究極の謙遜

文字数 1,332文字

 出会い頭に人の外見を褒める人がいる。
わたしの統計上だと同性が多い。年齢は関係ないみたい。とりあえず先手必勝とばかりに大袈裟に、その言葉への返答も賛辞であるべきような、もしくは言われた方が慎ましくいなければいけないような、図々しさと圧を感じる褒め言葉をくれる。

 わたしは元々人と距離を取るタイプなのもあり、こう言う状況は白眼が出ちゃうほど冷めきってしまう。けれどそんな時、試したくてうずうずする言葉がある。
それは、
「わたしなんて顔とスタイルしか取り柄のない、つまらない人間ですから」そして、
「両親と祖先に感謝ですね」だ。

これを言うと大概向こうはきょとんとした顔で返答無しとなっている。褒めたのはあなたの方では無かったのかしら?と、こちらもはて?の顔になる。
あなたが素晴らしいと褒めた外見は、わたし自身が作ったものでも無いし、感謝こそすれど誰かに遠慮して謙遜しなければならないようなものでも無い。
そしてわたしはこの外見に全身全霊をかけて生きてないし、そこまで考えてない。ずっとこの身で生きてるから仕方ない。
そんな気持ちを当たり障りのない言葉に変換した結果、こんな謙遜のキメラが発生する。

でも、このやり取りは少々いじわるだとも思う。
この人達は、わたしの考えを聞きたくて賛辞を送った訳じゃないのを本当は知っている。
自分より優位に見えるわたしの外見を褒めないと感じる劣等感を隠し、それでも外見以外で勝負できるカードを持っている優越感を持って、わたしに話しかけているだけだから。
対しているのは自分自身なのでしょう。なので、わたしの返答はお門違いと言える。きょとん顔の意味はご本人以上にわかっているとも言える。

この会話が終わる頃にはわたしはその人達の中で、
「自分よりちょっと優位に見える、とりあえずかましておきたい人間」から、
「ただの変わった人」に昇華されるのである。
同じ土俵には立っていない、一種の安心感まで差し上げた気にもなる。こちらの気持ちも軽くなる。

 実はこの会話には、思いもよらぬ副産物がある。
例のキメラを言った後、くすくす笑う声が聞こえる事がある。
近くにいて聞いていた人や、同じ場所に居合わせた人なのだが、このセリフを聞いて静かにむふふと笑ってくれた人とはそのあと友達になれるのだ。

これもわたしの統計上だが、その人達はみんな人あたりの良く、コミュニケーション能力が高い、そして自分をいの一番に出さないタイプの人間だ。
わたしが持っていない人間としての柔らかさをたくさん持っている。かと言って何でもござれで自ら誰の世話でもせかせか焼く訳でもなく、変に謙ったりする事もなく、距離感の表し方がわたしにとって心地よい人。
そんな人達は、なぜかわたしが何をもってそんな事を言っているのかを一瞬でわかってくれる。

 わたしは笑いたいだけなのだ。嫌なものの理由もわかっているなら、どうせならおかしく笑いたい。くだらない事柄に心血を注いでおかしい事柄にするまで仕上げる、明るい悪口と皮肉へ対する健全な精神。
共有できる者だけでのみ無責任に行われる事が許されるこの会話は、やはり人を選ぶ。お互いに選び、選ばれるのだ。
 究極の謙遜は、そんな選ばれし関係を見計らうのに適した材料の一つと言える。
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