第17話 神の責務

文字数 2,119文字

 小屋で一夜を明かした二柱の神と早夜は、別れの挨拶をしていた。

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 昨日、早夜と速風は、川べりで散々抱き合ったあと、また身体を洗い、温泉に入った。
 そして、もう腰が限界だった早夜を速風が背負って山を降り、早夜の小屋まで運んだ。
 早夜は大きな速風の背中で、泣きたくなるのを必死でこらえ、その背に頬を付けて彼の最後の体温を感じたのだった。

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「じゃあ、行ってくる。すぐに帰ってくるから」
「……、ああ、待ってる」

 早夜は曖昧に速風に返事をする。
 速風の言葉に須佐は顔をしかめた。
 少なくとも須佐は速風をすぐに地上界へ帰すことは考えていないようだ。
 とたん、早夜はくしゃりと大きな手で速風に髪を掻きまわされた。
 早夜を見て心配を拭うように笑顔で言う。

「必ず帰ってくる。どんなことがあっても」
「……うん」

 信じようと思っても、今回は信じる力が湧いてこない。
 なにせ、速風はこの世界ではない、高天原(たかまがはら)へと帰ってしまうのだから。

「俺、見送りはここでいい?」

 早夜は自分の小屋のとびらの前で、速風を見た。
 彼は「分かった」と言うと、早夜の額に口づけをして須佐と共に歩きだす。
 二人は海のほうへと歩いて行った。
 二人が見えなくなるまで見送っていた早夜だが、姿が見えなくなると小屋にまた戻った。
 そして、ふと窓を見ると、空へ向けて海岸の方から沖へと金の橋がかかっているのが見えた。「ああ、あれが高天原へと続く天浮橋(あめのうきはし)なのかな」と早夜は思った。



 早夜の思ったとおり、その金色の橋はまさに『天浮橋』であった。
 その橋を超えて、速風と須佐は天上界である高天原へと入る。
 空には金の瑞雲が漂い、地は花がところどころに咲く草原である。
 透明な水の流れる川には、白木の橋がかかり、そこを超えて速風と須佐は天照(あまてらす)の宮へと急いだ。

 門の前まで来て、門番に取り次いでもらう。
 須佐と速風は天照の兄弟神だったので、すんなり通して貰えた。

 白木の御殿のような宮は、あちらこちらに彫刻があしらわれており、見るだけでも圧倒される。宮の中に通されて、謁見の間で待つように言われた。

 須佐と速風は正装に着替えており、とくに速風はすでに早夜の小屋で初めに着ていた群青色の着物ときらびやかな帯をしていた。

 いくばくか待たされたあと、天照はやってきた。

 須佐と速風よりも上段に登ると、椅子に座って二人を見た。
 二人は天照に平服する。
 金糸銀糸の刺しゅうがあしらわれている赤色の着物を着て、頭には金の冠、翡翠の勾玉の首飾りをし、腕にも宝玉の腕輪を巻いていた。
 床までつくほどの黒髪に、おもざしは厳しく氷のように美しい。

「よく帰ってきた、大速。いや、今は速風と呼ばれていると聞いた。神力も戻ったようでなにより」

 天上の鳥のような澄んだ天照の声が、二人にかけられる。
 須佐が天照に声をかけた。

「天照姉上。この前の宴での狼藉は、すべてオレの責任です。速風をまたこの高天原へ住むお許しを下さいませ」
「ふうむ」

 天照は興味がないように広げていた扇をぱちんと閉じた。

「いいだろう。またこの高天原に住むがいい。わたくしも速風に対しての処置は厳しいものだったと思っていた。ちょうどいい」

 しかし速風はまとまりかけた話を壊すようなことを言い出した。

「お待ちください、天照さま。わたしはもう、高天原に住むことにはこだわっておりません。神としての自分にも。そして、わたしは地上界で大事な者を見つけました。その者の為に『人間』として、地上界へ帰りたいのです」

「神としての責務を放棄するというのか」

 苛立った声音で天照がその美しい眉を吊り上げた。

「わたしは一度神の力を奪われた身、神力に未練はありません。風の力は他のものに託してほしいのです」

「勝手な!」

 天照は激昂した。扇を強く手に打ち付けると、椅子から立ち上がる。
 勝手なのはどっちだ、と速風は思う。
 無理やり『忘却の酒』を飲ませ、神力をうばい、地上界へ下した。
 運が悪ければきっと死んでいたのだ。

「認めぬぞ! そなたは神であり、その責務がある! 風を操り、制御し、ときには嵐を起こす。それがそなたの責務ぞ!」

 天照の頬が怒りで朱に染まっている。
 速風は必至で頭を下げた。

「お願いです、私を地上界へ。恋しいものがいるのです!」
「ならん!」

 速風はさらに畳みかけるように言いつのった。

「わたしはその者に、必ず地上界へ帰ってくる、と約束しました。それを破るわけにはいかないのです!」
「そなたの約束ごとなど知ったことか。風の神としての責務を全うせよ」

 そう言うが、天照はその場から足早に去って行った。

 謁見の間に残された須佐と速風は、あまりの天照の怒りにしばらく頭を下げたまま、身動きができなかった。
 とくに速風は悔しくて床に爪をたて、ぎりぎりと掻いた。

「速風……無茶を言ったな」

 先に頭をあげた須佐が、いまだ平伏している速風の肩を起こした。

「わたしは……わたしは……早夜と約束をしたんだ。約束を破るわけにはいかない……」

 俯きながらうわごとのようにそう言う速風に、須佐はもう何も言えなかった。
 そんなにあの人間、早夜が大事だったのかと、今は憐憫にも似た思いを感じていた。
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