第38話 生クリームと心理戦とマスコットと

文字数 3,694文字

 六月三十日 午後一時十五分

 私は今、チョコバナナパフェを眺めている。

 岡島からバレンタインのお返しとしてスイーツブッフェにまた行こうと言われたのだが、岡島は取りに行くのは恥ずかしいからパシリとして葉梨を連れて行くと言った。私は葉梨をパシリとして扱うのは可哀想だと思い、パシリとして野川を連れて来た。

 野川はパシリとしてよく働いている。だが、ポンコツ野川はスイーツの盛り付けもポンコツで私たち三人は困惑している。

 岡島がお気に入りの『ブラウニー〜生クリームを添えて〜』は、ポンコツ野川は気を遣ったのかブラウニーと生クリームを交互に五段重ねにした。だが、席に戻る間に倒壊して無残な姿になっていた。
 葉梨はパンケーキにチョコレートソースをかけたものを頼んだが、「葉梨さんはこっちの方が良いです! 可愛いです!」と言って、手で溶けずにお口の中で溶ける外国のチョコレートを適当に散らしたパンケーキ六枚を持って来た。

 ――素パンケーキ〜カラフルチョコを添えて〜

 そして私はチョコバナナパフェを頼んだのだが、野川は最初に入れるシリアルの目測を見誤ったのだろう。小さなパフェグラスの八割がシリアルだった。
 その上に申し訳程度の生クリームが乗り、二切れのバナナがぶっ刺してある。
 そこにポンコツ野川はチョコレートソースをかけようとして失敗し、パフェグラスを持つ手までチョコレートまみれにして席に戻って来た。

 ――シリアル〜牛乳が無いから生クリームで〜

 ポンコツ野川の自分のスイーツはケーキがてんこ盛りだ。
 チーズケーキ、ショートケーキ、チョコレートケーキ、フルーツタルト、そしてなぜかバナナのみ三切れ。

 野川がケーキをモシャモシャ食べる姿を私たちは眺めているが、各人は自分の手元にあるポンコツスイーツをいかに満足度の高い方法で食べ切るか、心理戦が始まっている。

 私は生クリームをスプーンですくい、口に入れた。濃厚な生クリームとチョコレートの味と香り、そしてひんやりとした食感。美味しい。
 だが、戦いはここから始まる。
 正面にいる岡島は私の一挙手一投足を見ている。

 岡島は自分の生クリームを野川の隙をついて私のパフェに乗せようとタイミングを見計らっている。『ブラウニー〜微量の生クリームを添えて〜』を食べながらだが、仕事の時の顔で私を見ている。そんなんだからプライベートでも警察官だとバレてしまうのにとは思うが、今は置いておく。
 葉梨は手で溶けずにお口で溶けるカラフルチョコレートを手掴みで食べている。これは伏線なのか。

 こんな心理戦などせず、さっさと野川に指示して再度持って来させれば済む話なのだが、それではハラスメントになってしまう。
 私も岡島も、若い時にさんざんされた事、何なら今でもされている事を、次世代に引き継いではならないのだ。

「ねえ野川。あの観葉植物の名前は覚えてる?」

 私は野川の八時方向にあるモンステラに野川の視線を誘導させた。今だ。岡島、やれ。
 岡島はスプーンで生クリームをすくい、持ち上げた。私はパフェグラスを岡島の皿に近づけ、生クリームを待つ。

「モンブラン!」
「だいたい合ってる」

 岡島は今日、初めて野川のポンコツぶりを目の当たりにした。
 最初のうちは野川の小動物的な可愛らしさに頬が緩んでいたが、時間を追う毎にポンコツっぷりを目の当たりにして、これまで得ていたポンコツ情報と整合性が取れたのだろう。唇を噛み締めていた。

 ――早く。早く生クリームを。

 私が焦ってちらりと横目で見ると、岡島は生クリームを皿に落とした。

 ――この不器用なチンピラめ。

 私はパフェを引き寄せ、何も無かった事にした。
 だがそれを見ていた葉梨がパンケーキを手掴みして生クリームの上に乗せた。隠蔽作戦――。
 向き直った野川は斜向かいの岡島の皿を見て、皿の端にあるパンケーキに気づいた。

「あ、岡島さんはパンケーキもらったんですね! 私もブラウニーが欲しいです! チョコレートケーキ半分あげます!」

 私、岡島、葉梨。
 三人の視線がぶつかる。
 そうか。最初からそうすれば良かったのか。
 岡島の『ブラウニー〜生クリームを添えて〜』は五段重ねだ。岡島が三人に分ければ良かったのだ。

 ――ポンコツは、私たちだった。

 だが私は思った。
 葉梨はこれを計画していたのではないのか。
 賢い葉梨だ。それくらい頭が回るだろう。
 私はちらりと葉梨を見た。
 葉梨は正面の野川を見ている。
 目を見開いて、見ている。

 ――葉梨も、想定外だったんだな。完全に。

 私はシリアルを食べられるだけ食べて、口の中をモッサモサにしながら、野川に微笑んだ。

 ◇

「野川は何食べる?」

 そう優しい声音で語りかける葉梨は、私たちにも希望のスイーツを聞いた。
 葉梨は、『素パンケーキ〜微量の生クリームとカラフルチョコを添えて〜』を完食した。葉梨も若干、口の中がモッサモサだったようだ。

 野川は先輩にスイーツを持って来てもらう事を頑なに拒んでいる。気持ちはわかるが、私たちもポンコツスイーツを拒みたい。

「なら私も行きます! 葉梨さん、一緒に行きましょう!」

 そう言って二人は席を立ち、歩いて行った。身長差三十センチの二人は大人と子供のようだ。
 あれだけ身長差があると、葉梨は真横にいる野川が視界に入らず見えないだろう。小さくて可愛い野川が――。

「葉梨のね、別れた女も野川みたいな清楚系の小さい子だったんだよね」
「そうなんだ」

 ――葉梨も小さくて可愛い女の子が好きなのか。

 山野もそうだ。
 でも葉梨は私に……でかい女の私に……。

「ふふっ、葉梨、見てよ、楽しそう」
「えっ?」

 野川は私のチョコバナナパフェを作ろうとシリアルをすくったが、葉梨が何かを言い、半分ほど戻していた。そしてパフェグラスに入れ、葉梨を見上げた。葉梨は優しい笑顔を向けている。

「野川って男いるの?」
「……最近、別れたみたい」
「ふーん、なら葉梨に野川、良いんじゃない?」

 岡島は葉梨と野川の姿を見て頬を緩ませている。
 葉梨が野川に向ける笑顔は私の誕生日の時の笑顔と同じだ。あれから葉梨は何も言わない。何も言わないから、私も何も言わないでいる。私が何か言えば変わるのだろうか。

 葉梨は、野川がパフェにチョコレートソースをかける姿を心配そうに見ている。

 ――あ、失敗した。また手にぶっかけてる。

「ふっ、本当に野川ってポンコツだ」
「うん、でも、よくやってる。努力家だよ」
「そうだね、俺もそう思うよ」

 葉梨は野川の背後からパフェを受け取った。だが野川は葉梨の手にもチョコレートソースをかけてしまった。野川は真上の葉梨を見上げ笑っている。
 葉梨は真下を向いて困ったように笑った。

 ――私が同じ事をしても、葉梨は手を拭くものを取りに行くだけだろうな。

 楽しげに笑いながらこちらに戻って来る二人を眺めながら、少しだけ息を吐いた。

 ◇

 私は今、会計で揉めている。

 葉梨と野川を店外に出したが、野川は私が連れて来たのだから野川分を私に出させようとする岡島に、私はゴネている。

「ケチ」
「葉梨と奈緒ちゃんの分は出すよ」
「ケチ。野川は可愛い後輩でしょ?」
「その言葉、熨斗つけてお返しする」
「もうっ!」

 仕方ない。払うか。パシリとして連れて来たのは私だ。
 岡島は養育費を払っているが、離婚時に決めた額と同じ額を上乗せして払っている。ボーナスは半分を渡しているという。面倒な官舎住まいを続けているのはそのせいだ。微妙にカネが無いから。

 私は岡島にお金を渡して店外に出ようとしたが、葉梨と野川が楽しげに話している姿に歩みを止めた。

「どうしたの?」

 会計を終えた岡島は店外の二人を見て、察したようだ。

「邪魔は、したくないね、ふふっ」
「うん」
「行こう、奈緒ちゃん」

 私たちは店を後にした。

「お待たせ。野川さ、これもらったよ」
「ああっ! 可愛い!」
「あげるよ」

 岡島は会計時にボールチェーンマスコットの小さなぬいぐるみを四つもらっていた。
 葉梨に二つ手渡して私と分けるように言い、岡島は色違いの二つとも野川にあげていた。

「岡島さんはお子さんがいらっしゃるんですよね? 一つはお子さんに差し上げれば……」
「ああ、うちは男の子だから」
「そうですか……」

 歩き出した二人を見ながら、葉梨は私に一つ渡して来た。葉梨も持っておくのか。可愛いキャラクターマスコットなのに。

「……ババアには可愛すぎるかと思うけど」
「加藤さん」

 少しだけ低い声だった。
 葉梨を見ると、私を咎めるような、そんな目をしていた。

「大人の女性が可愛いものを持っていても、俺は良いと思います」
「ああ、うん……そうだね」

 ――自虐もほどほどにしないと後輩が困る、か。

 葉梨は口元を緩めると、「同じ色です」と言った。
 私と葉梨のマスコットキャラクターは同じ色だ。野川は違う色の色違いを持っている。

「俺は、加藤さんと同じ色を持っていたいです」

 私の目を見て微笑む葉梨は視線を外し、歩き出した。

 ――同じ色、か。

 また、葉梨は意味を込めたのだろうか。
 少し先を行く葉梨を、私は追いかけた。

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