第17話 ミッションと天井裏とインポッシブルと

文字数 3,194文字

 七月三十日 午前一時五分

 私は今、とある建物の天井裏に潜んでいる。

 この任務は今日で十五回目だが、毎回ペアを組む男がいる。
 その男の身長は一メートル七十センチ、服を着ていれば中肉中背に見えるが体脂肪率は一桁。日焼けした肌、短髪でもみあげは長め。目が細くて奥二重、濃い眉毛で薄い唇。
 街に溶け込んでしまう特徴の無いその男は、松永さんの同期で中山(なかやま)(りく)さんだ。私の隣にいる。
 四年前に松永さんから中山さんを紹介されて挨拶した際、中山さんは開口一番、「もちろん仮名だよ」と白い歯を見せて笑った。

 五年前に松永さんと初めて会い、松永さんの仕事の内容を知った時、そんな事は警察がやる事じゃないだろうと思った。
 そして中山さんはペアを組むのに、命を預けるのに、同業の私へ仮名だと言った。私は愕然とした。

 中山さんと初めて会った日から六週間、私はマンションの一室に監禁状態にされた。そこで体を絞るトレーニングと、任務に必要な事を教え込まれた。

 元から痩せていて食べないと体重の維持が出来ない私にとって減量だけなら楽だ。食べなければいい。だが気力体力を維持したまま体を絞るのは辛かった。
 トレーニング中は、やらなければ()られると思う程、中山さんは私の心と体を追い込んだ。

 四週間後、私は中山さんが目標とした数値を私が出した時、中山さんはこう言った。

「今の俺はお前を守る事が仕事。だから俺の命と引き換えに必ずお前を守る。俺の命はお前にくれてやる」

 そう言って、トレーニングが始まってから初めて、中山さんが笑った。
 そして、横たわったまま、ただ中山さんを見上げていた私の上に覆いかぶさって、私の足の間に割り入って、顔を近づけて、「お前が欲しい」と言った。

 この状況なら女は応じる。
 本能がこの男を求める。

 そう思った。だが私は気づいていた。この部屋に昨夜から誰かがいる、と。
 私は中山さんから目線を外し、誰かが潜んでいる方向を見て、「嫌です」と言うと、中山さんは破顔してこう言った。

「まーつーなーがー! 俺の負け! お前が言った通りだった!」

 笑いながら私から離れた中山さんの背後から、松永さんが出て来た。
 ぐったりしていて良く見ていなかったのもあるが、どこからどう出て来たのか、私には全く分からなかった。

 中山さんはお風呂にお湯を張ると言って部屋を出た。
 ぐったりと横たわる私の横に松永さんは座って、私を労った。自分の気配に気づいた事も褒めた。

「この任務の時は中山がお前を守る。けどそれ以外の時は俺が、奈緒ちゃんを守るからね」

 そう言って優しく微笑む松永さんも痩せていた。頬がコケていた。乾燥した肌、落ち窪んだ目、荒れた唇。
 この先の任務に備えて準備したのは私だけじゃないんだと思った。

 ◇

 私がこの任務を初めてやった時に思った事は、『あのハリウッド映画は実話を元にしてるのかな』だった。
 私がやる事は、天井から室内の床につかずに浮いたまま、ある物を取って来るのだ。置いてくる時もある。
 室内にはセンサーがあるから汗が落ちたらダメなのに落ちそうで……というあのハリウッド映画みたいだと思った。予告しか観ていないが。

 日本は性善説に基づいて社会が機能しているからセキュリティを甘く見ている。だからこうやって天井裏に簡単に入り込めるのだ。
 そんな認識だから警察の仕事が増えるんじゃないかと思うが、しれっと侵入している私たちも警察官だから黙っている。

 潜入出来る状態にする為にいろいろやっているのは中山さんと松永さんだ。
 だが、その事前の任務に手こずる建物には共通点がある。それはセキュリティアドバイザーが外国人、だ。
 アメリカのとある『お役所』出身者がセキュリティアドバイザーとして日本に来ている。
 そして彼らが想定しているのは、私と中山さんがやっている『天井裏からの侵入』だ。

 もちろん日本の警備会社はそんなものを想定していない。
 天井裏に振動検知センサーやカメラを付けるくらいなら常駐警備で出入りを絞った方が安上がりだと、天井裏から『不可能作戦部隊』の侵入を阻止したい企業へ提案する。

 今回の任務はセキュリティがガバガバな建物だ。機械警備だけで夜間は誰もいない。たとえ常駐警備がいたとしても彼らは契約通りの時間に巡回するからそれをやり過ごすだけで良い。
 だから余裕のあった松永さんはザイル系をやる為に日サロに通えたのだ。さっき見た松永さんは七月二日よりも灼けて十円玉みたいになっていた。

「なあ、お前、体絞れて無えだろ?」
「はい」
「なんでだよ?」
「松永さんのせいです」
「だろうな、ふふっ」

 ◇

 任務を終えて中山さんに天井裏へ引っ張ってもらい、しばらく潜んでいた時だった。
 中山さんが私の指に触れてサインを送って来た。誰かがいる、と。

 何人いるのか、どこにいるのかを暗闇の中で感覚を研ぎ澄ませて感じ取ろうとしたが、首に冷たい金属が触れたと思った時には口を塞がれ、目の前が暗転し、私は意識を失った。

 中山さんの呻き声がした気がした。

 ◇

 八月一日 午後二時二十五分

 目が覚めると、私はホテルにいた。
 ラブホではない。ナイトテーブルのランプが淡く灯り、向こうのベッドには誰もおらず、ベッドメイキングしたままの状態だった。
 視線を左方へ動かすと廊下があってドアやバスルームがあるようだった。
 だが、誰かがいる。背後だ。窓際に誰かが、いる。
 私は寝返り、その人を見た。
 ソファに座っていたその男はスマートフォンを見ていたが、視線を私に向けた。

「あ、起きた?」
「……はい」

 松永さんだった。全裸ではない。いつか見たギャングの格好をしている。
 私は起き上がろうとしたが、体が思うように動かない。
 松永さんは私の元へやって来て、無理に起き上がらないようにと言った。

「あの、中山さんは?」
「生きてるよ、あのバカも」

 含みのある言い方をするなと思っていると、松永さんはベッドに腰かけて、少しだけ眉根を寄せて、「気を抜き過ぎじゃない?」と言った。
 私は、首に金属製の何かが触れるまで何も気づかなかった。
 松永さんはそれをナイフだと言った。そして、天井裏に潜んでいて、私にナイフを突きつけたのは自分だとも言った。

「俺はお前を守ったよ」
「えっと……他に誰か、いたと?」
「そうじゃなきゃ、俺はあの場にいないだろ?」

 私たちは本当に危険な状況だったのか。
 松永さんがその誰かを処理したから私たちは無事だったのか。

「あの、中山さんはどちらに?」
「中山は、『俺の命はお前にくれてやる』って言ったよね」
「はい……えっ!? 中山さんは? 中山さんはどうなったんですか!?」
「生きてる、よ」

 私は痛む体で起き上がったが、松永さんに制止された。

松永さんの言う『生きてる』は、入院加療後に社会復帰出来るかは別問題の、『生きてる』だ。
 中山さんはどうなったのだろうか。どこにいるのだろうか。
 私は涙が出て来た。また私は守られた。私は本当に何をしているのだろうか。

「お前は与えられた期間内に体を仕上げなかった。それが原因で中山は……。あのさ、それって俺のせいなの?」
「……違います」

 松永さんはベッド脇の椅子の背もたれに掛けたタオルを取り、私の涙を拭いた。

「奈緒ちゃんも、誰かを守ってよ」

 そう言って、松永さんは部屋から出て行って、少ししてから入れ替わりに須藤さんが私の元へ来た。

「目が覚めたんだね。お腹すいてる?」
「……いえ、食べられません」
「そっか」
「あの、中山さ――」

 その時だった。隣の部屋から大きな音がして、怒鳴り声がした。
 須藤さんも驚いたようだったが、笑っていた。

「多分ね、敬志が爆睡してる中山の首を締めたんだと思うよ」

 ――中山さん、ちゃんと生きてるんだ。

 私は寝込みを襲われても応戦出来るほど元気なら、何の心配もいらないなと思った。
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