かっこいい傷

文字数 953文字

 幼少期、わたしは他の子どもに比べて成長が遅かった。それは体だけで無く、心もいつまでもぼんやりとしていたと思う。
わたしの友達は皆、わたしよりもずっとお姉さんに見える人達ばかりだった。
いつまでもぼんやりしているわたしを「ほんとに仕方ないなぁ」と助け、妹を見るような目で可愛がって面白がってくれる。年は同じだけど、そんな関係性が心地よかった。

わたしは実生活では姉だったが、家族もそんな役割を期待しては居なそうだった。だいたいにして「お姉ちゃん」と呼ばれた事が無かった。
妹が小学校に入る時になってやっと「一応みんなの前ではお姉ちゃんって呼んだら?」と家族に言われていたが、結局浸透しなかった。
わたし自身にその度量が無かったのだから当たり前なんだろうけれど、昭和の時代に子どもだった事を考えるとその点に置いては「姉・妹」関係なく個人の自由を尊重される環境ではあった。

 そんな経緯もあってか大人になってからもわたしの友達はお姉さん的な人がほとんどだった。
年齢が上でも下でも、わたしより成熟して見える人。見た目の事では無く、心の成熟から来る許容の大きさがある人。その人達の前でふざけて笑い合うのは、やっぱり居心地がいい。

 そう言えば、お姉さんな友達を見て羨ましい事があった。活発な友達にはいつもどこかしら傷があった。スネや膝に肘、青タンなんかも。
運動神経が通ってもないようなわたしには、それはなんだかかっこよく見えた。
運動してできた傷。活発に活動してこそできる証、快活さの証明。わたしにはひとつも無いその生々しい傷やかさぶた。
同じ理論で日焼けあとや深爪なんかも羨ましかった。
そしてその想いはにきびへも同じだった。成長の遅いわたしには程遠い思春期の代名詞。子どものつるんとした顔から一段階大人に近くなったような、ぷつんとした少し痛そうにも見える赤い膨らみ。
自分自身にそれができる事が想像すらできない未知のもの。友達のにきびを見て憧れるような、いつまでも子どものままでいたいような、そんな気持ちだった。

 その後わたしにも思春期がやってきたが、相変わらず運動はしないのでかっこいい傷はできず、にきびも出なかった。その代わり、治りが遅くなったかっこ悪い痕は度々見るようになった。
そして今も、誰からもお姉ちゃんと呼ばれていない。
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