一 青の廃墟

文字数 1,094文字

遠く、小島が浮かぶ港が見える。海猫たちの叫びはここまで届かないし、絶えず寄せる波は穏やかだった。
「ここが心霊スポット?」
朽ちて角が取れたガラスや青臭い雑草を踏みしめて歩きながら、少女は男に言った。
「ここ、ヤバいんだよ。何かヤバい体験できるらしいよ。」
色の抜けた金髪の男は、ニヤニヤと笑いながら興奮したように捲し立てた。
「こんな穏やかなところで。」
初夏の日差しは強く、褪せた紺色の屋根やドアを灼いている。三階建ての長方形の建物は、美しい海辺に眠るように佇んでいた。
建物の周辺は広々とした庭のようで、テニスコートの残骸が横たわっている。ガットの解れたラケットや灰色になったボールもそこかしこに転がっていて、かつて、日に焼けた若者たちがここで余暇を楽しんだ光景が浮かんでくる。
「そもそも謎の建物なんだよ。」
ガラスが外れ、伽藍堂になった室内は、コピー・アンド・ペーストされたようにお揃いだった。
「謎も何も、寮か何かでしょ。」
「俺、今日こそいい映像録るから!」
ズカズカと外廊下に入っていく。
-いい加減、見捨てなきゃならないんだけどな。
少女は逡巡しながらも、キラキラと輝く波を一瞥し、男を追った。
水色の壁に、濃紺の艶々としたドア。瀟洒だったかもしれないそれも、ペンキがところどころ剥げて埃でコントラストを失っている。最も、その方が、人口の少ないひなびた港町には似合っている。
「入るよ。」
男は楽しげにドアをノックした。
-何してるのよ。
そう思った瞬間、
「ココン」
小さなノックが返ってきた。男は目を丸くしてこちらを見る。
「…誰もいなかったよな。」
「いなかった。」
男は急に目を泳がせてキョロキョロし出した。
「何してるの?」
「何ってお前…。」
「入らないの?」
バズりたいんでしょ?
煽られた男は恐る恐るドアノブに手を掛けた。
ドアはスッと開いた。
玄関にはボロボロのスニーカーが残されている。数十年前のデザインだ。廊下の入り口の壁には、観音開きのクローゼットがあり、クロスの剥がれた扉が開きっぱなしになっている。
-キィ
「え。」
クローゼットの重そうな扉が、軋みながら閉じていった。まるで、中から誰か引いたように。
「う、うわああああ。」
男は悲鳴を上げた。そして、そのまま少女を置いて駆け出した。

「えー。もう行っちゃうの?」
情けないなあ。
クローゼットの中から声が響いた。
少女が固まっていると、少年が顔を出した。
「あんな男、捨てちゃえば?捨てさせてあげようか?」
口の端を歪めると、赤い粘膜がキラキラと光った。
「…。」
少女は我に返ったように踵を返し、声も出さずに逃げ出した。
「つまんなかったなー。」
クローゼットは乱雑に閉まった。


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