第21話 捕虜収容所の記憶

文字数 1,974文字

 目をつぶると、いつも決まって色のない夢を見る。
 黒い海面と白い三角の波頭が激しく打ち寄せる断崖絶壁の近く。
 そして決まって出てくるのは、その海の近くにある戦争捕虜収容所だった。

 貧しい家族を養うために15歳で軍属になった平田成典は、関東の陸軍捕虜収容所に配属された。
 募集要項にあった仕事内容は捕虜の監視その他雑用だから、捕虜の米英人たちを労働の間見張ったり、生活の世話をしたりだと思っていた。
 だが実際はまるで違った。
 彼の上官は捕虜をわざと苦しめ、いたぶって喜ぶような加虐趣味の人物で、軍人ではない軍属、おまけにまだ少年看守の平田たちにも殴るけるの暴力を加えた。
 誰もが彼の近くにいると怯え、機嫌を損ねないようにやり過ごすのに精いっぱいだった。
 部下に辛く当たる上官はまた、捕虜たちの扱いも苛烈を極めた。
 有名大学を出てどこか通信社に勤めていたその男は、一見インテリで、英語もある程度できた。
 米英の撃墜されたパイロットや、降伏した陸上部隊の兵士たちの陰口もわかるので、過激に反応し、頻繁に捕虜を殴り独房に押し込め、病人でも叩き起こして作業に向かわせるなどの虐待をしていた。
 無力な少年の平田たちは、いつも捕虜たちの悲鳴を聞き、耳を塞ぎたくなりながらも命令通りに彼らを縛り、木刀で殴り、冬の木枯らしの下にまっ裸で立たせた。
 上官命令に反抗するなどと考えられなかった。

 昭和20年7月末、屋外作業中にまだ若い捕虜が脱走した。
 看守や応援の兵士らが血まなこになって探し、その日のうちに海岸から離れた原生林で発見された。
 収容所に戻された時は既に、自分一人では立てないくらい暴行を加えられ、若い米兵は、苦痛と恐怖に震えながら広場に転がされていた。
 友軍の対空砲火で撃墜されたアメリカのパイロットだと聞く。

「平田、お前こいつを始末せい」

 大勢の兵士が並ぶ中、上官が底意地の悪い目で平田に一瞥をくれた。
 拒否などできなかった。
 脱走兵は他の看守たちの手で手際よく太い木に縛り付けられ、立ち尽くす平田の手には銃剣が渡された。

「よし、やれ」

 上官の下司が飛ぶが、彼は膝も手も震え、とても銃剣を構えての突進など出来そうもない。

「やれ ! 貴様腰抜けか !」

 そこから先はよく覚えていない。
 絶叫しながら銃剣を構えて縛られた兵士に突撃し、身体ごとぶつかっていった。
 教えられた通り素早く突き刺して抜くなど出来ない。
 肉と皮膚と、内臓を切り裂く重い手ごたえが、脱走兵の悲鳴と共に腕に伝わる。
 小柄でやせっぽちの平田の体に、骨と皮ばかりにやせ細った白人の体がのしかかり、自分の胸に深くめり込んだ銃剣を狂おしい程に見つめていた。
 その光のない青灰色の目を彼は忘れる事ができない。
 いつも見る白黒の色のない夢の中でも、その刺された捕虜の目の青と、ぼたぼたと迸る赤黒い血だけは常に色がついていた。

「こいつだって戦場に居たら死んでいた運命だ。飛行機が友軍に落とされた時点で、もうこいつは死んだも同然だったんだ」
「俺たちもそうだ。お前だって。今夜のうちに爆弾が落ちてふっとんで死んじまうかもしれない。だから同じなんだ。気にするな」

 同僚の軍属からはそう声をかけられた。
 だがこの件以降、捕虜たちが平田を見る目は明らかに変わった。
 底なしの憎悪が常に向けられるようになった。

 昭和20年8月15日、戦争は終わった。
 ちょうど本土決戦に向け転属になる直前で、平田はたまたま帰郷していた。
 これで死なずに済んだと安心していた彼にもたらされたのは、自分が米軍から指名手配を受けているという情報だった。
 元同僚が教えてくれたその知らせに、平田は耳を疑った。
 収容所の上官たちはみな転戦先で戦死、生き残りも既に逮捕されており、彼の弁護をしてくれる者はいない。
 故郷の村の老親は彼にありったけの金を握らせ、身の回りのものと着替えだけを持って逃亡させた。
 彼は名前を変え、境遇を偽り、農家の手伝いや牛馬の世話や乳しぼり、炭焼きや木こりに木彫り職人見習いなど各地を転々とし、実に7年に渡って官憲の手を逃れていた。
 その間もかつての同僚や上官、また他の収容所関係者の、逮捕・処刑の知らせを目にした。
 死にたくない。せっかく戦争が終わったのに。自分は生き延びたのに。
 彼はその一心で追及の手をすり抜け続けていた。

 夢の中、風は常に強く吹き付けている。
 すぐに逃亡できるように、いつも服を着て靴を枕元に置いて寝る平田は、うなされながら考えた。
 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
 戦争は終わったのに。
 皆平和に暮らし始めているのに。
 俺の戦争はまだ終わっていない。
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