3-1 有機野菜農業(笑)

文字数 7,307文字

 前章では恐るべき侵略者たちが日本へいくら押し寄せようとも、なんらの実害はないのだということを論じました。3章では2章でちょっとだけ触れた自然主義の誤謬および、それにもとづく有機栽培信仰を打ち砕いていく予定です。

1 進化論的に見た野菜
 本論に入る前に、うざったいうんちくを少々予備知識としてお納めいただきとうございます。ずばり野菜とはどのような成り立ちをもつのか、という物語であります。
 なぜそんな退屈極まる知識を吸収せねばならんのだ、というご指摘はもっともです。簡潔にお伝えしますので、しばらくご辛抱いただければ幸いです。

 普段われわれが野菜と触れ合う機会といえば近所のディスカントストア、せいぜいよくてもベランダにこしらえた小規模農園といった程度でしょう。要するになんにも知らない(わたし含めてですよ)。とうもろこし、ほうれんそう、にんじん、じゃがいも。種々雑多な野菜はいったいどのようにして誕生したのでしょうか。
 野菜とは実のところ、最初はそこらの雑草と見分けのつかない、とても口に入れられないようなしろものでした。これはちょっと考えてみればすぐに理解できます。自身の生存を最優先に進化してきたはずの植物が、人間にだけ特異的に食べられやすい味をしていなければならない理由はありません。
 進化論的に考えればその逆、すなわち非常にまずく、もさもさしていて口当たりも悪いはずなのです。そして実際、品種改良される前はそうだったのです。
 農業が始まったのはおよそ1万年ほど前だとされています。それにともない狩猟採集をする移動型小規模集団から、人類は一か所に定住する都市化戦略を採用します。これは大勢の人間を養うのを可能にするいっぽう、密集による病原菌の感染がはびこり、一長一短の結果を残しました。この時点で人類はウイルスや細菌と付き合っていく道を選んだともいえるでしょう。
 さていまわれわれが口にしているお野菜は、メソポタミアの肥沃なデルタ地帯や、中国の黄河周辺などで生まれたようです。かれこれ5,000~6,000年前のできごとになる。
 当時のファーマーたちは当然のことながら遺伝子なんてご存じなかったけれども、なんとなく似たような形質を掛け合わせれば子孫もそうなっていくことには経験的に気づいておりました。そうして長い時間をかけて何度も選抜育種を行い、徐々にとうもろこしやレタスがいまのかたちになっていったのですね(オオカミもこの論法で現在のイヌに分岐したことは周知の通りです)。
 とうもろこしの野生種(の近縁)を見たことがありますか。まったくの別物ですよ。たわわに実った黄色いコーンは影も見られず、とても食べようとは思えないようなしろもの。品種改良でここまで姿が変わるとは驚きですね。
 現在栽培されている野菜はすべて、大むかしの知的なファーマーが作り上げてきたものです。少しでも食べやすく育てやすい野菜をわれらに! いつでも技術革新を促すのは消費者からの熱烈な需要が起爆剤になるのですね。
 ではなぜそもそもそうした努力をしなければならなかったのでしょうか。どうして野生の草を引っこ抜いてそのまま食べなかったのか? それは植物の自衛手段に起因します。
 植物は動物と異なり、みずから移動せずにエネルギー消費を節約する戦略を選んだ種族です。どっしりと地に根を生やし、太陽エネルギーを利用して水素と炭素を合成する。とはいえ彼らも黙ってやられてばかりではありません。動けないなら動けないなりに自衛する手段がある。
 見捨てられた中央アルプスの登山道(上松Bコースとか)なんかに分け入りますと、高確率でものすごい藪になっていますね。そんな藪のなかに茨が混じっているとまこと往生します。服ごと素肌が切り裂かれ、藪を抜けたあとは無数の裂傷を負った瀕死の兵隊といったありさまですからね。茨はみずからを武装することにより外敵を寄せつけない戦略を採用したわけです。
 またそこらあたりに生えている植物を生食しますと、たいていものすごく苦い。これも自衛手段の一種です。苦みを生産して自分を食用に適さなくしているのですね。あれは一種の毒物といえるでしょう。代表的なのはじゃがいもですね。芽が出てしまえばもうアウト、恐るべきトキシン・ボックスと化します。

 まとめますとこうなります。食用の野菜は紀元前から連綿と品種改良されてきた遺伝子組み換え作物である。現在の野菜は極限まで食用に耐えうるよう改善されてきた、ファーマーの血と汗の結晶である
 長々とうんちくを垂れてしまいましたが、上記の議論を心の片すみに置いておいてください。

2 慣行作物と有機農業
 さてお次は農業の形態について。この節は(リサーチ不足もあり)短めで切り上げますよ。用語の整理だけにしておきましょう。
①慣行作物
 このカテゴリーに分類される野菜は、われわれがスーパーマーケットでトン単位の量を購入している〈ふつうの野菜〉であります。農薬を使って商品価値を高めた、見てくれのよいおいしい野菜。よほどのこだわりがない限りは、みなさん慣行作物を食べておられるかと思います。
 もちろんわたしもそうです。慣行作物のできのよさを思い知らされるのは、実家へ寄ったとき。実家では定年退職後の余暇のあり余った両親が第二の人生を楽しんでおりまして、登山、健康体操、バンド(この年代は例外なくグループサウンズやフォークソングに凝っていたせいで、3人に1人はなんらかの楽器を操作できるのですね)に精を出しているようです。
 そしてもちろん、田舎人としての必修科目、自家製ミニファームの運営もたしなんでいるのですね。実家は最果ての地にあるため土地が余っており、二束三文で手に入ります。それをいいことに畑が開墾され、さらに亡くなった祖父母が遺したべつの畑もある。そうなると自力で野菜の栽培を始めるのはほとんど必定であります。
(余談ですが、ここで田舎住まいの幻想を打ち砕くエピソードをひとつ。両親はある日、地区の村長から次のように申し渡されました。「寺の南に誰も使っていない土地が余ってるが、あんたらどうするね?」。この台詞は次のように読み替えられます。「この土地を使って農業をやるよな? さもないと……」。田舎ではこのように固定化された価値観が蔓延しており、それにしたがわない者は例外なく村八分にされるのであります。両親はやむなく石ころだらけの土地の開墾に着手しました。都市部に暮らす移住希望者のみなさんはよくよくご再考願います)
 自家製ミニファームで収穫があった時節にひょっこり帰省すると野菜を持っていけとしきりに勧められ、気迫に押されてやむなく持って帰るのですが、やはり見栄え、味ともに慣行食物には遠くおよびません。にんじんはやせ細った病人のようですし、みかんは酸味が強すぎてとても口に合わない。

②有機栽培
 これは慣行作物のように農薬をジャブジャブ使うのではなく、ごく控えめに使っただけの自然な農法で栽培した野菜、と定義できます。有機栽培が純粋に堆肥だけで育てられているというのはよくある誤解です。農薬も多少使っているし(農薬を使わずに育てればどうなるのかは、実家の野菜が哀れを催す見た目だったのを想起すればよいでしょう)、害虫まみれになってしまう。
 とはいえ慣行作物に比べれば農薬や化学肥料の消費量は微々たるものです。そこが売りになっており、高級マーケットでは専用のブースがあったりするそうです。そこへヴィーガンやらベジタリアンやら農薬=毒物信奉者が群れをなしている由。

3-1 遺伝子組み換え作物予備知識
 これについては少し詳しく見ていきましょう。先の2つよりは知識もあるので、自信を持って議論できるかと思います。
 遺伝子組み換え作物とはそもそもなにか。日本では非常に悪いイメージばかりが先行して、建設的な議論ができていないかと推察しますので、あくまで中立的に書いていくよう心がけます。
 とりあえず遺伝子からご説明しましょう。遺伝子を説明するとなるとゲノムとの区別をしなければならない。このようにこの分野は入れ子構造になっており、みなさんに素人の生物学談義聴講を強要する結果となるのです。わたしの責任ではないので、しばし辛抱いただきとうございます。
 ゲノムとは、その生物を構成する全遺伝子の集合体、と定義できます。酵母菌なりネコなり人間なり、いかなる生物もそれを構成する独自の設計図を持っています。それをゲノムと呼ぶわけです。
 次に遺伝子ですが、これは非常にお伝えしづらい。よくいう人間の遺伝子は染色体中の5パーセントしかなく、ほかはジャンクであると聞きますね。あれはいったいどういう意味なのでしょうか。
 細胞の内部には核という部分があります。その内部に染色体が23対46本あるわけです。染色体を拡大すると、ヨーヨーみたいな円形の物体がいくつもくっついていて、塊を形成しております。これをヌクレオソームと呼び、これが多数凝集して染色体(クロマチン構造)をなしているのですね。
 このヌクレオソームをさらに拡大すると、細長い紐がドラムみたいな4つ組の物体に巻きついております。ドラムはヒストンというタンパク質で、紐が絡まってわやにならないよう糸巻き機の役目をはたしております。
 そしてヒストンに巻きついている紐こそがお待ちかね、2本の鎖がらせん状に交差したしろもの、DNAの二重らせんというやつです。ですから染色体とはDNAの紐がぐるぐる巻きになって格納されている、という理解で大筋は大丈夫なはずです。
 この紐を構成しているのが、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の4塩基であります。この4塩基には相補性があって、A-T、C-Gでしか結合しないしくみになっているのですね。これら塩基が水素結合でひっつきあい、リンを主成分とした2本の紐をねじれさせながらひとつにまとめていると。

 ここまでよろしいでしょうか。で、だからどうなんだよ、という話ですよね。この塩基が3つ組み合わさるとアミノ酸になります。アミノ酸同士が組み合わさるとポリペプチドになり、さらにポリペプチドが特定のかたちに並んで折りたたまれると、機能性タンパク質――すなわちわたしたちの身体を構成している基本分子になるのですね。
 この基本分子たるタンパク質を作り出す塩基配列、この部分を遺伝子と呼んでいるわけです。専門的にはエキソン、それ以外をイントロンと呼んでいますね。DNAは途方もなく長い物質です(直線にすればなんと2メートル以上にもなる! それが顕微鏡サイズの細胞内に格納されているのですから驚きです)。そのすべてが遺伝子ではなくて、ある一部分、すなわち全体の5パーセント程度がタンパク質翻訳要員なわけです。遺伝子はDNAの各所に点在しておりまして、模式的に表せば、

□□□■□□■□□□□□■■□□

という具合でしょうか。□が非遺伝子、■が遺伝子とご理解ください。

3-2 付録 セントラルドグマ
 遺伝子がタンパク質に翻訳される詳しいしくみを知りたいかたは、以下をご覧ください(そんな読者がいるとは思えませんが……)。そうでない読者は本節を読み飛ばしていただいても支障はありません。
 DNAはタンパク質へと翻訳される際、以下の流れで推移します。

 DNA→mRNA→タンパク質

 DNAは2本ありますので、そのままでは使えませんね。そこでまず酵素によって1本鎖に切断されます。片方だけがmRNA(メッセンジャーRNA)というリボ核酸へ変化します。その際にTがU(ウラシル)へ変わり、これにて翻訳の準備が整いました。
 3-1節で書いた通り、遺伝子は点在しているのでした。そこでイントロンを除去し(=スプライシング)、エキソンだけをつないでしまうわけですね。模式的に表せば、

□□□■□□■□□□□□■■□□ → ■■■■

となります。mRNAは遺伝子のみの無駄のない情報といえるでしょう。
 さて4塩基は3つでひとつのアミノ酸をコードしています。なんのこっちゃというかたは、ネットで「遺伝暗号表」とでも検索してみてください。いま検索を面倒くさがらなかった読者がご覧になっている表のように、塩基配列によって生成されるアミノ酸が異なる、とだけ押さえておけばひとまず十分です。
 この3つ組をコドンと呼び、暗号の基本単位として扱います。たとえば、

 CUUAUCGCU

という並びであれば、ロイシン、イソロイシン、アラニンというわけですね。このように塩基の並びによって生成されるアミノ酸が変わるのですね。対応した塩基によってアミノ酸が変わるので、翻訳と暗号という表現を使っていると。
 mRNAの並びはリボソームというタンパク質製造工場で読み取られ、対応するアミノ酸がtRNA(トランスファーRNA)によって運ばれ、順繰りに合成される。これが数珠つなぎになって組み合わさってポリペプチドになり、さらには分子シャペロンなどの折りたたみ補助要員の力を借りて特定のかたちに折りたたまれ(=フォールディング)、最終的に人間の身体を構成するタンパク質になるわけです。
 このDNAからタンパク質の流れをセントラルドグマ(中心教義)と呼び、逆はないものとされています。だから中心教義。外界の影響でタンパク質の変成があったとしても、それがDNAまでさかのぼって設計図を変えたりはしないと、こういう意味であります。
 付録で余談を書くのははばかられるけれども、最近はこのDNA絶対主義が覆され始めているとだけ付記しておきましょう。生物体はDNAの通りに構成されているのは依然としてまちがいないのですが、その発現はいろいろな物質によってオン-オフが制御されているらしいことが判明したのです。
 シトシン塩基にメチル基がくっつくと遺伝子の発現がオフになったりオンになったりする。さらにそれは外部からの影響で起こることもあるらしく、主流派から徹底的に否定され続けてきたラマルクの獲得形質の遺伝ではないかと議論されております。
 この新分野はエピジェネティクスと呼ばれ、いま生物学界隈でもっともホットな研究領域であるともてはやされております。わたしも門外漢ながら注目しています。

3-3 遺伝子組み換え作物とは
 2節も費やして退屈な素人談義を展開しましたので、読者とのあいだにある程度の共通理解が生まれたものと信じます。
 遺伝子組み換え作物は日本やヨーロッパ大陸でまこと悪評ふんぷんで、なにか悪魔の造った食べもののように思われているふしがある。では実態はどうでしょうか。
 なぜそもそもこんな怪しいしろものを作らねばならないのか。なぜ有機栽培とまではいかなくても、慣行作物で我慢できないのか? ずばりさらなる収穫量の増量、および農薬の削減がねらいなのでした。
 収穫量からいきましょう。どのように増量するかといえば、いくつか方法がございます。単純にとうもろこしの実を多くつけさせるとか、農薬耐性を付与して破損率を低下させたりといったのもありますね。
 たとえばある種の農薬を散布する際、作物には無効で、雑草にのみ効果があれば散布の仕分けの手間が省けます。農薬耐性をつけることにより、雑草だけを選択的に枯らすことができるのですね。

 削減のしくみに移りましょう。農薬は1回だけでなく、たいていは収穫までに何度も散布するのが通例です。作物からエネルギーを横取りする雑草は執拗に生えてくるので、都度枯らす必要があるためです。これは作物の農薬凝集率を高めるだけでなく、コストの増大も意味します。
 誰も農薬だらけの毒物みたいな野菜を食べたいとは思いませんし、値段も高いより安いほうがよいに決まっている。この問題を鮮やかに解決したのが対虫性の付与というアイデアでした。
 作物はある菌類が分泌する毒物産生遺伝子を組み込まれます。すると菌類と同じように毒物が作られ、それを食べた害虫はイチコロというしくみですね。この毒物は人間にはまったく無効なので、選択的に害虫を遠ざけることができるわけです。

 上記のような例以外にも、作物に有用な栄養素を組み込むというのもあります。途上国ではビタミンAの摂取が不足しがちでして、そのせいで視力に問題のある子どもが続出している。
 そこで主食のコメにビタミンを入れてしまうというアイデアが生まれました。これがゴールデンライスですね。コメだけ食べていれば必須栄養素をまるごと摂取できてしまう。貧しい人びとは栄養学なんかを学んでいる時間も金もないので、効果は絶大である由。

 おおむね以上のような特殊能力を付与されたのが遺伝子組み換え作物であります。
 それをどのようにやるかというと、3-2節で長々と論じた塩基配列を組み替えて、最終的に有用な効果が現れるようなタンパク質を作り出すわけです。たとえば菌類の遺伝子を解析して、毒物産生パートをそのまま組み込むのですね。
 DNAの便利なところは、それが全生物共通の基幹OSである、という点であります。1章で書いた通り、現生生物はたったひとつの祖先から分岐してきました。その祖先がDNAによる情報保存を採用していたため(そして当該システムが非常に有用だったため)、以後の進化で連綿と受け継がれてきたのです。
 システムが共通ですので、上記のように遺伝子の切り貼りにともなう互換性の相違は存在しません。JIS規格によってネジの寸法が統一されているようなものです。すべての生物が同一の遺伝暗号表を利用し、使用塩基は4つのみ。完全なデジタル情報ですので(わたしを袖にしてきた女性たちのように)あいまいなところもない。遺伝子組み換え分野にとっては願ってもない統一規格であります。
 まとめますと、遺伝子組み換えというのは要するに、塩基配列を変更したり外部からまるごと導入したりすることにより有用なたんぱく質生産を作物にやらせる技術、と定義できます。
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