問答

文字数 862文字

森はまことに美しく、暗く深い。
だがわたしにはまだ、果たすべき約束があり、
眠る前に、何マイルもの道のりがある。
眠る前に、何マイルもの道のりがある。※

壁にかかった柱時計が
ゆっくりと
時を刻む

仮設住宅の
小さな部屋の中の
小さなテーブルの上
一人 突っ伏していると

微睡の中
子をあやすような
子守唄を口ずさむような そんな
心地よい 柔らかな声が
どこからともなく聞こえてきた

お眠りなさい (わたくし)(かいな)の中で
この揺れに その身を任せ
深い 深い 闇の中へ

ここは
喜びも 悲しみもない世界
案じる事は何もない

その声に
危うく屈しそうになるが
柱時計の時を刻む音が
私をあちら側から引き戻す

あの子は?

もちろん こちら側にいる
だから おいで

柱時計の時を刻む音が聞こえる

駄目 まだその時ではない

なぜ?

私は決めたの
この身が朽ちるその時まで
この二本足で立って歩こうと

なぜ?
そちら側には何がある?
尽きせぬ悲しみだけではないのか

いいえ
それ以上のものがある

私の中にある
あの子との記憶
あの子と愛した世界

愚かな
その胸の痛みは
拭い去りようもないはずだ

この胸の痛みこそ あの子が生きた証

あの子との
かけがえのない記憶が
私に生きろと告げている

認めるのだ
そちら側には 何もない
お前の涙を拭ってくれる者さえ 誰もいない

いいえ

空を仰げば
流れゆく雲が
あの子の魂の在り処を教えてくれる

昇りゆく朝日が
あの子の笑顔を思い出させてくれる

振り落ちる雨が
あの子の涙を思い出させてくれる

悲しみに打ちひしがれる時は
私からあの子を奪った あの海が
私を慰めてくれる

苦しみに耐えかね膝が折れる時は
貴方の国へと真っすぐ伸びる あの山々が
私に顔を上げ 立ち上がれと
私を叱咤する

まだその時ではない
その時ではないの

やがて

私を誘う
その優しい声は消え失せ

柱時計の時を刻む音だけが聞こえた

何も無いなんてことはない

夢現の中
目を開けると 

そこには

雨を予感させる潮の香りと
朝日に照らされ宝石のように光り輝く美しい海と
雲を頭に戴かせた王のような猛々しさを見せる山々が

確かにあった

※ 岩波文庫 フロスト詩集 『雪の夜、森のそばに足を止めて』から抜粋

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み