雪国の立春と街角の砂箱

文字数 1,378文字

 あちこちのSNSで、ちらほらと梅の花をはじめ春らしい景色をみかけるようになってきた。世の中には、早咲きの河津桜という既に咲いている桜もあるようで、それを同じ国とは思えない面持ちで眺めている。
 そうだ、数年前の二月。大雪のなか飛行機に乗り広島へ行ったとき、梅が満開に咲いていて衝撃を受けたのだった。二月の風景とは思えずに歩いていて、時おり五月にワープした気分になり、いや違うと首を振り、滞在中、幾度か時間の感覚がおかしくなった記憶がある。

 立春だった本日、この街では相も変わらず歩く両脇には、山のような雪。冬真っ只中の風景が広がっている。数日前は猛吹雪で交通はマヒし、歩いていると目を開けることも難しいほどだった。最高気温は安定の氷点下。最低気温はどのくらいか?最低気温なんて心の平穏のためには、もはや耳にしないほうがいい。
 この街では、大寒より立春のほうが寒いことは珍しくはない。立春なんてただの暦にある文字だという概念。二月は冬の厳しさが増す時期であって、冬真っ盛り。雪まつりは今日から始まったし、氷濤祭りも雪中運動会も二月。一番寒く、雪の多い時季。よって暦の立春なんてまったくもって実感がなく、旧正月、みたいな、遠いどこかの、もしくは昔々の、言い伝えのような感覚なのだった。
 SNSが発達して、立春の時期はちゃんと春なのかと思うことが増えた。普通に暦通りに季節が進んでいる地域がこんなにもあるのかと、少しばかりうらやましい気持ちでブルーライト越しの画面を眺めている。


 画面とは裏腹に窓の外は猛吹雪だった一昨日。積もった雪の下にはリンクのような凍った路面。ペンギン歩きを、生まれながらに感覚として覚えて育つので、滅多に転びはしないけれど緊張はするし、実際、路面はとても危ない。そのために道路脇に設置されている砂箱がある。晩秋にお目見えする、この街では当たり前の風景。たいていは緑色の四角い普通の箱が、街角のあちこちに立っている。


 (フリー画像お借りしました)

 中には砂が入った袋が入っていて、誰でも中から砂袋を取り出して撒いていい。ただの砂ではなくて、若干の塩分を含む滑り止めとなる危険防止の砂らしい。
 そのためツルツル路面の上にはよく砂が撒かれていて、雪とはいえ真っ白だとか銀世界だとか、ほど遠い。とくに生活路面は黒い斑点模様となっており、決して美しいとはいえない惨状だ。それでも黒い斑点の安心感があるので、欠かすことはできない。美しくなくたって暮らすものにとっては安全優先なのだから。
 そんな中、遊び心を忘れていない砂箱もある。寒さとツルツル路面で、体ガチガチにして縮こまって歩いていると、パンダ姿の可愛い砂箱に出会えたりするのだ。
 ゆるゆるの表情で、オイラ、寒さなんて感じないよ、とでも言いたげな視線で見つめてくるものだから、思わず顔が綻ぶ。






 風が冷たいというよりも痛いと感じるマイナス二桁の吹雪の中でも、このパンダが街の片隅で、冬の ほっこり担当として鎮座し、静かに冬を乗り越えている姿に励まされる。
 正面にまわると、砂袋はなく空っぽ。本来ならば、お腹の部分にたくさんの砂袋が詰まっているのだけれど、お腹の中には雪が積もっていた。立春真近に砂袋なくなるほどのつるつる路面。そして、吹雪。哀愁ただよう表情が、雪景色に妙に馴染んで見えるから不思議。




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