第36話 ブリーフと裏切りとペットボトルと

文字数 3,110文字

 五月二十三日 午前十時四十三分

 夜の特別任務に備えてワンルームマンションにいる。
 六畳の部屋は大人が三人もいると狭い。

「うーん……」

 私は中山さんに担がれているが、目の前にいる日焼けした松永さんは眉根を寄せ、腕組みをしながら中山さんを見ている。蛍光ピンクのブリーフ一丁で。

「六百八十」

 昨夏、準備期間が少なくて体を仕上げられなかった私の為に設定体重を二キロ増やしてくれたが、松永さんと中山さんは私が千八百グラム増でやって来ると思っていた。
 二キロ増えても対応出来るよう須藤さんを含む三人はトレーニングを重ねたのだから、加藤は空気を読んで二キロ弱に仕上げるだろうと思っていたという。

 ――そんなもの、先に言え。

 私は二キロ増やしてもらったとはいえ、迷惑はかけられないとプラス五百グラムを目標に絞った。だが超過してしまった。三十四歳熟女はしょんぼりだ。

「奈緒ちゃんさあ、何で頑張っちゃうの?」

 ――頑張りが、評価されない。別の意味で。

「増えた分だけご迷惑をおかけしますから」
「もー!」

 頬を膨らませた松永さんは中山さんの背後に回り、中山さんから私を受け取った。
 お姫様抱っこをされて、今度は松永さんが私の体重を当てている。

「うーん……七百十」
「えー、七百超えてるー?」

 口を尖らせて不満そうな顔の中山さんも腕組みしている。蛍光ピンクのブリーフ一丁で。

 二人はいつも、特別任務の時に集合するとパンツの見せ合いをしている。こいつら小学生かなとは思うが、履いているパンツが同じだと嬉しそうにはしゃいでいるから、私は生暖かい目で見守っている。

 二人がパンイチなのは私にとっては日常の風景だ。だが普段の二人はボクサーパンツなのに今日はブリーフ。目のやり場に困る。しかも蛍光ピンクだ。とても困る。
 ボクサーパンツなら気にならないのにブリーフはなぜ困るのかいろいろ考えたのだが、それを口にすると頭を引っ叩かれるだろうから言わないでいる。

「ブリーフもお持ちなんですね」
「うん、黒と赤も持ってるよ」
「松永さんは?」
「俺はこれだけ」

 派手なパンツは魑魅魍魎(クラブ)親玉(ママ)からプレゼントされたものだが、二人が自分で買うパンツは同じメーカーだ。
 ウエストゴムにブランド名の書かれたボクサーパンツなのだが、それは男女兼用の商品もあり、私も二枚持っている。

 床に降ろしてもらった私は体重計に乗った。
 その姿を蛍光ピンクのブリーフ一丁で腕組みしながら二人は眺めている。二人とも体をしっかり絞ってあってキレッキレだ。ナイス、バルク。

「どう?」
「うーん、七百、ですね」
「やった!」
「加藤、服脱げ」

 ――ストレートなセクハラ。

「良いですよ」
「ええっ!?」

 ――自分で言っておいてそれは無いだろう。

「見せても大丈夫な下着ですから」
「奈緒ちゃん――」

 ――あ、いけねっ!

 昨夏、偽ザイル松永からパンツは見えちゃダメだと説教された。パンツが見えたら恥ずかしいという恥じらいがあってこそのパンツであり、恥じらいの無いパンツはただの布だと説教されたのだった。

「――どんなパンツ履いてるの?」

 ――あれれれー?

 その時、私たち以外に誰もいないはずのこの部屋に人の気配がした。

「AVの撮影でもしてるの?」

 驚いた私たちは振り返った。そこには――。

「この状況、どう見てもAVの撮影しか考えられないんだけど、何してるの?」

 ガチギレ寸前の須藤さんがいた。

「説明してくれない? 俺は『どんなパンツ履いてるの?』としか聞いてないんだけど、お前らが派手なピンクのブリーフ一丁で加藤に迫ってるこの状況、経緯を教えてよ」

 見た目は大人、頭脳は子供の警察官三人は、パワハラはするがセクハラには厳しい上司から詰問されている。

 ――いますぐおうちに帰りたい。

 ◇

 私は今、須藤さんから説教されている。

 パイプベッドに座らされ、仁王立ちする須藤さんを見上げているが、両脇には日焼けした肌によく似合う蛍光ピンクのブリーフを履いただけのナイスバルクな先輩がいる。

 ――まるでAVの冒頭シーンのようだ。

「あのさ、女の後輩の前でパンイチってさ、セクハラどころじゃ済まねえだろ」

 ――私にとっては日常の景色です。

「加藤は気にしてませんよ」

 ――松永さんがいつもパンイチだから慣れただけです。

 中山さんはしょんぼりしている。
 慕っている須藤さんに叱られる時だけ中山さんのしょんぼり顔が見れるから、私はちょっとワクワクしている。
 だが松永さんはお兄ちゃんに口答えする弟のように好戦的だ。いつも双方がヒートアップして大惨事になるからある程度の所で私が止めなくてはならない。面倒くさい。

「俺が嫌なんだよ」
「だって加藤ですよ?」
「ああん? お前さ、後輩の女がこんな格好の男どもに囲まれても何にも思わないとか、その方が問題だろ」
「加藤以外にはやりませんよ。加藤なんだからいいじゃないですか」

 ――よくないよ。

 私はいつものように二人の言い合いを見守っていた。
 いつもなら須藤さんが私に目配せして私が動くと話が終わる。だが今日の須藤さんは何もサインを送らない。なぜだろうか。

 私は黙って成り行きを見る事にしたが、事態が悪化の一途をたどるだけだった。
 仕方ない。私は静かに立ち上がり須藤さんに歩み寄った。そして言った。

「私もパンイチになればい――」

 須藤さんの太い腕が私の首に巻き付いた。
 薄れゆく意識の中、松永さんの声が聞こえた気がした。

「俺ら奈緒ちゃんがパンツ見せてくれるって言ったから脱いだんですよ!」

 ◇

 五月二十四日 午前十一時二十七分

 目覚めた私はワンルームマンションにいた。
 遮光カーテンを締め切って暗い部屋はエアコンの動作音だけが聞こえる。

 昨日の午前中、須藤さんと松永さんの言い合いを止めようとした私は、須藤さんにスリーパーホールドで落とされて声が出なくなった。

 仕事に影響は出ていないが、須藤さんは私を左腕で抱えたまま、立ち上がった松永さんにリバーブローをかましたそうだ。
 左腕に余計な力が入ったのか、私は目覚めるまで時間がかかった上に声が全く出なくなった。

 ――誰かいるな。

 まだ中山さんは寝ているようだ。隣にいない。ならば松永さんか。
 体重は七百グラム超過だったから、体力はいつもより戻りが早い。お腹すいた。
 水と食事をお願いしようと起き上がると、誰かが動いた。

「加藤さん、お目覚めですか」

 葉梨だった。
 黒のジャージー姿の葉梨は膝立ちでベッドサイドにいた。

 お水、飲みたい――。

 声にならなかった。
 私の掠れた声に顔を傾げた葉梨は顔を近づけたが、私は驚いて身を引いてしまった。
 それを見た葉梨は「すみません」と小さな声で言った。

 私は身振りでペットボトルのキャップを開けて飲む動作で水が飲みたいと伝えると、葉梨は笑顔になって部屋を出て水を取りに行ってくれた。

 ――なんで私……。

 松永さんや中山さんが顔を近づけようと何しようと動じないのに、葉梨にはドキリとしてしまった。慣れているはずなのに。

 私と反対側の壁際には中山さんが寝ている。
 中山さんをちらりと見た葉梨は足音を忍ばせて私のベッドサイドに来た。

 水のペットボトルを渡され、開けようとしたが力が入らず、それに気付いた葉梨は手を差し出した。
 開けてくれるのだろう。
 ペットボトルを渡してキャップを開けてもらった。

 葉梨は声の出ない私を心配している。
 何が起きたのか知りたいようだが、任務中に何かが起きたと思科している葉梨に、真実など言えるはずもない。
 だが、なぜここに葉梨がいるのか。

 理由はいいか。
 心配そうに私の顔を見る葉梨へ私は微笑んだ。

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