3-2 有機野菜農業(笑)

文字数 9,944文字

4 トップは誰だ
 以上主要栽培方法3兄弟が出揃いました。あとは誰が一等賞なのかを決めるのみであります。早速ひとつずつメリット・デメリットを記述してきましょう。

①有機栽培野菜
 メリットはなんといっても農薬消費量の少なさですね。とはいえそれが他を圧倒するほどのアドバンテージになるかは疑問の余地があります。農薬の有害性は過剰に取り沙汰されすぎているきらいがありますね。
 20世紀中葉にレイチェル・カーソン著「沈黙の春」が上梓されてからこちら、いかなるかたちであれ、農薬を擁護する者は例外なしに極悪人と化しました。確かにあの本が書かれた当時はDDTなど強力な農薬が無分別にばらまかれていたのは事実です。
 しかしそれはもう半世紀以上も前の話です。環境意識の高まりに合わせて農業もスタイルを一新、いまでは慣行作物から検出される農薬は致死量から数光年ほども離れた値へと是正されました(とはいえ「沈黙の春」が環境破壊に対して鳴らした警鐘は高く評価されるべきです。又聞きの上っ面環境保護論にだまされないためにも、ぜひ一次資料にあたってみてください)。
 有機栽培はむろん慣行作物よりは身体によいでしょうけど、上記の通りそもそも昨今の農薬は非常に厳しい含有量および弱毒性を求められているため、歴然たる差はないものと判断せざるをえません。

 次にデメリットですね。一見有機栽培にあかんところはないように思えます。だって自然な栽培方法なんですよ。農業が開発された1万年前にもっとも近いのがこの手段でしょう。
 ここで問題になるのはまたしても〈自然主義の誤謬〉ですね。自然なものが必ずしもよいとは限らない。思い出していただきたいのは、植物の進化戦略であります。
 彼らは動けないぶん、毒物を産生して食用に適さないようみずからを蟲毒へと変貌させるのでした。これは十分品種改良されたはずの野菜にも当てはまります。農薬が適度に塗布されていれば、野菜はうっとうしい害虫にたかられずにすみますので、わざわざ蟲毒化する必要はない。
 ではいっさい、もしくはごく少量しか農薬がないとどうなるか。もちろん害虫をやっつけるために毒を産生しなければなりません。それが彼らの生き残り戦略なのですから。慣行作物と比べてどうも味にちがいがあるぞとお思いなら、それは読者が正しく毒性を感知している証拠でしょう。
 わたしは専門家ではありませんので、農薬と野菜の分泌する毒物のどちらが有害かの判断はできないけれども、有機野菜で健康被害の実例報告が多数あったことは付記しておきます。
 また無視できないデメリットがもうひとつ。それはとにかく価格が高いという点です。農薬をあまり使わないぶん、どうしても害虫駆除や雑草処理の手間が増え、コストを上乗せせざるをえないのですね。
 些細な問題のように思えますが、有機栽培=高価格という図式はのちほど重要な意味を持ってきますので、頭の片すみにでも置いておいてもらえれば幸甚であります。

②慣行作物
 このカテゴリーのメリット・デメリットは表裏一体でしょう。すなわち農薬の使用がメリットにもなるし、デメリットにもなりうる。
 含有量がごく微量とはいえ、さすがに農薬が身体によいということはないでしょうから、蓄積した毒が人生の後半になんらかの影響を与えないとは言い切れません。
 しかし有機栽培の項で述べた通り、農薬を使わない場合は使わない場合で、自家毒問題が出来しますよね。両者がざっくり同程度の影響力を持つと仮定しますと、お互いが打ち消し合ってプラスマイナスゼロと考えてもさほど現実から乖離はしていないはず。MTGの〈対抗呪文〉のようなものです。
 そうなるとデメリットはないとはいえないまでも、狂信的な有機栽培原理主義者たちがのたまうほど身体に悪いわけではない、と結論してよいかと思います。

 順番が逆転してしまいましたが、お次はメリット。慣行作物は大量生産に適した農法ですので、単価は抜群に安い。これはありがたい。いや待て、野菜高くね? というご指摘はもっともですが、これは関税障壁が原因でしょう。
 関税というのは輸入品に課される税のことです。たとえばにんじんの関税が10%で、CIF価格(=商品価格+海上保険料+海上運賃)が100,000円だとしましょう。計算は簡単です。100,000*0.1=10,000。1万円が関税として徴収されるのですね。
 関税が高ければ高いほど輸入品の価格競争力は失われます。オーストラリアあたりで耕地面積にものをいわせて大量生産されたにんじんがアホみたいに安くても、関税率が高いと非効率な国産野菜に負けてしまうこともありうる。
 この例のように関税は自国産業を守る目的で導入される税なのですね。わたしは関税なんか全部撤廃してしまえばよいという自由貿易論者ですが、国内農家の名誉のために付言しておきます。すべての野菜が関税で守られているわけではありません。
 ただ一部ものすごく高関税率の野菜があるのも事実です。〈農業は聖域〉と呼ばれるゆえんですね。なぜ農業を優遇するのか? そりゃあなた、農業従事者は高齢者が多いし、高齢者は投票率が高いし、目をかけてやれば便宜を図ってくれた政治家へ票が(以下自粛)。
 とにかく慣行作物は基本的に低価格。これがメリットでありましょう。

③遺伝子組み換え作物
 最後はこの子、問題児たるフランケンシュタイン野菜ですね。まずメリットからいきましょうか。
 メリットはなんといっても安さですね。耐虫性、耐寒性などを付与されているおかげで農薬散布や温室建設の手間が省けたぶん、価格競争力は群を抜いています。これは慣行作物をも超える安さであります。日本にもけっこう入ってきていて、家畜動物の飼料や加工品(しょうゆなど)というかたちで売られていますね。
 嘘つけ、表示を見ても〈遺伝子組み換えでない〉ばっかだぞ? それは直接販売したケースの話。日本の規制ではすりつぶすなどして加工したもの(大豆とか)は表示義務がないのですね。ですからしょうゆなんかはほとんど遺伝子組み換え大豆が原料だと思われます。
 てめえふざけんじゃねえ、そんなもん食わせやがって! という原理主義者の怒りの声が聞こえてきそうです。文句は官僚へ言ってください。彼らが表示義務はないと判断したんですから(こういう人に限って官僚さまが決めたと聞くと、「あ、そうなの。じゃあいいや、ごめんごめん」とか言って引き下がるんですよね。

。これが日本人のソシオグラマーであります)。
 メリットは安さだけではありません。安定した供給量、有用な栄養素を付与された品種、その他いろいろ枚挙にいとまがありません。ゲノム編集という新技術が誕生した昨今、これから遺伝子組み換え作物のメリットは指数関数的に花開いていくでしょう。
※余談 これまでの遺伝子組み換えはある程度あてずっぽうの技術でした。有用遺伝子を組み込む作業は細菌が持つプラスミドという環状DNAをベクターにしていたのですが、これがなかなかうまいこと挿入できない。けれども2013年、CRISPER CAS9というゲノム編集ツールが開発されまして、これがまあすごいのなんの。ガイドRNAを使って自在に二本鎖切断酵素を導入し、遺伝子のノックアウト・ノックインが容易にできるのだとか。まったくたまげますね。

 お次は待望のデメリット。当該カテゴリには虚実入り乱れて実に多くのデメリットが指摘されております。代表的なものをいくつか取り上げてみましょう(あくまで取り上げる価値のあるものを、ですが……)。
⑴ 近隣への播種および野生種との交雑
 遺伝子組み換え作物の収穫過程において、種子が飛散する可能性はもちろんあります。それらが風に乗ってふわりと漂っていき、空き地に軟着陸、そのまま発芽してしまうことがあるのでは?
 それだけならまだしも、その邪悪なフランケンシュタイン野菜が類似の植物と交雑し、見るもおぞましいサイボーグ植物ができてしまうのでは!?
 こうした懸念には一理あります。サイボーグ植物ができあがる可能性は0ではないし、100万回に1度程度の天文学的に小さな値でもないでしょう。とはいえそれが実現する=即破壊的な影響ということにはならない。
 あなたのおうちの周辺に多少遺伝子の異なる植物が生えたところで、なにか実害がありますか? 野生種と掛け合わさって学名のない新種ができる。こんなことは自然界でいくらでも起こっているはずです。それが遺伝子組み換え作物がやらかすとなぜだか猛烈な勢いで叩かれる。どうにも公平な態度とはいいがたいきらいがあるように感じます。
 生態系が乱されると地球のバランスがうんぬん理論はなしですよ。1章の付録で片づけてありますよね(なんという先見の明!)。そうなると本項で定義された問題の具体的なデメリットが立ち消えてしまった感があります。

⑵ 人体への影響
 生態系なんかは正直なところどうなったってかまわないという読者も、こちらはいよいよ深刻です。ふだん食べなれていない改造野菜を食べれば、身体になにかしらの影響があると不安がるのは理にかなっている。
 食中毒の源泉かもしれない。発がん性物質の総元締めかもしれない。疑い出せばきりがありません。さあそこで事実はどうか? 消費者団体のみなさまがたには納得いかないでしょうが、いまのところ遺伝子組み換え作物による

健康被害は報告されていません(なぜ傍点を付したかといえば、

健康被害はいくらでも起こりえるからであります。食べすぎたり、へんな調味料を大量にふりかけたりすればね)。
 これはちょっと考えてみれば容易に理解できます。遺伝子組み換え作物とその他の野菜の相違点は要するに、塩基配列のちがいに還元できます。配列が異なるので翻訳されるタンパク質を始めとする構成要素も若干異なる。
 で、それがどうしたというのでしょうか。食物は原則、胃でバラバラに消化されてしまうのですよ。よくコラーゲン含有の食物がお肌によいとか聞くでしょう、あんなもんたわごとですからね。たわごとの見本市に並べられるくらいの。
 コラーゲンをなんぼ摂ったところで、それらはすべて消化されてアミノ酸にまで解体されるわけです。その後あらためて体内で合成されるのですね。ですから原料にはなれど、摂取分が直接お肌の構成要素になったりなんかはしない。
 これと同じことが組み換え作物にもいえます。既存作物とのわずかな変異なんぞは胃にとってはどちらもおっつかっつであり、最終産物――すなわちアミノ酸の原料にすぎない。そんな些細なことを気にするよりも、お菓子の食べすぎ、運動不足、不規則な生活などを改めたほうがよっぽど寿命は伸びるかと思われますが、いかがでしょうか?
 まったく影響がないといっているわけではありません。むろんあるに決まっています。ここのところを誤解している人が多いのですね。遺伝子組み換えに従事する科学者に聞いてごらんなさい、リスクはありますかと尋ねられて、ぜんぜんないですと答える人はいませんよ。こういううかつな受け答えをするのは政治家や広告代理店の人間です。
 なぜ尋ねる人種が異なると回答も異なるのか? 科学者はゼロリスクなどというバカげた概念が存在しないことを百も承知なので、ありのままを述べる。推進派の人びとは少しでもリスクがあると理解を得られないと思って口当たりのよいお追従をぶってしまう。で、科学者に聞いたらリスクがあるというじゃないですか! 陰謀だなんだと右へ左への大騒ぎになる。
 推進派の捨象はむろん論外ですが、これは情報を受け取る側の消費者もちゃんと勉強しなければだめです。本件に限らずあらゆる技術には必ずリスクがつきまといます。クリーンだからといって原発が最上のツールでないのと同じことです。リスクはつねにある。それを便益と天秤にかけて使う価値があるかどうかを判断する。単純にそれだけの話です。
 で、結局人体への影響評価は? 本項で述べた通りです。些細なちがいは胃のなかでアミノ酸まで分解され、区別がつかなくなるでしょう。

⑶ 寡占市場
 遺伝子組み換え作物の研究は非常にリスクの高い商売です。法規制の厳しい業界はどこでもそうですが、政治家や世論のうつろいやすい時代感覚でほいほい内容が改正されるのですね。
 たとえば中古車輸出なんて典型的な水物マーケットですよ。日本の中古車は頑丈なので海外で人気が高いのですが、自国産業保護の名目で輸入地の政府がいきなり規制をかけたりする。前月までフリーパス状態だったのに、当月から突如として関税率30%、輸入者のライセンス取得必須、年式2013年以上とか、こんな蛮行がまかり通っているのですね。
 規制がかかれば当然、マーケットは冷え込みます。ですから中古車輸出は非常にリスクが高い。それを単一の業として生計を立てていると、ある日気づくとおけらになっていた、なんてことになりかねません。
 これと同じで遺伝子組み換えも、いままでAという技術はカルタナヘ法対象外だったのに、朝起きてみると朝令暮改、めでたく対象になってしまっていた、なんてことはざらにあります。こういう浮気性の女性のような法令に倦まずたゆまず付き合っていくには、リスクを吸収できる巨大な資本が必要です。自転車操業では法令が改正されたその日に廃業、なんてこともありうる。
 多少の法改正くらいではびくともしない企業、巨大な資本力を持つ企業、それの意味するところは寡占、独占であります。
 それに加えて遺伝子組み換え作物の研究というのは、中古車輸出みたいに誰でも明日からほいほい参入できる分野ではありません。資本だけなら億万長者であればかき集められるでしょうけど、自前の研究室、優秀な人材、ノウハウを一朝一夕で準備し、あまつさえ収益を上げるとなると参入障壁の高さは天文学的な高さになりそうです。
 おのずから市場はむかしから地道に研究を続けてきた数社のみが寡占するようになってしまう。マーケットの占有状況は好ましい順に、不特定多数の企業→寡占→独占ですので、現状が必ずしもよいとはいえないでしょう。
 さらに寡占を促進するのが種子の販売にかかわる問題。野菜や果物をご自分で育てたことのあるかたならわかるかと思いますが、作物は種を無秩序に土へ突っ込んだからといって、魔法みたいににょきにょき生えたりはしません。
 これは肥料とか農薬とか以前の問題です。そもそもまともに発芽する種子自体がほとんどないのであります。植物はr戦略、すなわち大量に花粉なり種なりをまき散らして、そのなかのごく一部が生き残ればいいやという数撃ちゃ当たる方式で繁殖しています。
 したがって個々の種子の品質は非常に悪い。安かろう悪かろうなのですね。一面稲穂の垂れた燃えるような秋の日、玄米はぼろぼろこぼれているけれども、翌年にうまいこと次世代が育つかというとぜんぜんそんなことはない。なので稲作農家は農協から苗を毎年購入しているわけです。
 通常の慣行作物ですらそんなありさまなのですから、導入遺伝子(へんなもん)をくっつけた遺伝子組み換え作物がまともに発芽する見込みはほとんどゼロに近い。農協と同様、海外のファーマーたちはべらぼうに高い苗を寡占企業から購入せざるをえないわけです。
 こればかりはちょっと擁護できません。多数の企業が寄り集まったマーケットでは、企業が主体的に価格を決めることができない=プライステイカーに甘んじなければなりません。この状況が経済学的にもっとも好ましいのですね。
 とはいえ寡占とか独占は狙ってできるものではなく、あくまで状況が許せばそうなるというだけの話。邪悪な資本主義者がぼろ儲けしてやろうと画策したのではなく、規制に振り回された同業他社が気まぐれなFDA(アメリカ食品医薬品局)に嫌気がさして撤退していった、というのが真相でしょう。
 アメリカは公平な競争を促すため、反トラスト法という日本でいうところの独禁法があって、非常に厳格に適用されております(日本で建設業者の競争入札における談合が、文化だの共存共栄だのと美辞麗句で糊塗されて消費者に負担を強いているのとは対照的にね)。
 しかしほかでもない自分たちの規制によって、やったらあかんと口を酸っぱくしてお説教している寡占状態が生まれているのですから、世話はないですよね。行政はもっと横断的かつオープンに話し合いの場をもって、自分たちの規制がどのように相互作用するか研究しないとだめです。
 話が若干それたけれども、本項の寡占問題については改善の余地ありでございます。規制緩和による参入障壁の撤廃。まずはこのあたりを目指すべきでしょう。

 以上長々と代表選手のメリット・デメリットを概観してきました。いよいよ気になる順位発表であります。総合的に判断して、

1位 遺伝子組み換え作物
2位 慣行作物
3位 有機栽培作物

上記の通りとなりました。いかがでしょうか。納得いただけましたでしょうか。おそらくふざけんじゃないよという人がおられるかと思いますので、順位づけの根拠をお示ししていきましょう。
 わたしは当該順位を①生産性、②価格、③健康面の3点で評価しました。食料はおおむねこれらがどれだけ優れているかが重要だと判断したためです。
 ①生産性とはその名の通り、耕作地の単位面積あたりの栽培量がどれだけ優れているか、であります。各項で述べた通り、トップは耐虫性や耐寒性を備えた遺伝子組み換え作物に軍配が上がるでしょう。次点で慣行作物、生産量最下位は有機栽培ですね。この点には異論はなかろうかと思います。
 ②価格についても①と同じ順位でしょう。遺伝子組み換え作物が日本にも大量に入ってきている点から見て、価格競争力に一日の長があるのは明らかです。次点で慣行作物。べらぼうに安くはないけれども、一般人に手が出ないほどではない。最下位はまたもや有機栽培。手間暇かけて育てられているので、まあ高い。よほどのブルジョワジーでなければ陳列棚に近寄ろうともしないでしょう。
 最後に③健康面。これの評価は難しい。各項にて慣行作物と有機栽培は互いに打ち消し合って同程度の水準ではないかと示唆しました。問題は遺伝子組み換え作物。これといった健康被害の報告はないけれども、だからといって絶対安全だとは言い切れません。さんざんしつこく書いた通り、どんなものにもリスクはあります。断言します。ゼロリスクなんてのは神話であります。
 それを門外漢のわたしが定量化するのは至難の業ですので、本節ではざっくりどの選手にも摂取するにあたり検出不可能な程度のごく些細なリスクがあるとします。平たくいえば全部同程度のリスクということです。健康面については優劣なし、どの選手も同着1位ですね。

 おおむね納得いただけたと信じます。わたしは農家ではないですし、どの陣営が儲けたとしてもなんらかの金銭授受が発生するわけではない、純粋な第三者であります。できる限り公平に評価しました。あとは読者諸兄姉のご叱正を待つばかりです。

5 有機栽培推進者へのメッセージ
 途方もなく長くなってしまった本章を締めくくるにあたり、わたしは自然がいちばんとおっしゃるあなたがたへ向けてぜひとも言いたいことがある。
 本章でわたしは自然主義の誤謬、遺伝子組み換え技術への過度の恐怖感を払拭できたと信じたい。けれどもおそらくあなたがたは、ろくすっぽ証拠も提示されていない本論稿には屈しないでしょう。従前と変わらず有機栽培が至高であると喧伝し続け、遺伝子組み換え作物を駆逐しようとロビー活動に精を出すのでしょう。
 あなたがたが有機栽培野菜を信奉するのは自由です。どうぞ高いお金を払って食べ続けてください。しかし科学的根拠もないくせに遺伝子組み換え作物を攻撃し、マーケットから取り除こうとする姿勢、これだけは断固として抗議したい!

 あらゆる科学的データが無視され(環境関連の議論ではしばしばあることです)、遺伝子組み換え作物のイメージが底冷えし、有機栽培野菜に需要が集中したとします。なにが起きるでしょうか。
 答えは発展途上国における大規模な飢饉であります。まさかと思われるでしょうが、以下のフローを検討してみればあながち放言ともいえない可能性に気づかれるはずです。
 自然主義の誤謬にすっかり陥っている有機栽培信奉論者の人びとが、FDAに発言力のある上院議員へ組織的なロビー活動をおこなう。政治家の仕事は市民へ便宜を図ることですから、それが通り、規制が厳しくなる。
 そこまでうまいこといかないにしても、なんれかの商品に欠点がある! という主張は無批判に受け入れられがちです。ある仮説に対しての反論、ないしは批判というのはそれだけで真実のように思えてしまうのですね。アポロ宇宙船が実は月に降り立っていないなどという途方もない与太ですら無視できない影響力を持っている事実からも、反論というだけで即座に承認されやすい傾向を持つことがわかります。
 規制が厳しくなったり、マーケット(情勢的に欧州大陸やわが国が筆頭候補)が冷え込めば当然、遺伝子組み換え作物は栽培されなくなります。規制によってコストがバカ高くなっているうえに売れないとあれば、生産する意味がありませんからね。需要がないものは作られない。当然のなりゆきです。
 先進国の消費者ははてなと首をかしげます。前々から天候不順や収穫量の多寡なんかで価格が変動することはあったけれども、最近はどうもおかしいぞ、恒常的に高いままじゃないか、さては農家の野郎どもめ、俺たちから搾取する腹積もりだな?
 むろん野菜価格の高騰は遺伝子組み換え作物の供給量が低下したために起こっているのですが、それに気づかない一部の――一部であってほしいものです――消費者はぶつくさ文句を垂れるでしょう。ほかでもない自分たちでフランケンシュタイン野菜などとレッテルを貼っておいてですよ。
 先進国への影響はこの程度ですみますが、問題は第三国であります。彼らは日本のように豊富な外貨を持たないので、原則的に輸入品はぜいたくに分類されます。日本も円が1ドル360円とか、ものすごく安かった時代はそうだった。バナナとかパイナップルは高級品でしたよね。
 いままで彼らは安く遺伝子組み換え作物を輸入できていたのに、突如としてアホみたいに高い有機栽培野菜が幅を利かせ始め、面食らってしまう。食料を自給しようにも貧農がめいめい自分の土地を鋤と鍬で耕す前時代的な農業ですので、とても従前どおりの安定供給は望めない。
 その後やってくるのは恐るべき飢饉であります。このシナリオのなにが恐ろしいのかといえば、まったく不必要かつ、不可避ではない点です。これはまぎれもない人災であり、あえて強い言葉を使えば一種の大量虐殺であるとさえいえる。
 誰の? そう、有機栽培信仰をお持ちのかたがたです。わたしは彼らが貧しい人びとを皆殺しにする意図で当該思想を普及しているのでないと信じています。科学的知識の欠如と〈自然がいちばん〉という誰もが陥りやすい陳腐な概念を盲信しているだけなのだと。
 なぜ彼らは自分たちだけ有機栽培野菜を消費することで満足しないのでしょうか。なぜ他人の嗜好にまでおせっかいにもくちばしを突っ込んでくるのでしょうか。率直に申し上げてありがた迷惑なのですよ。黙っていてほしいのですよ。
 純然たる善意なのかもしれません。利他的な博愛精神なのかもしれません。では聞きますが、意図が崇高ならなんでも許されるのですか。障碍者を現世の苦しみから解放してやったなどとのたまい、大量殺人をやらかしたのがいましたよね。彼の行為は犯罪で、組み換え作物への攻撃はそうでないのですか。あえて断言します。


 百歩譲って組み換え品になんらかの害があるとしましょう。微々たる毒素が積もり積もって晩年にガンなりアルツハイマーなりを発症するとしましょう。しかし飢えた貧しい人びとにはそもそも晩年なんかないのですよ。彼らは今日明日の飯に困っているのであって、老後という概念すら想像できないような平均寿命の環境にいるわけです。
 世のため人のために活動するのはまことにけっこう。しかしいま一度、それがおよぼすかもしれないカタストロフィにまで思いをはせてほしいという切なる願いを込めて、本章を終わりたいと思います。
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