記憶の味

文字数 1,310文字

 子供の頃、「ソーダ味」「メロン味」などの人工的な〇〇味のお菓子が好きだった。その当時は珍しかった「スイカ味」や「さくらんぼ味」は、見つけたら必ず欲しがっていた。
今考えるとその果物に忠実な味と言うよりは香りを食べる感覚だったんだろうと思う。昭和の幼少期、実生活では嗅がないようなガバっと鼻と眼を開き爛々とさせる立派な香りにいつも心が踊った。

 大人になり「本物」を食べる機会が増えた。カクテルやジュースなんかも、フレッシュフルーツを使った物の美味しさを知った。
お菓子を食べる回数も減り、どちらかと言うとお酒のつまみ系に走るようになった。
それでも依然〇〇味への情熱は冷めていなかった。
だが問題がある。今の日本で食べられる〇〇味のインパクトが弱い。
わたしの鼻が大人になったのか?それともあんな鼻をつん裂くような香りのする物を現代の子供達の口には入れないのか?
無いとなると余計に食べたいし、恋しい。

 そんな時は輸入食品の店へ行ってその類いの物が無いか探す。袋を突き破る勢い溢れた香りのするグミやキャンディー、絶対に飲んではいけないと心に固く誓っても気がつけば口内から喉元を通り過ぎるミックスフルーツ味のバブルガム。
たまに海外へ行けば、現地のスーパーでももちろん必ずチェックする。そして買い漁る。

 そんな戦利品を食べていたある時、たまたま通りがかった夫に「なに食べてるの?」と聞かれた。小さいリビングを埋める香りの乱舞が不思議だったのだろう。
そしてふと、この質問に懐かしさを感じた。
思い起こしてみれば〇〇味だけで無く、そう言う質問をされる食べ物も大好きだったのだと。

 ブルーハワイ味のアイスを食べて舌を青くしては家族に見せびらかし「またそんな物食べて」と小言を言われ、実験形式のお菓子を研究者のような覚悟で精密に水道水で作成・研究を重ねては「本当に好きだねぇ」と半ば呆れられ、口の中でパチパチ弾けるキャンディーがどうなってるのか見たくてずっと洗面台にへばりついては「もうやめなさい」と白けた言葉をかけられていた。確かにわたし自身も変な食べ物を食べている自覚はあったと思うが、止める気は無かった。
家族は呆れ、でもなぜか優しい瞳で笑っていた。

 わたしは幼少期、食が細くて偏食だった。食べないと怒られるごはんの時間はかなり苦痛で、給食も家族との食事も嫌だった。
白いごはんが嫌いで、肉の脂身が歯に触れるだけで吐き出し、たまごやきは白身しか食べれず、汁物は少しでも冷めると飲めなくなり、牛乳も飲めない。野菜も嫌いな物が多かった。
だからなのか、たまに好きな食べ物をおかわりしたりすると「あんたよく食べるねぇ」とみんなから褒められた。
その時はわたしも嬉しくなり、ますます食欲が湧くような気持ちになった。

 〇〇味を欲しがる事を家族は止めなかった。どんな食べ物だろうと、偏食の子供が自ら食べたいと言ってくるのが嬉しかったのかも知れない。
そしてわたしも、誰かにたっぷりと感情をかけてもらいながら食べるのが幸せだった。
ただ食べてるだけで、お互いの幸せを感じとれる時間。
 今もリビングで夫に呆れながら見守られて食べる〇〇味が一番美味しいと、わたしは思う。
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