十二、旭日新聞のすっぱ抜き

文字数 5,309文字

 翌る日の早朝、自由民文党の党役員らが招集され会議が開かれた。
「総理、ここに書いてある事は本当ですかっ!?
 自文党の鷹巣(たかす)ゆり子政調会長は、まだインクの匂いも漂う旭日新聞の朝刊を閣議室の円卓に広げた。その第一面には、白抜きの大きなゴシック体で【自影隊、秘密兵器の暴走!!】という見出しが躍り、赤鬼のような形相のヘラクレスと、セーラー服を着たあたしの写真が掲載されていた。
 記事の一部を抜粋すると、
【二十三日、代々木の新国立競技場で、夏季オリンピックの代替案として開催されたオリンピア大祭において、コロリウイルスとみられる約七万人の死者が発生した。同時刻、ナノテクノロジー研究所の荷稲冬樹博士(以下荷稲博士)の号令により、約千体のナノロイドの肌が真紅に染まった事や、小規模ではあるが日本以外の国でコロリウイルスによる死者が出た事との因果関係は不明である。
 しかしその後、天脳陛下、及び数名の人質を取り同競技場に籠城、自影隊第一戦鎧(せんがい)師団との交戦、又、荷稲博士の電波ジャックにより、犠牲者の放置された場内を全世界に流し続けた事などを合わせて鑑みるに、コロリウイルスの集団発症は同博士によるテロリズムである事は明白である。当日、開会式の挨拶だけを行い、無責任にも早々に引き上げた矢部総理の説明は未だに無く……(中略)
 ここに掲載したセーラー服の少女とヘラクレスの写真は、大虐殺の約二時間前に首相官邸で撮られた防犯カメラの映像を引き伸ばしたものであり、ナノロイドとの前哨戦と思しき攻防が既に行われていた事を示す。
 ある政府関係者からの情報によると、少女の着るセーラー服の正体は、蜜菱重工と自影隊が秘密裏に開発を進めていたパワードスーツであり、零式戦術鎧、いわゆる櫻花に代わる都市制圧兵器であるという。このような特殊装甲歩兵の軍事利用は、平和憲法を掲げる我が日本において明らかな違憲行為であり、矢部総理への責任追求を断固として……(中略)
 我が国は、自影隊の戦力のみでは隣国の脅威から国土を守れぬという観点に立ち、一九六〇年に日米安本丹(あんぽんたん)保障条約を締結し、以降、アメリカ軍の国内駐留を認めてきた。ならばこの度のクーデターによる自影隊の著しい機能低下は、他国の侵略行為が行われる絶好の機会でもあった筈だ。
 だが、現実は如何であろう。自影隊の崩壊にも関わらず、懸念していた隣国の侵略行為は微塵もない。軍事力が存在しなければ、ギリシャの神々が暴れる様子もない。つまり、平和憲法さえあれば争いが起こる道理など無く、自影隊が無用の長物であったという現実が図らずも証明される結果となった。そもそも日米安本丹条約は、矢部新造氏の祖父にあたる矢部甘造氏が提言した条約であり……(中略)
 七万人もの死者を出し、しかも天脳陛下まで人質に取られるという失態の責任は全て矢部新造氏にある。よって、総理は速やかに内閣を解散し、民意を問う総選挙を直ちに行うべきである。(宮間徹)】
 などと書かれてあった。
 新聞各社、七万人の集団コロリや、戦鎧師団とナノロイドたちの戦いについて大々的に報道していたが、多少の脚色はあったものの、その多くは概ね事実に基づいた記事だった。けれどこの旭日新聞だけは、流出した防犯カメラの映像だけを根拠に嘘八百を並べ立て、自影隊不要論から平和憲法の賛美へと続き、最後は社是である矢部叩きで締め括られていたのだ。
 この記事を書いたのは、オリンピア大祭の記者会見で恥をかかされた蛞蝓(なめくじ)ミヤマこと、宮間徹記者だ。叔父さんのことを相当恨んでいたという話だから、ここぞとばかりに報復記事をでっち上げたのだろう。
 幸いな事に、国家元首に化けた人造人間が開会式の挨拶をしていた……、という与太話のような真実を掲載した新聞は一紙も無かった。

「わ、私の知らないうちに、こんな……エッチなSFアニメに出てきそうな、男の欲望剥き出しの、こんな素敵なパワードスーツを作ってたなんてっ!!
 鷹巣政調会長は、総理の後ろに立っているあたしを指差して喚いた。
「いや、待て、待て、鷹っちゃん。別に君に内緒で開発をしたわけではない」
 自文党切ってのオタク女子と目される鷹巣政調会長は、国民的人気アニメ『美少女部隊セーラーアーミー』の大ファンらしいから、あたしの制服が羨ましくて仕方がないのだろう。
「あのぉー、それでは現在、乃村秘書官が着ておられるその強化服の存在を、どう説明なさる? 少なくともナノロイドたちの中で、上位の性能と思しきヘラクレスとやらを素手で倒しておるんですぞぉ」
 財務大臣の安納太郎氏が、あたしの格好を好奇の目で見ながら、ゆったりとした独特の節回しで問い質した。
「いえ、これは強化服じゃ……」
 無い……とあたしが言いかけると、矢部総理は手をかざして詳細を話すのを禁じた。
「そんな事より、陛下の健康状態はどうなんだ?」
 矢部総理は話題を逸らすように、競技場の様子を足沢大臣に尋ねた。
「は、はい。丁重な扱いは受けているようで、このように荷稲博士と頻繁に食事も摂っておられます」
 足沢大臣は滴り落ちる汗を拭いながら、閣議室のスクリーンに競技場の映像を映し出した。そこには、陛下と荷稲博士が競技場に設置された長テーブルの両端に座り、豪華なフランス料理に舌鼓を打っている様子が映っていた。その他、陛下の従者である五人と、櫻花の機体に横になったままの澁谷幕僚長の姿もあった。
「なんだ、あの男も生きとるのか?」
「はぁ……、櫻花のコックピットで喘いでおりますが、息はあるようです」
「頑丈な奴だな」
 矢部総理はもはや澁谷幕僚長に興味はなさそうだ。
「えー、今後の展開といたしましては、自影隊の残存兵力を結集して陛下の救出にあたります」
 新国立競技場の見取り図がスクリーンに映し出されると、今年九十歳になる五階幹事長が口を開いた。
「櫻花はもう、無いんじゃろ?」
「は、昨夜の攻撃に全機充てましたので……」
「市街戦に特化した櫻花でなければ、あの古代ローマのコロッセウムのごとき要塞から陛下だけをお救いするなぞ、不可能ではないのかね?」
 足沢大臣の額からどっ(﹅﹅)と汗が噴き出し、桃色のシャツの背中や脇に染みが表れた。
 痛い所を突かれたのだろう。
「いえ、競技場の施設を少々破壊して良いのであれば、櫻花でなくとも作戦行動は可能です。まず地上から零式戦車と機械化歩兵が突入、撹乱させている隙に上空に待機させた垂直離着陸機で陛下を救出し……」
 外務大臣の雞知田(けちだ)(はじめ)氏が、ドンっと机を叩いて話を遮った。
「櫻花との戦闘で数は減ったといっても、競技場にはまだ五百体以上のナノロイドが籠城しているんじゃないのかね。陛下一人の救出に、一体、何千人の自影官を犠牲にするつもりだっ!?
 雞知田大臣の剣幕に気圧され、足沢大臣は流れ落ちる汗を拭いもせず呆然とその場に佇んでいた。

「……ふむ、競技場に大使を派遣してみてはどうじゃな。荷稲博士の要望をすべて聞くという条件で、陛下だけでも解放してもらうんじゃ」
 と、最長老である五階幹事長が、碌でもない代替案を出してきた。
「む、向こうが応じますかね?」
「それは重要ではない」
「えっ?」
「よいかな、皆の衆。自由民文党は平和的解決を試みておる……、というにゅあんす(﹅﹅﹅﹅﹅)が国民に伝わればよいのじゃ。それで次の選挙も安泰じゃ」
 ふふふふふ、と笑う矢部総理の横顔は、もはや精神崩壊寸前に見えた。
「矢部くん、笑い事ではないぞ。このままでは内閣の支持率が地に堕ちるのは必至。その前に総裁選を行ってはどうじゃね?」
「この非常時にですか?」
 矢部総理は、大きく見開いた目をぎょろつかせながら訊き返した。
「非常時というても、ナノロイドたちは大人しくしておるし、この宮間という記者のいうように平和憲法のおかげで隣国が攻めて来る様子もないし、今のうち、雞知田くんにでも党の顔を変えておいた方が無難じゃろ」
 自分の案を通すため、五階幹事長はさらに畳み込んだ。
「そーよ、そーよ、あたしたちが常々主張してるように、元々自影隊なんかおらんでも、憲法9条さえあればどっこの国も襲ってこーへんのよ! 戦争を放棄した国には争いごとは起こらへん、こんなん憲法学のイロハのイよ!」
 水を得た(うお)とばかり、今度は環境大臣の杉山せい子氏が鼻に付く関西弁で、旭日新聞顔負けの気狂いじみた憲法論を捲し立てた。
「いや、それは……ナノロイドという、自影隊をも倒した存在が日本じゅうに居座っているからであってですね、あのギリシャの神々に日本の国土を守る意思がないと分かれば、すぐにでも周辺の島を襲って来る可能性が……」
「そん時は米軍が対処してくれはりますわ!」
 議員の中からも「そうだ、そうだ!」「アメリカが守ってくれる!」と言う声が、そこかしこから上がった。
「しかし、現に西は尖閣諸島、東は北方四島が実効支配されており……」
 全身汗まみれになった足沢大臣は最後の反論を試みたが、もはや誰も賛同者はいない。
「周辺の小っさい島くらいくれてやったらええのよ、何なら翁和(おきなわ)本島くらい、日本の国土でのーなっても問題あらへんわ!」
「本土さえ無事なら大勢に影響なし!」
「あのぉー、用心の為、年寄りに現金を配っておくのも忘れずに。何だかんだ言っても、小銭をばら撒いておけば票になるからなぁ」
「それは妙案です」
「まずは、選挙が大事ですからなぁ」
「よし、総裁選は雞知田くんで調整しよう。看板さえ新しくなれば、また次の選挙も乗り切れるでしょう」
「アンポ、アンポで、安本丹!」
 アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
 議員たちの哄笑が閣議室に溢れた。
 矢部総理の歯は剥き出しになり、机の上に組まれた両腕がぷるぷる(﹅﹅﹅﹅)と震え出した。
 ああ、これはヤバイ……。

「黙らんか、この馬鹿野郎どもっ!!
 あまりの的外れな議員たちの発言に、ついに矢部総理がブチ切れた。
「ば、馬鹿とは何だっ!!
 自分に向けて言われたと勘違いしたのか、真向かいに座っていた安納大臣が声を荒げて応戦した。
「我が国が国家転覆(テロリズム)の危機に晒されておるというのに、根も葉もないマスゴミの記事に踊らされおって、馬鹿を馬鹿と言って何が悪い、この大馬鹿野郎がっ!!
 総理は安納大臣の顔を睨みつけて喚き立てた。
「無礼にもほどがあるっ。今すぐ取り消せっ。うちの派閥がなければ総理になれる器でもねぇクセに、生意気だっ、今すぐ取り消せっ!!
 口元に泡が溜まるのもおかまいなしに、安納大臣も喚き立てた。
 取り消せ、馬鹿野郎、取り消せ、馬鹿野郎、取り消せ、馬鹿野郎、という応酬が何度か続き、怒りの為に顔面を紅潮させた安納大臣が席を立つと、矢部総理も負けじとばかり席を立った。
 両者はつかつかと円卓の左右から歩み寄り、お互いの背広を掴んで子供のように喧嘩を始めたので、あたしは二人の襟首を指で摘んで持ち上げた。
「もう、いい歳して、お二人とも喧嘩は止めてくださいっ!」
 しばらくの間、空中で互いの顔面を殴ろうともがいていたが、やがて子猫のように大人しくなった。
「この怪力女めっ!」
「し、紫音、分かったから、下ろしてくれっ!」
 あたしは二人が落ち着いた所で、地面にゆっくりと下ろしてあげた。

 矢部総理はその場に立ったまま、すぅーーーっ(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)と一度、深呼吸をすると、全員に向かって言い放った。
「いいか、よく聞け。荷稲博士の悪巧みを見抜けなかった責任はすべてわたしにある。それは認めよう。だから現在、日本じゅうのナノロイドを効率よく殲滅すべく、アメリカのカルータ大統領と作戦を練っているところだ。この件に関しては、わたしが最後まで責任をもって解決する。以上だ!」
 閣議室にいる自文党の議員たちは、それなら依存はないとばかり沈黙した。
 アメリカさまの名を出されては逆らえないからだ。
 だけど、それは全て嘘だった。
 ナノロイドが全国の自影隊基地を襲った際、ペンタゴンへのホットラインを通じて何度も米軍の支援を要請したが、カルータ大統領は電話に出ることすらなかったのだ。
 ではなぜ、こんな嘘を吐く必要があるかというと、表向き自由民文党は日本最大の保守政権を標榜しているけど、内部は大きく分けて、右寄り最大派閥の矢部派、それとほぼ同規模の中道の安納派、若手議員を中心とした左寄りの雞知田派、その他、右や左の少数派閥で構成され、実際に所属する議員たちは極右から極左まで、綺麗なグラデーションを為していたからだ。
 同じ自文党内といえど油断はできず、いつ足元を掬われるか分からない。なので矢部総理の息がかかった数名の大臣以外には、常に真相をボカしておく必要がある。
 自文党は一枚岩ではないのだ。

「今から技本の塚本さんに、お前を診てもらうぞ」
 矢部総理は会議が終わると、そっ(﹅﹅)とあたしに耳打ちした。
「えっ、防衛省へ行くんですか?」
「自影隊が関与しているという記事は、無論、出鱈目だ。しかしそのセーラー服の秘密を解明せねば、陛下をお救いする術も、あの忌々しいナノロイドどもを倒す術もあるまいよ」
 あたしたちは(いち)ヶ谷にある防衛省のビルへ車を飛ばした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み