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 それから二人は麗子の車に乗ってまず江坂(えさか)で昼食を摂り、そのあと京都へと向かった。
 幸いにして高速道路は空いていた。それでも一時間近くはゆうに掛かり、やがてテレビや雑誌などで古都の風情を表現するときの象徴的な絵柄に必ずと言っていいほど使われる東寺(とうじ)の五重塔を確認すると、車は二人が通っていた大学のある上京区(かみぎょうく)へと向かった。

 そして二人は今、大学のキャンパスのほぼ中央を貫く通りの両側に並んだ石のベンチの一つに座って、前を通り過ぎていく学生たちをぼんやりと眺めていた。
 この時期、こんなところで日向ぼっこができるほど暖かいわけではなかったが、二人とも門を入ってしばらく歩くと昔の習慣を思い出してか、自然にベンチへと足が向き、腰を下ろしたのだった。
 この大学も試験前とあって人影もまばらで、時折学生たちが数名ではしゃぎながら行き過ぎていくのが目立った。二人の向かい側の少し奥へ入ったところにある、三角形の屋根と丸いステンドグラスを持つ煉瓦造りのチャペルは竣工から百年以上が経つ骨董品だ。かつては同じ敷地内にあった付属中学の生徒たちが毎朝礼拝に使っていたらしく、勝也も麗子もその中に入ったことは一度もなかった。
「──懐かしい?」
 麗子は勝也に振り返って言った。
「そりゃまあな。そもそも今はこういう雰囲気とは縁がないから」
 勝也はゆっくりと視線を右から左へと流しながら言った。
「あたしは一昨年ぐらいまではちょくちょく来てたから、そうでもないわ」
 麗子もあたりに並んだ校舎を見渡した。「それにしても、やっぱり趣があるわね。殺風景なうちの大学とは大違い」
「これが私大の取り柄やろ」
「……最初は、どうしても好きになれなかったわ」
 麗子はぽつりと言った。「この街のことも、住んでいる人間のことも」
「お高くとまってるからか。たいした伝統とかを鼻に掛けて」
「そこまでは思わなかったけど──アメリカ育ちの、十八歳の女の子が、日本で初めて同世代との集団生活をこの街で始めるのよ。カルチャーショックもいいとこ。いくら古いところがボストンと似てるって言われたからって、ボストンはアメリカよ。日本の京都とは大きな違いがあるわ」
「けど、京都はその時が初めてやったわけでもないんやろ?」
「ええ。夏休みには毎年来てたわ。十歳になったのをきっかけに、父があたしを一人で日本に行かせることにしたの。真澄の家に滞在して──十六歳頃まで続いたわ。でも、それはあくまでバカンスよ」
 麗子は学生たちを目で追いながら淡々と話した。
「その頃、真澄はすでにお茶とお花を始めててね。他にピアノや日舞、英会話なんかも習ってたわ。彼女、とっても忙しそうだった。あたしとも遊びたいし、それで八月の終わりになっても学校の宿題が出来てなくて──あたし、よく手伝ってあげたものよ。日本語はあまり上手に書けなかったから、絵なんか描いたり」
「ほんまに仲が良かったんやな」
「ええ。何度も言うけど、まさに姉妹よ」
 麗子の言葉に、勝也は力なく笑って頷くと下を向いた。
「──コンプレックスよ」
「えっ?」
「そう。この街を好きになれなかったのは、そうやって夏休みを真澄の家で過ごしていた頃にあたしの中に根付いたコンプレックスが、ここに入学したときに途端に目を覚ましたからなの」
「いったい何のコンプレックスや?」
 麗子は深刻な表情で勝也を見た。「真澄よ」
「真澄に?」勝也は首を傾げた。「どうして? 仲が良かったって言うたくせに」
「そこが女同士の陰湿で複雑なところとでも言うのかしら」
 麗子は苦笑した。 「前にも言ったとおり、その頃のあたしは自分に自信があったし、美人で秀才なんて言われて結構思い上がってもいたわ。真澄もそんなあたしを羨ましがってたし、その点ではおそらく彼女もあたしに対してのコンプレックスがあったと思うの。でも、あたしには真澄のお嬢様ぶりがひどく羨ましかった。羨ましくもあり、同時に反感も覚えた」
「おまえが人を羨むなんてな」
「思うわよ、あたしだって。とにかく最初は信じられなかったわ。娘のためだったら時間とお金を惜しまないっていう親がいて、娘もそれが当然だと思ってて──あたしなんか、学者の娘だか何だか知らないけど、まるっきりの放任で育ってるでしょ。あんなに構ってもらったことなんかなかったもの。忙しすぎるほどのお稽古ごとだって、あの頃のあたしにとっては憧れよ」
「そんなもんかね」勝也には理解できないようだった。
「それでね、あるときあたし真澄に訊いたの。『好きなことが思い切りできなくて嫌じゃない?』って。そうしたら真澄が言ったわ。『あたしは麗子ちゃんみたいに綺麗で賢いわけではないから、せめてちゃんと努力して女らしいと思ってもらわないと』ってね」
「──はは──!」勝也は思わず吹き出した。
「……笑ったってことは、その言葉の意味が分かったってことね」
 麗子は面白くなさそうに勝也を見た。「そう。あたしには努力がなくて、女らしくもないってことよ」
「そんな意味で言うたんかなぁ? いくつのときや? せいぜい十二、三歳やろ」
 勝也はまだ笑っていた。
「どうかしらね。でもそこが真澄らしい──ううん、この街の人間らしいところなのよ」
 麗子は腹立たしげだった。「大学に入ってから何人かの女友達ができたとき、同じような思いをさせられたことがあったわ。それでやっと気づいたの。 ああ、真澄は典型的な京都のお嬢さんなんだわって。やんわりと、意地悪く、それでいて少し勘のいい人間にとってはひどく落ち込むような嫌味の言える人」
「そうかな」
「それでもあたしは彼女を嫌いにならなかったわ。代わりにこの街を嫌ったから」
 そして麗子は穏やかに微笑んで勝也に振り向いた。
「結局はそれも束の間だったけど。ここへ来たおかげで、あんたや豊に会えたんだもの」
 勝也も小さく笑って、足元の石ころをこつんと蹴った。

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