3.浩太の幼馴染、美鈴の頼み
文字数 3,253文字
次の週の火曜日、職員食堂でB定食を食べてると、あたしより5~6歳年下に見える可愛い女の子がしずしずと近づいてきた。女の子はあたしの前で足を止める。誰だ? まったく、見覚えのない顔だぞ。
「あの……、失礼ですけど、M2018さんですか?」
女の子が遠慮がちに尋ねる。
「そうだけど、『小梅』と呼んでもらった方が、気分がいい」
「小梅先輩、私は、M2488、美鈴と言います。浩太と同じ養育所で育った同期で、幼馴染ですす。ちょっと、失礼していいですか?」
「いいけど、浩太の幼馴染が、あたしに、何の用?」
M2488が、あたしの向かい側の空席にすわった。食事は、持っていない。
「差し支えなかったら、『美鈴』と呼んでもらえますか?」
と照れたように言う。
「美鈴ちゃん、いい名前ね」
美鈴が、
「浩太が、小梅先輩に変な相談して悪いことしたって、気にしてました」
と言った。あたしは、先週、寄りによって海老フライを食べている時に浩太に相談を持ち掛けられた事を思い出した。なるほど、それで、この子があたしを知ってるわけだ。
「こっちこそ、せっかく相談してくれたのに、役に立てなくて悪かった。浩太、元気にしてる?」
「張り切ってます……でも……」
と言って、美鈴が目を伏せた。
「張り切ってるけど、なに?」
あたしは、こういう時、面倒くさそうな口調になる。他人の厄介事に巻き込まれるのが面倒臭いという本性が現れてしまうのだ。
しかし、美鈴はあたしの口調にひるまず、顔を近づけてきた。声を低めて切り出す。
「小梅先輩、実は、『浦島太郎』の亀を演じた同期から、すごい話を聞いたんです。沙紀先輩は、浦島太郎役に決まった男性キャストにワイロを要求するんだそうです。男性キャストが払えば、彼が多少ミスしても昔話が成り立つようにフォローしてくれるけど、払わないと、途中で演技を止めて、その理由を浦島役のせいにするんだそうです」
あたしの目の前で沙紀が『浦島太郎』の進行を止めた記憶がよみがえる。あの時も、ワイロが原因だったのだろうか?
「あんた、それを、浩太に話したの?」
「話しちゃいました。まずかったでしょうか?」
「亀さんが言ったことが本当なら、あんたが浩太に話さなくても、沙紀の方から浩太にコンタクトしてくると思うよ」
美鈴の顔がくもった。
「そうなんです。私が浩太に話した次の日、沙紀さんの一期後輩のアユさんという人が浩太に会いに来ました」
「そのアユっていう奴が、沙紀のパシリなのか?」
「そうです。浩太にワイロを払うよう言ってきました」
「それで浩太は、どうするって?」
「お金を払うって、言うんです。お金は、沙紀先輩が直接受け取るんじゃなくて、アユさんが代理で取り立てるらしくて、浩太は、明日、アユさんと大道具倉庫で会う約束をしていました」
あたしには、話がよく見えなかった。美鈴は、沙紀がワイロさえ払えば強力な味方になってくれることを浩太に伝えた。それに従って、浩太は沙紀にワイロを払うことを決めた。この流れのどこに、あたしが納まる場所があるんだ?
「あなたは、なぜ、こんな話を、あたしにしてんの?」
美鈴が、思いつめた目で、あたしを見た。
「小梅先輩に、浩太を止めてもらいたいんです。浩太は、私が、何を言っても、聞いてくれません」
「美鈴ちゃん、あんた、変なこと、言ってるよ。だって、ワイロのことは、あんたが、浩太に話たんでしょ。ワイロを使えば『浦島太郎』で成功できるって教えたのと、同じじゃない。それを、あたしに浩太を止めて欲しいだなんて、自分でも、おかしな話をしてるって、気がつかない?」
「私、ワイロの話を、本当は、浩太にしたくありませんでした。だって、沙紀先輩は、ヒドイことをしてるんですよ。浩太を、そんな悪事に付き合わせたくなかった」
「だけど、話したんでしょ」
「そうなんです」と言って、美鈴が目を伏せた。そのまま、続ける。
「浩太は育成所出てから、ずーっと、脇役ばかりで、パッとしなかったんです。それが、『舌切り雀』で運が向いてきたみたいで、主役で立て続けに成功して、次は、『浦島太郎』で大ブレイクしてスター・キャストの仲間入りするんだって、ものすごく張り切ってたんです。そんな浩太の役に立つかもしれない話を黙ってたら、浩太に悪い。そんな気がして……」
「それで沙紀がワイロを取ることを教えてやったら、浩太が『浦島太郎』で成功したい一心で、ワイロを払うことに決めた。今さら、あんたが、どうこう言えることじゃないし、まして、あたしには、全然、関係のない話だわ」
「でも、浩太に沙紀先輩がワイロを取る話をした後、わたし、もっと怖い話を、別の同期から聞いちゃったんです。沙紀先輩は、一度自分にワイロを払ったキャストを、繰り返し、相手役に使って、その都度ワイロを取るんだそうです」
あたしは、驚いた。
「『浦島太郎』一回で、終わりじゃないの?」
「終わりじゃないんです。沙紀先輩に指名されたキャストは、先輩に昔話をぶち壊されたくないから、泣く泣くワイロを払って、付き合い続けるんだそうです。あたし、そのことも、浩太に伝えました。でも、浩太は、それでもいいから、ワイロを払うって言って、きかないんです」」
あれあれ、ちょっと待ってよ。自分の相手役を自分で指名するなんて、いくらスター・キャストでも、できるはずがない。
「ちょっと待った! 昔話で、誰がどの役をやるかは、主役じゃなくて、キャスティング部長が決めるんだよ。沙紀が、いつでも、自分の好きなキャストを相手役に選べるわけがない」
そこまで言って、あたしは、すごく嫌な可能性に気が付いてしまった。
「それとも、まさか……」
「その『まさか』なんです。沙紀先輩は、キャスティング部長を抱き込んでて、ワイロの半分は、キャスティング部長に流れているらしいんです」
「あたしは、『機構』に入って7年経つのに、そんな汚い取引があるなんて、噂すら聞いたことがない。あんたの同期って、スパイ集団みたいだね」
「あのう、ちょっと失礼なことを言っても、いいですか?」
「なに?」
「そのあと、周りの人をつついてみたら、私の同期だけじゃなくて、結構、いろんな人が知っていて知らん顔しているだけだって、わかりました」
つまり、「知らぬはあたしだけ」ってことか? でも、それは、大いにありそうだ。あたしは、組織とか人間関係とか、うっとうしいだけだと思ってるから、周りの噂が耳に入ってこなくても、何の不思議もない。
あれ、このまま美鈴の話に付き合ってると、あたしが一番きらいな組織のグジャグジャに巻き込まれちまう!
「美鈴ちゃん、あなたが幼馴染を思う真剣な気持ちは、よく、わかった。あなたは、良い人だ。でも、あたしは、この話に巻き込まれたくない。今の話は、全部、聞かなかったことにする。だから、あなたも、あたしに話したことは、忘れてちょうだい。いいわね」
突然、美鈴があたしと鼻と鼻がぶつかるくらい顔を寄せてきた。
「私は、浩太が、沙紀先輩の奴隷にされるのかと思うと、我慢できないんです」
「それは、『あなたの気持ちの問題』で、『あたしの問題』では、ない。悪いけど、あたしは、これ以上関わる気はない」
美鈴が訴えるような目であたしを見たが、あたしがシレっとして見返すと、
「わかりました。お食事中、お騒がせしました」
と言って、立ち上がった。
美鈴は、うなだれて、あたしの前から立ち去って行った。その後ろ姿を見送るあたしは、決して、いい気分ではなかった。だけど、動物変身専門の一クローン・キャストに過ぎないあたしに、何ができるというんだ……
あたしは、今の話を忘れようと、B定食に食らいついた。