第2話

文字数 1,779文字

「やはりイノベーティブかつサステナブルなサービスにするためにはこまめにヒアリングしてコンセンサスをとることがプライオリティの高いファクターであるわけで」
 画面の向こうで包茎治療の広告みたいなセーターを着た長田(おさだ)成晴(しげはる) が両手を意味もなく振り回しながらまくし立てている。その動きを見ていると、時間の流れを過去から未来へ向かって一方通行で移動しているのか、あるいは途中で巻き戻って延々繰り返しているのかわからなくなってくる。空中をさまよう長田の両手が、何もない虚空からあらゆるカタカナ語を引きずり出して並べていく。打ち合わせの場であっても彼が話し始めるとそれは演説化する。みょうちきりんな言葉を次々に繰り出しながらまったく内容のない話を永遠に紡ぎ出す。長田の声によって意味を脱色された言葉たちがばら撒かれ、会議に参加しているスタッフの時間はピンセットで皮膚をはがすようにしてじわじわと、たしかな苦痛を伴って奪われていく。

 橘は自分のマイクが消音になっていることを確認して、同じ会議に参加している同僚の新井(あらい)(たかし)宛に文字メッセージを送信した。
「始まったな」
「おれネット見てたわ」
「上司の話はちゃんと聞きなさいよ」
「橘は聞いてるのかよ」
「なんだと」
 橘が放ったその四文字を見て新井は嫌な予感がした。橘と会話していると最初は意思の疎通ができていたのが唐突に支離滅裂になり、しまいにはまったく制御不能になることがある。なにをきっかけにスイッチが入るのかわからないから気をつけようもない。
「おまえは聞いてるのかって聞いてるんだけど」
 新井はおそるおそる送信した。
「そのような禅問答を持ち出すのか」
 しまったと思ったけれどもう遅い。とりあえず謝ることにする。
「すまない、おれの勘違いだ。大丈夫」
 なだめるように打ってみたけれど効果が期待できないことはわかっていた。
「メビウスとクラインの近親相姦がウロボロス的輪廻のループを生むのだ」
 来たぞと思った新井があわててサムズアップの絵文字を送信すると橘も同じ絵文字で応じた。かくして文字メッセージでの会話は終わった。橘がわけのわからないことを書き始めたら適当な絵文字で応答すると止めることができる。最初のうちはそれがわからずに難儀した。聞き返せば怒りだすし、適当に相槌を打つとどこまでもエスカレートして興奮状態になる。ようやく、絵文字で賛同を示すと同じ絵文字を返してきて会話が中断されるということがわかったのだ。

 橘も新井も会社員だけれど、急速に進んだ在宅勤務化のおかげで各々好きな場所で仕事をし、会議となればそれぞれの場所からこうしてネットワークごしに参加することができる。ちょっと前まではオフィスに出勤するのが当たり前で、会議は会社の会議室で行われるのが通例であった。会議室では長田の目の前で堂々と別のことをやるというのはいろいろな犠牲を伴うことだったけれど、在宅であれば長田が話している間は休憩時間のようなものだ。カメラに映らないところで無関係なWebサイトを見たり、中にはゲームをしているというつわものまでいる。橘たち実働スタッフに言わせれば、これはサボタージュではなく時間の有効利用なのであった。
「となればここでもアジャイルなワークフローの導入はマストでしょう」
 画面の中では相変わらず長田成晴が演説し続けている。
「やはりアブノーマルなインベーダーがサステナブルにマスターベーションし続けるためにも、エレクトしたロケットをインフィニティなブラックホールにぶち込む必要がある」
 橘はモニタから目を離し、虚空を眺めながらつぶやいた。マイクは消音になっている。よどみない長田の演説は意味を失った音を垂れ流し、聞き続けるほどに意識が現世から遠のいていく。麻薬のような効果があった。
「橘君、なにか懸念などはありますか?」だいぶぼんやりしてきたところで長田が話を振った。橘は我に返ってマイクの消音を解除する。
「そうですね。やはりエフェクティブなアクションが求められるので、リスクをとってでもマスクを外してラスクを食べるべきかと思います。それとデベロッパチームのゲロッパなアナルが塞がるのは避けたいですね」
 長田はしばらく黙った後、「なるほど、その通りだ。ではそのあたりのディレクションは橘君に任せる」と言った。

 橘はゆっくりと何度か頷いた。
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