7 ドイツのホロコーストの反省

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7 ドイツのホロコーストの反省
 イスラエル軍の非人道性を非難する国際世論の声が大きくなる中、先に述べた通り、ドイツの親イスラエル姿勢は際立っている。政府だけではなく、インターネットで確認すると、ドイツの報道もイスラエルのプロパガンダではないかと錯覚してしまうほどだ。イスラエルに対する抗議を反ユダヤ主義と呼んでいる。こうしたドイツの極端な姿勢はホロコーストの歴史が影響している。

 板橋拓東京大学准教授は、『朝日新聞DIGITAL』2023年11月30日05時00分配信「ドイツ、「反省」の落とし穴」において、そのことについて次のように述べている。

 「イスラエルの安全保障はドイツの国是だ」。10月7日のハマスによる攻撃以来、ショルツ首相をはじめドイツの政治家たちはこの文言を繰り返し、イスラエルを支持してきた。11月17日、トルコのエルドアン大統領との共同記者会見では、「子供たちを殺戮(さつりく)する」イスラエルを非難するエルドアンに対し、ショルツはイスラエルの自衛権を強調し、同国との連帯を再確認した。
 この頑(かたく)なとも言えるイスラエル擁護は、ナチによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)という負の歴史を抱えているからだとしばしば説明される。それはそうなのだが、実のところ、ドイツの公的言説でこれほどまでにイスラエル批判が難しくなったのは、そう古いことではない。
 ここで注目すべきは、1980年代の西ドイツで起こった「歴史家論争」だ。これは、ある歴史家が社会主義体制下の虐殺と比較することでホロコーストの相対化を試みたことに端を発する。この論争を通して、ホロコーストは唯一無二のメガ犯罪であり、他との比較や相対化を許さないものだという規範がドイツでは打ち立てられた。
 その後ホロコーストは、ドイツのいわゆる「過去の克服」や「想起の文化」(負の過去を想起する営み)で特別な位置を占めることになる。2005年には首都ベルリンの中心部に「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑」が建立された。まさにドイツという国の公的なアイデンティティの核心にホロコーストが据えられたのである。
 それに伴い、「ホロコースト生存者の国家」イスラエルへの批判も反ユダヤ主義と同一視され、タブー化されていく。実際、イスラエルのパレスチナ占領を批判した学者の講演や芸術家の作品が「キャンセル」されるという事態が、近年のドイツでは相次いでいた。
 こうした情勢を背景に、いまドイツでは「第二の歴史家論争」が起きている。この論争は次の問いを突き付けた。これまでのドイツの「過去の克服」や「想起の文化」は、たしかにホロコーストには徹底して批判的だったものの、たとえばそれ以前の植民地主義の犠牲者は忘却してきたのではないか? 論争の火付け役であるオーストラリア出身の歴史家モーゼスは、ドイツ人は反ユダヤ主義を他の人種主義と区別して特別視するあまり、イスラエルへの批判も反ユダヤ主義として封殺してしまうと指摘している。
 思えばドイツの「過去の克服」は、つい最近まで各国の模範であった。しかし、ホロコーストや反ユダヤ主義への反省にフォーカスしすぎたがゆえの落とし穴に、いまドイツははまっているように見える。
 とはいえ、市民社会では、移民系や若い世代を中心に、様々な異論も提起されている。歴史を振り返れば、ドイツの「想起の文化」は、つねに市民社会での対話・討論のなかで築かれてきた。いまドイツはまさに変革の途上にあるのだろう。

 1980年代に社会主義諸国の大量虐殺とホロコーストを比較することでドイツのその責任を軽くしようとした動きが国内で起きる。それを否定するために、ホロコーストを他と比べることのできない絶対悪とする社会的コンセンサスをドイツ人は形成する。ホロコーストの相対化は自身の責任を軽くしかねない。ところが、そのコンセンサスがイスラエル政府の政策を批判することが反ユダヤ主義に当たると拡張してしまう。イスラエルへの批判を許せば、ホロコースト責任の軽減の余地を残すという認知行動だ。「(あつもの)に懲りて(なます)を吹く」というわけだ。ドイツはイスラエルに追従するだけなので、パレスチナ問題におけるドイツの国際的存在感はない。

 ドイツはホロコーストを深く反省している。それはジェノサイドを許さない態度につながる。けれども、ホロコーストの被害者であるユダヤ人が建国したイスラエルのパレスチナ人に対する抑圧には目をつぶる。ユダヤ人はドイツにとって被害者であって、それが加害者と認知することなどできない。しかし、それはドイツにホロコーストのみならず、ICJは正式な判断を示しているわけではないが、ガザにおけるジェノサイドの責任も負わせることになる。ジェノサイドは特定の集団に向けられた極限的な人権侵害で、それはホロコーストの経験を踏まえている。この問題において重要な点は人権侵害であって、それを行っているのが誰かによって是非の判断を左右するべきではない。

 確かに、国民国家であるため特定の国家と人々を同一視するモラリズムの認知行動は世界的に認められる。2002年の日朝首脳会談で日本人拉致事件が発表されて以来、朝鮮半島の緊張が高まった際、朝鮮学校の児童・生徒への嫌がらせや暴言、暴行が発生している。北朝鮮の政策に対して抗議しても、このような同一視の行動があってはその正当性を危うくする。東アジアの平和を脅かすという憂慮ではなく、植民地主義に由来する差別意識が批判の動機ととられかねなお。

 ドイツが真っ当な民主主義社会であれば、イスラエルの政策に対する抗議と反ユダヤ主義に基づく差別を同一視するモラリズムを批判すべきだろう。ジェノサイド条約はホロコーストに対する反省から生まれている。ホロコーストの責任を引き受けることは反ユダヤ主義を認めないことだけではない。イスラエルから非難されようとも、ドイツはホロコーストの責任を引き受けるからこそたとえ誰であろうとジェノサイドを見逃すことなどできないと主張する方が正義に適っている。

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