文字数 717文字

「涙は自分のために流すもんじゃないよ」

切れ切れに聞こえてくる人々の話し声に混じって
いつかの母の声が聞こえた様な気がした

寂しさに居たたまれなくなり
雑踏の中へ足を踏み出す

時が経つにつれ

葉が一枚一枚落ちるように
かつての友もいなくなり
雪が一片一片降り積もるように
孤独だけが募る

人混みに紛れても
安らぎは得られず

絶望は一層増し
頭は余計に混乱し
心は渦を巻いて私を痛めつける

いつもは私を慰めてくれる 
この澄んだ北風も
今日はひどく私を罵倒する

泣けば気持ちも紛れるのではないかと
色々と試してはみたものの

喚こうが 叫ぼうが
涙は一切出ては来ず

自分には
涙を流す水が
足りていないのではないかと
ペットボトルをがぶ飲みしてはみたものの

出てきたものは
ちっぽけな感傷と
一山の吐瀉物だけだった

涙は
弱者のためのものだ

何者かの冷たい声が聞こえた様な気がして
思わず身震いする

それが正解なのかもしれない
自助のみが尊ばれる この国では

遠くで
主人の帰りを待つ
長く尾を引いた犬の鳴き声が聞こえる

誰もがみな
誰かを必要としている

その事実が
私をさらに痛めつける

失意のまま
さらなる喧騒を求めて
家電量販店に入ると
陳列されたテレビの画面に
崩れ落ちた家屋の数々と
大切な者を失った人々が
涙を流し抱き合う姿が映し出されていた

不意に熱い雫が両眼から零れ落ちる

「涙は自分のために流すもんじゃないよ。
 それは誰かのために取っておきなさい」

塩辛い記憶とともに
泣き虫だった頃の私を叱る母の声が聞こえる

嗚呼 こんなにも簡単なことだったんだ
涙を流すことは

人が人の為に涙を流す

それが
人が人である
証であるような気がして

不思議と迷いが晴れた様な気がして
外へ出ると

北風が
いつものように
私の身体に纏わりつく
孤独を吹き払ってくれた

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