがりんの気持ちを代弁するように言う。
伝之助とりんは鈴味屋の帰り道のみ会うと言う約束だ。
それがなくなると音沙汰無くなってしまう。
心配するのは当然だ。
「そりゃそうやな。わかった。伝之助さんにも言うとく」
「何卒お願いします」
おさきは殊勝に頭を下げる。
妹分のように可愛がっているりんの事だ。
自分の事のように真剣であるのが伝わってくる。
優之助は酒もそこそこに、日が暮れる前に帰る事にした。
帰ると、伝之助と羽田はまだ稽古をしているようで、裏庭から物音がする。
まさか一日中やっているのだろうか。
裏庭を覗くと、二人とも鬼気迫って稽古に取り組んでいる。
二人で対峙してする事もあるようだが、今はそれぞれ別の稽古に取り組んでいる。
ここ五日間、ずっと鈴味屋に通っており二人の稽古を見ていなかったので、あまりの気魄に驚いた。
伝之助は隼人丸を使いこなす為、隼人丸と同様の長さと重さの木刀を用意し、多数木を立てて敵に見立て、裂帛の気合いと共に素早く打ち倒したり、かと思うと一本だけ立て、いかに速く強く初太刀を見舞うかと取り組んでいる。
完成されていたかと思う伝之助の剣は、更なる凄味を帯びている。
これぞ真なる天地両断の剣であろうと思わされる剣だ。
一方羽田は、伝之助と同様多数木の棒を立て、素早く踏み込み突きを見舞う。
突きを実戦で使うのはかなり難しい。
動く相手を自身も動きながら太刀筋を整えて斬り掛かる事さえ難しいのに、突きはその遥か上を行く。
しかし羽田は流れるように動き、刀と一体となって正確に狙った場所を弾丸のように突き倒す。
その美しい技に見惚れる。
理精流の技に天地流の気概が注がれたかのような技で、羽田の剣才と運動神経があってこその剣である。
五日でここまで成長しているとは思わなかった。
優之助は声を掛けられずに二人の様子を見ていた。
実際、余程緊急時でない限り、声を掛けると叱られる。
二人の稽古が終わるのを縁側にて待った。
日が傾くのを合図に、どちらともなく稽古を終える。
二人とも息を切らせて汗だくだ。
「おう、優之助。今日は早い帰りじゃの」
伝之助が例の爽やかに見えるだろうの笑顔で言う。
「ええ、伝之助さんにお話がございまして早く帰って来ました」
「話?ないじゃ」
「いや、まあ一度汗を流して落ち着いてからで結構です」
言うと羽田と目が合った。
羽田はそれと無く頷く。
「それじゃあ僕は町の風呂屋へ行きます」
羽田が気を利かせて言う。
伝之助は羽田に一言詫びると風呂へ向かった。
優之助は茶を用意して居間にて待つ。
程なくして伝之助が現れた。
「お、気が利くの。あいがとな。で、ないじゃ」
座るなり早速伝之助が切り出す。
いつだって前置き無しの男だ。
「今日鈴味屋に行きましてね」
「今日も、じゃろ」
「いや、まあそうなんですけど……」
そこは今ええやないかと思いながら続ける。
「おさきから聞きまして。伝之助さん、松尾様の依頼後からおりんさんを送ってないそうやないですか。仕事帰りにしか会って無かったのに、いきなり音沙汰なくなってえらい心配してるそうですよ」
言うと伝之助が気まずそうに横を向く。
相変わらず男女の事となると弱い奴だ。
「依頼内容の事はおりんさんも口外出来へん事は承知してるはずです。根掘り葉掘り聞く事は無いでしょう。けど何も言わんと心配しますよ」
優之助が言うも、伝之助は黙って茶を啜る。
無視だろうか、何か考えているのだろうか。
しびれを切らせて更に言葉を重ねる。
「今日はまだ間に合います。送ってあげたらどないですか」
伝之助が茶を置くと、優之助を射抜くように見た。
その視線に僅かに体を震わせる。
何か気に障っただろうか。
「日高は強敵じゃ。一度おいは負けちょる。あん時、瑛介どんが助けに入らんかったらおいは今ここにおらん。日高と良くて刺し違え、悪くておいだけが死んどったじゃろ。どちらにしてもりんとは二度と会えんかったかもしれん」
伝之助が一度言葉を切り茶を啜る。
何が言いたのだろう。
だからりんとはもう会わない方が良いとでも言うのだろうか。
そんな事も含めて覚悟を決めたのではなかったか。
「伝之助さん、だからおりんさんと会わないと言う事ですか。やっぱり自分は侍であり、いつどうなるかわからないから会わないと――」
「ちごう」
伝之助が優之助の言葉を遮る。
「おいはまたりんと会いたか。じゃっで会わんでこげんして剣の修業をしちょる」
伝之助は以前なら恥じて言わないだろう事を、恥じる事無く射抜く目を再び向ける。
優之助は今度はたじろぐ事は無かった。
こういう事は本来しっかりと言った方が良いのだ。
「そう言う事でしたか。要するに強くなって生き残る事でおりんさんとまた会えるように修行してると言う事ですね」
「お前にしたらよう理解しちょるの。そう言うこつじゃ」
何かと一言多い奴だ。
「でもそれはおりんさんに言いましたか」
「言うちょらん。ないごてな」
伝之助は本当に分からないかの如く顔を傾ける。
こいつは馬鹿だ。
「いやいや、それ言わな分からんでしょ」
「りんも侍の嫁んなるこつ覚悟しちょる。おいがないも言わんでも察しちょる」
伝之助は悪びれる事無く堂々と言う。
こいつは本当に馬鹿だ。
「伝之助さん、確かに覚悟の上かも知れませんし察してるかもしれませんけど、わかってても言葉にして伝えてほしい事もありますよ。現に心配されてますし」
優之助が言うと、伝之助は腕を組み思案顔となる。
「そげんもんかの」
「そげんもんです」
伝之助の薩摩言葉を真似て返すが、伝之助は特に反応しなかった。
「そうか。そげん言うなら今日送って話せる範囲で話す」
「そうしてあげて下さい」
これでおさきからの頼みは解決した。
りんも心配なのは変わらないが、音沙汰ないよりはいいだろう。
二人の悩める女の依頼を解決したことになる。
優之助も気分が良くなった。