一月のネギ

文字数 1,086文字

 四国、うどんの国に彼女は住んでいる。
 数年前にひとつの作品を一緒に創った縁で、今も仲良くさせていただいている。
 その彼女のTwitterに最近衝撃を受けた。
 庭にネギを植えました、とある。苗で植えたのだろう。添付されている写真には、土からほんの少し、可愛らしく顔を出しているネギの青い部分が見えており、その横にはなんとビオラが咲いていた。

 当たり前だが、土、である。土が見えているのである。雪でしょ、普通。だって冬でしょ、一月って。
 百歩譲って、土が見えていたとして、その土は凍てついている。冬の真っ只中に、外で花が咲くなんてありえないのである。
 思わず窓の外を眺めた。一面、真っ白。やはり土なんてどこにも見えない。
 とても同じ国とは思えず、思わずコメントに「雪がなくて驚きました」と書いて笑われた。もちろん、ネギが育つの楽しみですね、と添えたけれども。何よりもネギを一月に、外で、土に、植えることへの衝撃を伝えたかったのだった。

 ふと思う。
 雪がない地方って、何を見て冬を感じるのだろう。
 私にとっては雪が降ったらもう冬である。だいたい十一月、早い年なら十月にやってくる。そして三月までは雪の中。積もりはしないけれど四月にも雪は舞う。
 疑問に答えてくれたのは名古屋の方だった。
 木が枯れ木になったら冬かなあ。
 なるほど。
 すべて落葉して、秋が終わってからゆっくりと冬になるのか。
 信じられない。

 そこで、この表紙には、雪の中に埋もれる紅葉の写真を選んだ。札幌では、まだ紅葉していて秋をもっともっと味わいたいと感じている途中で、無情にも雪が降り、まだ枝にある紅葉の上にも雪は積もり、そして落としてしまう。
 そう、秋が終わる前に、冬は無理矢理やってくる。晩秋などない。他の季節を押しのけてやってきては、長く居座る冬の存在感たるや半端ない。この地に生まれ育ち、雪かきに使うエネルギーと時間に理不尽さを覚えながらも、当たり前のように過ごしてきた。でも同じ冬の時間を、雪かきでひーひー言うのではなく、花とネギに使っている民がいる。なんということ。理不尽な思いに拍車がかかる。

 秋が終わる前に、大きな顔をして冬が無理矢理やってくることは、北国ならではの風景なのかと今さらながら思う。もちろん雪が珍しい地域が多数あることだって頭では理解しているのだ。その地の夏が、私には失神しそうなほどに暑くなることだって知っている。それなのに、真冬に楽しそうに花を愛でネギを育てている写真を、同じ国とは思えずに、羨ましげにややしばらく眺めていた一月某日。




晩秋イコール冬/無理矢理冬になる瞬間の風景









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