寒波の夜に
文字数 2,469文字
大寒波到来中の日本。もれなく寒波の仲間入りをしている北の街である。最高気温がマイナス二桁。強風。風は、冷たいという感覚よりも、とにかく痛い。
数年前にも四十年ぶりくらいの寒波が到来していた。日本最低気温を記録していた道東の陸別町では、最低気温を体感しようとチェックアウトした観光客が戻ってきたというニュースを見て驚いた。世の中の人は皆、そんなに寒さを体験したいものなのかと。
冬に暖かい場所を求めて旅をする人は多いだろうが、冬こそTHE冬を求めて歩くのも悪くないのかもしれない。
ちなみに札幌、最低気温が零度以下の冬日は百二十五日程度、最高気温が零度以下の真冬日は五十日程度あるそうだ。地方の街へ行くともっと多い。
同じころ、札幌も十日連続の真冬日を記録していた。忘れもしない。その寒波の真っ只中、温かな室内でぬくぬくしていたいというごく普通の希望も叶わず、したくもない夜の冷えきった外気温の体感をすることになった。
我が家の暖房大黒柱である灯油ストーブの異変。冬の暖房の異変はとても緊張する。死活問題である。
夜も更けた十一時過ぎの出来事だった。
いきなりリビングに響き渡るトントントン、とノックかと思うような音。何事?と、娘と顔を見合わせる。どうやら音の主は我が家の暖房の大黒柱。
灯油で火を点ける暖房機器、ストーブ。明らかに普段と違う働きぶりを訴えている異音。まさか爆発しないよね、という恐怖が沸き上がり、とりあえず暖房オフ。
母娘家族なので我が家の人間の大黒柱は私である。頼るあては自分なので、とりあえずスマホ片手に原因をググる。便利な世の中である。
原因その一、灯油が空になって空気が入っている。
いえいえ、灯油は入れたばかり。
待てよ。灯油高騰でタンクから灯油が盗まれる、なんてニュースもあったから念のため確認してみる。大丈夫、満タン。
原因その二、リセットボタンが解除されている。
リセットボタンを押してみる。
そして暖房オン。急速に冷え始めていた室内に温かな優しい空気が立ち上がる。不安そうに見ていた娘が安堵の表情を見せる。いい感じ、いけそうかも。
二十分後、期待虚しく暖房大黒柱からトントントンが聞こえ始める。ダメだった。悲しいけれど、再び暖房オフ。
冬場は室内であっても暖房がなければ、あっという間に室温は下がっていく。THE冬の北海道だ。寒い。いや、室温よりも気持ちが負けてて心が寒い。
やめればいいのに思わず外気温をググってしまう。現在氷点下十五度。このあと氷点下十八度とある。朝まで暖房オフだと、室温はどこまで下がるのか。想像するだけで恐ろしい。
心がより寒くなる。
こういうときに限って予備のポータブルストーブに灯油が入っていない。数リットルでいいのに、それがない。心が激しく抵抗しているけれども仕方がない。
ポータブルストーブの灯油タンクを持ち、外へ出る。出るしかない。外の作業だ。氷点下の暗闇の中、外に設置されている大きなホームタンクの前に立つ。下側は暗くて見えないけれど、街灯に照らされていて上側はよく見える。満タンなので私は上から灯油ポンプでシュポシュポと灯油を移しかえ始めた。
こんな夜中に、はっきり言って怪しい。「ここは我が家の灯油タンクです。灯油泥棒ではありません」と背中に貼り紙をしたくなる。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。大袈裟ではなく、命に関わる寒さなのだから。
空からは舞い落ちる雪。気温 氷点下二桁の雪は素晴らしい。
雪の結晶が見えるほどのふんわりサラサラした粉雪で、まったくもって、こんなときにもなんてキレイなヤツなのだ。帽子やコートに積もる雪は決して溶けずに手ではらえばパラパラ落ちる。観光客なら見とれるほど美しいはずだが、私にとっては日常。これを贅沢と言わずになんと言おう。こんな雪を見られる私は幸せ者、と普段感じたこともない理屈で自分を励まし、寒さをこらえ急いでシュポシュポし、室内に戻った。
無事ポータブルストーブをオンにする。ポータブルストーブは点火時に臭い。しかも定期的に換気が必要である。換気扇をまわし細く窓を開ける。
窓柵に細いツララが出来ていて、思わずポキポキ折ってしまう。このポキポキの感触が子ども心をくすぐったものだ。私はもう大人だけれども。遊び心を忘れちゃいけない、と誰にも責められていないのに心の中で言い訳をした。
寒いので、もちろん一、二分で窓を閉める。
ポータブルストーブの威力と外気温の勢力。
思わず問いたくなる。定期的に換気が必要なストーブって、氷点下の街にどうなんだろう。そんな思いを抱えながら、なんとか一晩やり過ごす。おかげで寝不足。
翌朝八時、いつもメンテナンスをお願いしている個人業者へ連絡をする。
聞きなれた声の電話対応のおばちゃんと、灯油は入っていますか、入っています、リセットボタンを押してみてください、押しました、と昨日調べた通りのやり取りをする。ちなみに今冬がくるまえにオーバーホールを終えていることも伝える。
そして修理担当の、こちらも見慣れたおじ様登場。ストーブを語ると話が止まらぬ気さくな職人。あちらを覗き、こちらを見ては、何やら手慣れた手つきで確認し、それから外へと出ていった。それほど時間はかからず、見事無事に大黒柱が甦った。
原因は灯油タンクのフィルター凍結。「いやあ、この寒さだからねえ。でももう大丈夫だよ」と、すぐに対応してくれる修理のおじ様、素敵すぎる。しかも、いつもメンテナンスを頼んでいるので、とってもお安くしてくれる。室温はまだ寒かったけれど心は温まった。
寒さ体験するために人が戻ってくるように、こんな寒さ体感話をネタとして笑い飛ばすのが雪国あるある。
翌日、当然のごとく話のネタにすると「そうそう、私もさー」「冬もう参るよねえ」と困った顔をしながら互いの極寒冬体験物語を披露しあう。「寒い!」「雪かきウンザリ!」と心底感じつつ、言い合う声は、何故だか明るく張りがある気さえするのであった。
数年前にも四十年ぶりくらいの寒波が到来していた。日本最低気温を記録していた道東の陸別町では、最低気温を体感しようとチェックアウトした観光客が戻ってきたというニュースを見て驚いた。世の中の人は皆、そんなに寒さを体験したいものなのかと。
冬に暖かい場所を求めて旅をする人は多いだろうが、冬こそTHE冬を求めて歩くのも悪くないのかもしれない。
ちなみに札幌、最低気温が零度以下の冬日は百二十五日程度、最高気温が零度以下の真冬日は五十日程度あるそうだ。地方の街へ行くともっと多い。
同じころ、札幌も十日連続の真冬日を記録していた。忘れもしない。その寒波の真っ只中、温かな室内でぬくぬくしていたいというごく普通の希望も叶わず、したくもない夜の冷えきった外気温の体感をすることになった。
我が家の暖房大黒柱である灯油ストーブの異変。冬の暖房の異変はとても緊張する。死活問題である。
夜も更けた十一時過ぎの出来事だった。
いきなりリビングに響き渡るトントントン、とノックかと思うような音。何事?と、娘と顔を見合わせる。どうやら音の主は我が家の暖房の大黒柱。
灯油で火を点ける暖房機器、ストーブ。明らかに普段と違う働きぶりを訴えている異音。まさか爆発しないよね、という恐怖が沸き上がり、とりあえず暖房オフ。
母娘家族なので我が家の人間の大黒柱は私である。頼るあては自分なので、とりあえずスマホ片手に原因をググる。便利な世の中である。
原因その一、灯油が空になって空気が入っている。
いえいえ、灯油は入れたばかり。
待てよ。灯油高騰でタンクから灯油が盗まれる、なんてニュースもあったから念のため確認してみる。大丈夫、満タン。
原因その二、リセットボタンが解除されている。
リセットボタンを押してみる。
そして暖房オン。急速に冷え始めていた室内に温かな優しい空気が立ち上がる。不安そうに見ていた娘が安堵の表情を見せる。いい感じ、いけそうかも。
二十分後、期待虚しく暖房大黒柱からトントントンが聞こえ始める。ダメだった。悲しいけれど、再び暖房オフ。
冬場は室内であっても暖房がなければ、あっという間に室温は下がっていく。THE冬の北海道だ。寒い。いや、室温よりも気持ちが負けてて心が寒い。
やめればいいのに思わず外気温をググってしまう。現在氷点下十五度。このあと氷点下十八度とある。朝まで暖房オフだと、室温はどこまで下がるのか。想像するだけで恐ろしい。
心がより寒くなる。
こういうときに限って予備のポータブルストーブに灯油が入っていない。数リットルでいいのに、それがない。心が激しく抵抗しているけれども仕方がない。
ポータブルストーブの灯油タンクを持ち、外へ出る。出るしかない。外の作業だ。氷点下の暗闇の中、外に設置されている大きなホームタンクの前に立つ。下側は暗くて見えないけれど、街灯に照らされていて上側はよく見える。満タンなので私は上から灯油ポンプでシュポシュポと灯油を移しかえ始めた。
こんな夜中に、はっきり言って怪しい。「ここは我が家の灯油タンクです。灯油泥棒ではありません」と背中に貼り紙をしたくなる。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。大袈裟ではなく、命に関わる寒さなのだから。
空からは舞い落ちる雪。気温 氷点下二桁の雪は素晴らしい。
雪の結晶が見えるほどのふんわりサラサラした粉雪で、まったくもって、こんなときにもなんてキレイなヤツなのだ。帽子やコートに積もる雪は決して溶けずに手ではらえばパラパラ落ちる。観光客なら見とれるほど美しいはずだが、私にとっては日常。これを贅沢と言わずになんと言おう。こんな雪を見られる私は幸せ者、と普段感じたこともない理屈で自分を励まし、寒さをこらえ急いでシュポシュポし、室内に戻った。
無事ポータブルストーブをオンにする。ポータブルストーブは点火時に臭い。しかも定期的に換気が必要である。換気扇をまわし細く窓を開ける。
窓柵に細いツララが出来ていて、思わずポキポキ折ってしまう。このポキポキの感触が子ども心をくすぐったものだ。私はもう大人だけれども。遊び心を忘れちゃいけない、と誰にも責められていないのに心の中で言い訳をした。
寒いので、もちろん一、二分で窓を閉める。
ポータブルストーブの威力と外気温の勢力。
思わず問いたくなる。定期的に換気が必要なストーブって、氷点下の街にどうなんだろう。そんな思いを抱えながら、なんとか一晩やり過ごす。おかげで寝不足。
翌朝八時、いつもメンテナンスをお願いしている個人業者へ連絡をする。
聞きなれた声の電話対応のおばちゃんと、灯油は入っていますか、入っています、リセットボタンを押してみてください、押しました、と昨日調べた通りのやり取りをする。ちなみに今冬がくるまえにオーバーホールを終えていることも伝える。
そして修理担当の、こちらも見慣れたおじ様登場。ストーブを語ると話が止まらぬ気さくな職人。あちらを覗き、こちらを見ては、何やら手慣れた手つきで確認し、それから外へと出ていった。それほど時間はかからず、見事無事に大黒柱が甦った。
原因は灯油タンクのフィルター凍結。「いやあ、この寒さだからねえ。でももう大丈夫だよ」と、すぐに対応してくれる修理のおじ様、素敵すぎる。しかも、いつもメンテナンスを頼んでいるので、とってもお安くしてくれる。室温はまだ寒かったけれど心は温まった。
寒さ体験するために人が戻ってくるように、こんな寒さ体感話をネタとして笑い飛ばすのが雪国あるある。
翌日、当然のごとく話のネタにすると「そうそう、私もさー」「冬もう参るよねえ」と困った顔をしながら互いの極寒冬体験物語を披露しあう。「寒い!」「雪かきウンザリ!」と心底感じつつ、言い合う声は、何故だか明るく張りがある気さえするのであった。