雪像製作なるもの

文字数 1,457文字

 北海道の冬の風物詩、コロナ禍で三年ぶりに開催されていた七三回目のさっぽろ雪まつりが昨日終幕した。
 子どもの頃から何度も見には行っているけれど、当然毎年行くわけではなく、近くに用事があったとか、娘が小さい頃は見せてあげようとか(滑り台などもある)そんな感じ。たぶん、市民よりも観光客の方が多いのではないだろうか。

 さっぽろ雪まつりには、中大雪像のほかに、市民が作る市民雪像なるものが八十基程度ある。最近は大雪像に自衛隊の方とともに市民ボランティアとして参加できる枠もあるらしいが、当時は市民が雪像製作体験で参加できるのは市民雪像だけだった。

 学生時代に、その市民雪像製作に参加したことがある。何かの広告で見て、仲の良かった友人と軽い気持ちで応募した。
 熱心な雪まつりファンではないけれど、若い頃は勢いで製作参加しちゃえ、くらいには身近にある冬のまつりだということだろう。

 申し込めば誰でも創れると思っているような、何の知識もない二十歳の女学生だった。応募会場に着くと人の多さにまず驚き、いろいろと書類を書かされることにも驚き、そして提出したあと「倍率は五倍くらいです」と言われてまた驚いた。今はもっともっと高い倍率らしいけれど。
「これは可能性薄だね」なんて言いつつも期待して待っていたら、なんと当選してしまい、喜び勇んで会場へ創作に出かけた。

 これまた行ってみて私たちは衝撃を受けた。
 なんとなく雪を積み上げていくイメージだったのだ。本当に何も知らずに申し込んだ自分たちに呆れかえる。
 二十歳の女子五人の目の前には「四角い雪の塊」が大きなビル群のように立ちはだかっていた。






 大きなビルは大げさだけれど、高さは約三メートル。ちびっ子の私の背丈の倍はあり、思わず見上げてしまうほどはある。
 雪像作りとは、この雪の塊を削っていく作業なのだ。
 生まれた頃から雪像を身近に見てきたけれど、見ているだけでは分からないものだとつくづく感じる。

 振り返れば、それまでに私が創った雪像なんて雪ダルマくらいだし。雪をゴロゴロ転がしただけだし。

 この巨大な塊をひたすら削っていく。が、この塊、硬いのなんのって。
 雪というより氷かってくらいにガチゴチなのだ。
 とてもか弱き女子五名には無理な作業のように思われて、とにかく人手を!と、クラス全員を巻き込むことにした。
 三十人余りの少人数クラスで、とてもまとまりのある仲間だったので、全員が一度は参加してくれて、出来上がった雪像を先生も見に来てくれた。

 道具の使い方も分からないような女子がキャーキャー言って創っていると、周りに心配されるらしい。道具の使い方を教えてくれたり、細いところは挿し木をとアドバイスをくれたり、寒い中で熱々の豚汁を炊き出ししている人たちが「一緒にどうぞ」とご馳走してくれたり。
 こうして一緒に創っている周りの人達との、妙な連帯感が生まれてくるのもまた 雪像製作の醍醐味かもしれない。

 クラス仲間が協力してくれ、周りの人たちと触れ合いながら製作できたことに大きな意味を感じたひとときだった。

 あの寒さの中で、あの塊と格闘するなんて、今はもう出来ないなぁ、と思うけれど、大雪像にも市民ボランティアとして参加できるようになった昨今。その様子を映像で見たりしていると、あの頃の事を思い出して、しかも大雪像に参加できるなんてすごいな、と思ったりもしてしまう。
 そして、市民ボランティアにいつか参加するのも悪くないかも、なんて無謀な考えが頭をかすめたりする。うん、かすめるだけ。
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