十五、追撃、アルテミス小隊

文字数 6,204文字

 塚本博士はソファの側に立ったまま話を続けた。
「てっきり、医者の仕事だと思い込んで、まともな学者が誰も検査してなかったんだろう。ま、俺も人の事はとやかく言えねぇがな。しかし、この人造ウイルス、非常に良く出来てるぜ。直径は三〇〇ナノメートルとやや大きいが、一見、レトロウイルスなぞのタンパク質と酷似している。ちょっとやそっと調べただけじゃあ……、いや待てよ、この悪戯書きが無けりゃ…………」
 そこまで言うと、塚本博士は顎に手をやり押し黙ってしまった。
「どういう意味でしょうか?」
 皆と同じく博士の考えが気になったのか、神山氏が話の続きを促した。
「…………うん、荷稲くんは恐らく、この状況に至るまで、世界じゅうのどんな人間にも気付かれる心配は無い……、或いは、この原子単位のサインが万が一バレたとしても問題は無い、と確信していたんだろうよ。そうでなけりゃ、こんな危険を冒すわけがねぇ」
 塚本博士は、そう結論を下した。
「ふむ。荷稲博士の態度は終始一貫して、自身の計画したテロリズムを愉しんでいるような節がみられる。ナノロイドたちにも〔Made in Caina〕の表記を刻んでいるが、ナノ細胞のひとつひとつにまでサインを入れる必要があるとは思えん。彼奴の精神状態は、あれで正常なんじゃろうか?」
 矢部総理も荷稲博士の不可解な行動を指摘した。
「荷稲くんに対してのマスコミの論調は、一人のマッドサイエンティスト……、つまり、気狂い博士が起こしたジェノサイド犯罪というものがほとんどだ。だが狂人に、これほど用意周到な計画が立てられるものか? あらゆる面で人間を超える人工生命体を創り出した頭脳が、果たして狂っていると言えるのか? 合点が行かない行動は、全て頭がオカシイ事にしちまえば気は楽だろうよ。だが、そうじゃなかった場合……、塔京オリンピックを中止に追いやり、七万人の断首を全世界に放送し、自影隊を壊滅状態に追い込むまでが、彼の目的でなかったとしたら……?
 ………さっき、俺の頭ではナノ細胞の応用は困難だと言ったが、こいつは日本じゅうの科学者の頭を総動員してでも、使いこなせるようにしねぇと、いずれ日本全土が荷稲くんの率いるナノロイドたちの手に落ちるぜ」
 塚本博士は、手にしていた煙草をテーブルの灰皿で揉み消した。
「ええ、今の所、犯行声明などはないようですが、荷稲博士の一連の行動から推すに、この日本を……いや、最終的に世界征服すら視野に入れているように、わたしには感じられたのです」
 神山氏も、それが不安で総理の下に直談判しに来たのだろう。
「おいら、父ちゃんや兄ちゃんの仇を討ちたい!」
 ウゥゥゥウゥゥゥゥゥゥゥーーーー、と唐突にサイレンが鳴り響き、勇ましく立ち上がった真田少年の身体がびくん(﹅﹅﹅)(ふる)えた。
「何事だぁ?」
 塚本博士が様子を確かめようとドアに近付くと、先ほどの自影官が入って来た。
「ナノロイド数体が、防衛庁施設内に侵入しました。目下、応戦中でありますが、自分が案内しますので、念のため屋上のヘリポートまで避難をお願いします」
「しかし、うちの装備で奴らに対応できるのかよ?」
「そ、それは……」
 まるで歯が立たないのだろう。あの戦鎧師団ですら相手にならなかったナノロイドを相手に、生身の人間に何が出来るっていうのよ。
 あたしはソファから立ち上がり、ドアノブに手を掛けた。
「総理たちを頼みます!」
「し、紫音……」
 心配そうに見つめる新造叔父さんの隣で、自影官は軍隊式の敬礼で見送ってくれた。
 セーラー服戦士の情報は、下士官にまで行き渡っているらしい。

 あたしはドアを開けて長い廊下に出た。
 陽はすでに傾き、窓から差し込む光線が十字架のような影を落としていた。
 ガガガガガガ、という発砲音のする方へ足を進めながら、両脚に意識を集中し、黒のニーソックスをルーズソックスへと変形させる。あたしの鼓動は高まり、全身に熱い血が流れ込むのを感じた。男の呻き声と女たちの嗤い声、銃火器の発砲音と何かが打ち倒される鈍い音が繰り返し聴こえ、やがて静まり返った。
 廊下の角から真紅の女たちが現れた。
 肌だけではない。
 もはや、身に纏った純白のローブまで朱に染まっていた。
 狩猟の女神アルテミスは右手をぶんっ(﹅﹅﹅)と振るい、手に滴る赤い液体を床に払った。彼女に傅かれる三人のニュンペーらは息を弾ませ、異様に長い舌を伸ばして己の腕に着いた血糊をぺろぺろと舐めていた。
「ほう……、お前があのヘラクレスを倒した女か」
 アルテミスが赤黒く光る眼で、あたしの顔を真正面から貫いた。
 圧倒的な殺意だ。
「お前のような短躯で瘦せっぽちな、セーラー服なぞを着たコスプレイヤーもどきの小娘が、あの怪力無双の英雄を倒したなど、到底信ぜられぬ」
 確かに彼女たちは、あのヘラクレスに比べれば、半分以下のサイズしかなさそうに見えたが、それでも百六〇センチしかないあたしに比べれば、全員、頭ひとつぶんは大きい。だけど……、四対一のハンデはあっても、あのヘラクレスほどの脅威は感じない。下級神のニュンペーたちから各個撃破していけば、充分に勝機はあるに違いない。
 あたしは目線をアルテミスに向け、両拳を肩口の高さに構えた。
 だけど、十メートルは離れていた筈のアルテミスの姿が、忽然と消えた。と同時に腹部に衝撃が加わり、続けて背中に何かがぶつかった。
「ええっ!?
 気が付くと、あたしの身体はコンクリート壁にめり込んでいた。消えた筈のアルテミスは、あたしが居た廊下の中央で長い足を突き出していた。
 瞬きをする間に、突き当たりまで蹴り飛ばされたのだ。
 あたしはすぐに起き上がった。
 ダメージはなさそうだけど、相手の攻撃がまるで見えなかった。
「ゼウス神には、用心してオレイアスらを連れて四人で始末をするように命ぜられたが、きっと、何かの間違いに相違ないわ」
 アルテミスは片足をゆっくりと床に下ろし、左腕をこちらに向けた。
 ばりばりばり(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)と音を立てて腕の骨が上下に剥がれ、弦を張った大きな弓に変形した。右手の中指、薬指、小指がぴきぴきと伸び、三本の骨の矢に変形した。七十ミリもある櫻花の装甲を、いとも簡単に貫いた女神の弓矢だ。
「行け……」
 と、アルテミスが号令を掛けると、後ろにいた三人のニュンペーたちがゆっくりと廊下を駆け出し、そして一気に加速した。
 三人は瞬時に目の前まで迫り、一人目のニュンペーが鋭く伸びた爪で、あたしの喉笛を掴もうとした。すんでの所で腕を横に払い、カウンターの膝を入れた。二人目のニュンペーがすぐ後ろから襲い掛かり、腹部に爪を喰い込ませた。あたしは相手の顔面を掴んで引き剝がし、廊下の側壁にめり込ませた。三人目のニュンペーが、獣のようにがっと開いた顎でその腕に噛み付いた。あたしは骨が砕けるのも構わず、彼女の豊かな胸部に正拳を叩き込んだ。
 畳み掛けるのが困難とみたか、三人はアルテミスの側まで退いた。
「よし……、これならヤレる」
 三人のニュンペーたちは、やはり上級神のアルテミスより性能が劣る。速度だけはパワー型のヘラクレスよりも速かったが、対応できないほどではない。
 あたしは噛み砕かれた腕を修復させ、次の攻撃に備えた。
「少し、舐め過ぎたようだね」
 アルテミスは忌々しげに眉根を寄せて、
「行け!」
 と、号令を掛けた。
 ニュンペーたちは再び身体を加速させ、右に左にフェイントを掛けながら向かって来た。今度はカウンターの回し蹴りを下丹田に決めてやろうと、あたしは軸足に重心を預けた。だが、目眩しのようなニュンペーたちの動きの中を、何か小さな影が向かって来るのを感じた。次の瞬間、鋭い痛みが走った。三人の身体の間隙を縫って、アルテミスの矢が三本、大腿部を貫いていたのだ。
 両脚を封じられ、腕や踵にニュンペーたちの顎ががっちりと喰い込んだ。
「うわぁっ!?
 アルテミスは悠然と近付いてくると、身動きが取れないあたしの腹部に、またしても重い一撃を入れた。衝撃で背後のコンクリート壁が崩れ、あたしはビルの外側に蹴り出されてしまった。

 ああ、ヤバい。
 応接室のあった階は十三階。
 さすがにこの高さから落下したら、ただじゃ済まない。
 どんどんと下に向かって落ちてるわ。
 今度こそ、本当に死ぬのね。
 もう少し母さんと電話で話せば良かった。
 先立つ不孝を……。
 などと考えていたら、
〔大丈夫、このぐらいの高さなら傷ひとつ付かないよ〕
 と、男の意識が滑り込んで来た。
「ウラノスさんっ!?
 やっぱり、あたしの妄想じゃなかったのね。
 太腿に刺さった三本の矢が分解吸収され、飛び出した部分が瘡蓋のようにポロリと取れた。
 あたしは空中で身を捩るようにして身体を反転させ、辛うじて両脚で着地した。コンクリートの地面に大きな亀裂が入ったが、男が言ったようにあたしの身体には傷ひとつ付かなかった。
〔来るぞ〕
 その直後、ドンっという破壊音が聴こえた。
 振り向くと、駐車場に停めてあった乗用車が見るも無残に拉げていた。アルテミスたちがあたしの後を追って、ビルの上から飛び降りたのだ。
〔ふん、狩猟の女神と従神たちか〕
「こ、こいつら、ひとりひとりはあのヘラクレスより弱そうなんですけど、連携プレイがすごく厄介なんですっ!!
 ぴんぴんしているあたしの姿を確認すると、女神たちは明らかに驚いた表情をした。
「おのれっ、まだ死なぬのかっ!?
 アルテミスは両手を上げて熊手のような形を作ると、美しい顔を歪めて力を込めた。背中の骨がぱきぱき(﹅﹅﹅﹅)と嫌な音を立て、ヘラクレスの時と同じように全身が毛で覆われた。両手に長く湾曲した鉤爪が表れ、顎部が前に突き出し、犬歯が長く伸びた。まるで、熊と女の合いの子のような姿に見えた。
 後ろに控えていたニュンペーたち三人も、四つん這いの姿勢を取ると肩甲骨をぐりぐりと動かし、犬と女の合いの子のような姿に変身した。
〔獣人化したか。ルーズソックスだけじゃ、ちと手強いな」
 こっちは殺されそうになっているというのに、頭の中の男は相変わらずのんびりとしていた。
「何とかしてくださいよっ!!
 イラついたあたしは、またしても頭の中の男に向かって叫んだ。
〔コギャル形態、発動〕
 という男の指令で、あたしの鼓動はさらに高まり、身体じゅうに力が漲るのを感じた。いや、力だけじゃない。まるで十代の頃のような、気分までも高揚するようなこの全能感!
 自分の手足を見ると、こんがりと焼けたチョコレート色の肌になっていた。
「ああ……、確かコギャルモードって言ってたわよね……」
 あたしの今の姿は、あたしが中高生の頃に流行っていたダサい姿に変わっているのだろうか?
〔鏡がないと、自分の格好が見れないよね〕
 男はあたしの脳内に、コギャル化した現在の姿を3D投射した。
 そこには、ガングロでハイトーンのメッシュが入った茶髪のアラサー女が映っていた。
「うぉぉおおおぉぉぉぉおぉぉんーーーーーーーーっ!!
 あたしは悲しみの雄叫びを上げた。

 でも、コギャルモードの力は半端なかった。
 犬のように四つ足で駆けてくるニュンペーたちの速度は、おそらく数倍に上がっていた筈だ。さっきまでのルーズソックスモードでは、彼女たちの姿も目で追えなかったに違いないけど、今のあたしにはひどくスローモーに見えた。
 あたしは逃げる振りをして、敷地内の林に誘った。
 三匹が追い付けそうな速度まで落とし、自分の真後ろに来た所で木の幹に爪を立て、くるりと一周して背後に回った。相手を見失っておろおろとしている所へ加速して追い縋り、一番後ろを走っていた雌犬にエルボードロップを決めた。
 ギャフンっ!
 一匹目の雌犬の肉体が胴の部分で千切れ、元の美しい女体に戻った。下半身に露出したコントロール・デバイスを、あたしは念のため踵で踏み潰した。
「アルテミス様に勝利をっ!」
 と叫ぶと、ニュンペーは赤い砂となって崩れた。
 二匹の雌犬が、反転してこちらへ向かって来たが、一匹減ればもはや力押しでどうにでもなるように思えた。
 あたしはにやり(﹅﹅﹅)と笑って、相手を挑発した。
「貴様、カリストーをっ!?
 案の定、二匹目の雌犬は怒りに我を忘れ、喉笛を真っ直ぐ喰らいに来た。あたしは右腕を引き絞り、その口元を目掛けて狙い打った。
 ぐしゃっとした感触が拳に伝わり、二匹目の肉体は目の前で飛散した。
 戦力差を目の当たりにした三匹目が逃げ出したので、あたしは加速度を最大まで上げて雌犬の前に出ると、全体重を乗せた回し蹴りを下丹田に叩き込んだ。
 三人のニュンペーたちは、全て赤い砂となって消えた。

「あははははははは、すごい、すごいっ!」
 身体が嘘のように軽かった。全ての感覚が鋭敏になり、身体じゅうに力が溢れるようだった。
〔ははは、生身の大脳を残しているので、どうしても反射速度だけはナノロイドたちのトップスピードに対処できないんだよ。だからこのコギャルモードは、君の脳に反射速度を上げるアッパー系の薬物を、ちょっぴり注入してあるんだ〕
「えっ……、それって大丈夫なの?」
 でも今は、そんな細かい事を気にしてる場合じゃない。まず目の前の敵を撃破しないと、頭の心配なんてしても意味ないしね。
 従神たちを殺されたアルテミスが、凄まじい形相で迫って来た。
「おのれっ、よくもオレイアスたちを殺ったなっ!!
 アルテミスは三本の矢を番えて弦を引き絞り、全てまとめて撃ち放った。一直線に飛び出した矢は軌道を変え、三方に分かれた。このナノ細胞の矢は厄介だ。どういう仕掛けか分からないけど、まるで誘導ミサイルのようだ。
 あたしは意識を集中し、右から飛来した矢を長い爪で叩き落とした。ほぼ同時に左から飛来した矢を肘で弾いてやり過ごし、最後に天空から飛来した矢を歯で噛み砕いた。
 目の前に、アルテミスの巨体があった。
 アルテミスの熊の爪が、あたしの両肩に目掛けて振り下ろされる。あたしはその太い手首を掴んでブロックした。
「貴様っ!?
 獣人化したアルテミスの体長は、二メートル近くはあった。百六〇センチしかないあたしの身体など、簡単に押し潰せるという算段だったのだろう。だけど、今のあたしの膂力からすれば、押し潰される立場は女神の方なのだ。
「あはははは、ヘラクレスに遠く及ばないわね!」
 と宣言し、あたしは掴んだ手に力を込め、アルテミスの両腕を引き千切ってやった。
 ギャフンっ!
 と、アルテミスが悲鳴を上げるなか、あたしはギョっとした。
 両腕を失くした女神に勝機があるとは思えなかったが、アルテミスは勝利を確信し、笑っているように見えたのだ。
「お前の負けだ……」
 アルテミスの目線はあたしではなく、その後方を見ていた。
「しまったっ!!
 肘で弾いた筈の矢の一本が、背後からあたしの脇腹にガキンっと直撃した。アルテミスの矢が、遠隔操作で軌道を変えて戻って来たのだ。
 だけど、こんがりと焼けたコギャルの肌は異常に硬かった。アルテミスの矢の先端は拉げて曲がり、草の上にぽとり(﹅﹅﹅)と落ちた。
「ば、馬鹿な、ナノ兵器の矢が効かぬだとっ!?
 あたしはアルテミスの懐に潜り込むと、ネイルアートでキラキラと光るピンクの爪を揃え、彼女の下丹田に目掛けて突き出した。
 小麦色に焼けた腕が、毛むくじゃらの背中から飛び出した。
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