十四、魅惑のヴィーナスランド

文字数 4,115文字

 応接室に入ると、二人の男がソファの前で待っていた。
「申し訳ありません。本来なら日を改めてアポを取るべきなのは重々承知していますが、今の状況を考えますと、一刻も早く総理に報告した方が良いと判断しました」
 と、無精髭を生やした男がぺこりと頭を下げた。
 肌は日に焼け、頬もこけ、TVでお馴染みの好青年の面影は微塵も残っていなかったが、彼は旭日テレビの元アナウンサーの神山新一に間違いなかった。
 隣には、同じように日に焼けた少年を引き連れていた。
「この子が真琴島(まごっとじま)の生き残りの?」
 矢部総理は、神山氏の隣で室内をきょろきょろと見回している少年に目をやった。背こそあたしより高かったが、ひょろりとした身体つきと幼い顔立ちをみるに、せいぜい中学生くらいの年齢なのだろう。
「おいらは、真琴島の真田勇作だ」
 少年は総理大臣を前にして、物怖じする事なく名乗りを上げた。
「うむ、わしは永田町の矢部新造だ。で、横におるセーラー服のお姉さんは、永田町の名物コスプレーヤーだ」
「秘書官の乃村紫音よ!」
 あたしは矢部総理のくだらないジョークを、間髪入れず否定した。
 少年はあたしたちの顔を見て、にっ(﹅﹅)と笑った。

「神山さん、確かあなたは半年ほど前に局を辞めておられた筈だが」
 総理はソファに腰掛けると、現在の神山氏の立場を確認した。
 旭日テレビの中では、珍しくまともなアナウンサーと言われる人物ではあったけれど、やはりマスコミ関係者となれば用心は必要なのだ。
「おっしゃる通りです。あの事件の後、わたしは番組を降板させられ、それ以降は表舞台に立つ仕事から外されました。元々、上層部とも反りが合わなかったので、これを機に局を辞めたのです。しばらくの間は、ぶらぶらして過ごそうと思っていたのですが、コメンテーターの丸屋さんが死の間際に言っていた『泡ノ国島(あわのくにじま)』の話をふと思い出しましてね。冗談半分の気持ちで、真琴島へ渡ってみたのです」
「ほう……」
 クソ真面目、というイメージしかなかった元アナウンサーから、冗談半分という言葉が飛び出し、総理も意外に感じたのだろう。
「どうせ根も葉もない与太話しか出てこないだろうと、生き残った島の女性たちに取材を試みると、予想以上に口が重い。最初のうちは、陰惨な島の事件に触れられたくないのだろう……と思ったのですが、どうも彼女たち、何かを隠しているような気がしてならない。それからねちっこく、島の役場や駐在所などにも取材を重ねて行くうちに、当時十三歳だった一人の少年に行き当たったわけです」
 神山氏は真田少年の方に首を傾け「彼は島の奥地で、西洋の城のような建造物を見たと言うんです」と続けた。
「そ、それってまさか、例の違法風俗店……」
 はしたない言葉を口にして、あたしは自分の顔が赤らむのを感じた。
「おいらは見たんだ!」
 少年はソファから身を起こし、円らな瞳で訴えかけた。
「よし、真田くん、ぼくに話してくれたあらましを二人にも話してくれ」
 神山氏が先を促すと、少年は滔々と語り始めた。

「あれはコロリが起こる三日前の晩だった。
 おいらの家は、父ちゃんと母ちゃんと兄ちゃんとおいらの四人家族だ。父ちゃんと兄ちゃんは男同士の付き合いをしてて、おいらと母ちゃんを置いて村の居酒屋に二人でよく呑みに行ってた。
 そいつはまぁ、兄ちゃんとは歳も離れてて、おいらはまだガキだったから仕方ねぇんだけどよ……、どうもある頃から週末の夜になると、村の男衆と一緒に島の中央にある円山(まるやま)に出掛けるようになったんだ。
 母ちゃんはめっぽう機嫌が悪くなるし、おいらは二人が島の奥へ何しに行くのか気になったし、父ちゃんに尋ねても、村の大事な行事にガキが興味持つもんでねぇ、ちゅうておっかない顔して黙らせるだけだった。
 だけど、おいらの兄ちゃんが漏らした情報によっと、TVでも拝んだ事のねぇような大美人の姉ちゃんらが、とっても気持ちのええマッサージをしてくれるって言うでねぇか。父ちゃんは、余計な話をするもんじゃねえって、兄ちゃんを張り飛ばすもんだから、それ以上の情報は聞けなかったけどな。
 おいらは却って、その行事ちゅうのが気になって仕方なかった。それで或る週末の夜、おいらも円山について行こうと決めたんだ。
 父ちゃんと兄ちゃんがそそくさと家の門を出たあと、おいらも窓から外に飛び降りてこっそり二人のあとを尾けて行った。村の集会所にはすでに村じゅうの男たちが集まってて、中には駐在さんや、去年七十を越えた村長さんの姿もあったよ。
 みんなは円山の奥地を目指して道無き道を歩んで行った。
 数十分も歩けば目的地に着くと踏んでいたけど、一時間経っても、二時間経っても、行進は止まらねぇ。あまりの強行軍に、これは父ちゃんが言ってたようにただの村の行事に違いねぇ……と思い始めた。たかがマッサージを受けに、こんなに足腰がくたくたになる場所まで行くわけがねぇ、もうあとを尾けるのは止して家に帰ろうと思った。そう思った矢先、暗い森の向こうにキラキラと光り輝くお城が見えたんだ。
 ネオンサインに『ヴィーナスランド』って書いてあって、門前にはそりゃあ綺麗な外国の姉ちゃんらが何十人も出迎えて、村の男衆と抱き合っていたんだ」
「店名がヴィーナス……、外国の女ってまさかっ!?
「ふむ、アフロディーテの英語読みか」
 あたしも総理も、あの美しい女神たちの姿を思い浮かべていた。
「おいらはまだガキかも知れねぇが、そこが女の人とエロい行為をするトコだって事ぐらいすぐに分かったよ。ここまで来たら、おいらはどうしてもお城の中を覗きたくなっちまった。でも、父ちゃんに見つかったらドヤされるに決まってるから、足音に気を付けて門に近づき、もう誰も居ないのを確かめてから中に入ったんだ。
 一階の大広間には、何台もあるテーブルの上に贅沢な料理が用意されていたけど、人っ子一人居なかった。大広間の真ん中に、上の階に続く大きな階段があって、どうやら二階から男女の声が聞こえてくる。おいらは恐る恐る階段を昇り、二階の廊下をゆっくりと歩いて行った。廊下には沢山のドアがあって、小さな部屋に分かれているみたいだった。
 ドアの向こうからは、女と男の呻くような声がした。
 その中に聞き覚えのある声があったんだ。
 おいらはその声がした部屋の前で立ち止まると、ドアノブに手を掛けてそっと引いた。ドアに鍵は掛かってなくって、音も立てずに開いたので、おいらはその隙間から部屋の中を覗き込んだ。
 そこには、金色の髪をした女の人の裸があった。
 女の人はあんあんと声を上げて、身体を上下に揺すっていた。腰元は泡まみれになってて、その下には気持ち良さそうな顔をした父ちゃんが寝っ転がってた。女の人はドアの向こうのおいらに気が付いたのか、父ちゃんの腰に乗っかったまま首をこっちに回して、にっこり笑った。
 すると、父ちゃんの身体に覆い被さるようにして、まるで蛇みてぇに身体をうねうねと動かしたんだ。途端に父ちゃんは、ああっ女神さまって叫びながら、女の人の背中に手を回してびくびくと腰を顫わせた。
 おいらは、何だかとっても怖くなっちまって、慌ててそのお城から飛び出すと、一人で真っ暗な山道を走って家に帰っちまったんだ」
 そこまで話すと、真田少年の目から大粒の涙が零れた。
「村の男衆は、次の朝には何事もなかったように村に帰って来た。だけど次の日の朝には、父ちゃんも兄ちゃんも村の男衆も、みんな死んじまっただ」
 神山氏はポケットからハンカチを取り出すと、真田少年の頬を拭ってやった。
「そのソープラン……いや、お城は荷稲博士の実験場だったと?」
「はい、真田くんにナノロイドのアプロディーテの写真を見てもらったら、その金色の髪の女と間違いなく同じ人物だというのです」
「うーむ……」
 と唸ると、総理は眉根を寄せて首を傾げた。
「しかし神山さんよ、島の捜査は県警の方でも充分にしておるはずだぞ、そんな西洋の城のような派手な建物があったら、大騒ぎになっておるのではないかね?」
 神山氏はティーカップから顔を上げ、総理の疑問に答えた。
「いえそれが、わたしの調査によると、コロリ事件が起こった際に行方不明の島民は居なかったそうで、とくに島の奥地の捜査は行っていません。もちろん、真田くんの話も県警に伝わってはいたのですが、そんな大きな建造物があれば衛星カメラに映らぬわけがないと、一笑に付されたというのです」
「衛星には何も映ってないのかね?」
「はい」
「では、少年の見た夢じゃないのかね?」
 総理が呆れた顔で感想を述べると、
「おいらは見たんだ!」
 と、再び真田少年がソファから身を起こした。
 神山氏は少年の肩に手を掛け宥めてやると、ポケットから数枚の写真を取り出し、テーブルの上に広げた。
「こいつを御覧になってください」
 その写真には、森の中に聳え立つネズミーランドのようなお城が写っていた。
「これって、まさか!?
「はい、真田くんが証言したヴィーナスランドです。彼の記憶を頼りに二人で円山の奥地に登ってみると、果たして衛星カメラでは森林しか映っていない場所に、この建造物は実在していたのです」
「荷稲め、人工衛星のカメラまでジャックしておるとは……」
 矢部総理はヴィーナスランドの写真を握り締めた。

 コンコンと、ドアをノックする音がした。
「お取り込み中のところ悪いが、俺の写真も見てもらえるかな」
 全員が振り向くと、煙草を咥えた塚本博士が、応接室のドアに寄り掛かるようにして立っていた。博士はつかつかとこちらに歩いてくると、手にした大判の紙焼き写真をテーブルの上に置き、狡そうな表情であたしたちの顔を睨め付けた。
「こいつは、コロリウイルスで亡くなった患者の赤化した組織を、ラボにある電子顕微鏡の最大倍率で覗いてみたもんだがねぇ」
 その写真には、ナノ単位の分子が不自然に並んでいる箇所が写されていて、それは〔Made in Caina〕というアルファベットのように見えた。
「やはりコロリも荷稲の開発したものかっ!」
 あたしたちは、荷稲博士の悪魔のような頭脳に改めて恐怖を覚えた。
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