第5話 白いトマト 下

文字数 2,516文字

午後のまだ人通りの少ない商店街は、屋根が光を遮ってどこか薄暗い。地面もあちこちに黒ずんだ汚れが残っていて、長い年月を感じさせる。時折やたら綺麗な店構えのものもあるがそれらはたいていチェーン店で、周りの景色と不調和なほど輝いているがどこにも客らしき姿はみえない。個人でやっている店主たちはどこか退屈そうな目で道行く人たちを眺めては、中にはスマホをいじっている者もいる。

 三人は周りから見られていることなど気にせずにだらだらと歩きながら向かっていたが、真ん中の一番小さい子がいきなり立ち止まってスマホを取り出した。
「あっ、私そういえば楽器持って帰るって言ってたんだった」
 千晶と紗月はどうしていいかわからず、振り返って友人の言葉を待った。
「だからさ、二人で先に言っててよ。私すぐに戻ってくるからさ」
 言うが早いか、二人に背中を向けて走っていった。紗月は思わずその後姿にすがるように身体の向きを変えようとしたが、千晶がそれを止めた。
「戻ってくるってさ。ほら、先に行こうよ」
「う、うん・・・・・・・。わかった」
 千晶は紗月の前に立って先導するように店まで連れて行った。紗月はうつむき加減で自分の足元を見つめながら、親についていく子供のようにまっすぐその後に続いた。
「ほら、何にする?」
「何って・・・・・・・、うん。えっと」
 紗月はじっとしていてメニューを選ぶ余裕なんてない。しかし、このまま何も頼まないでいたらおかしいと思われるかもしれないし、友人が戻ってきたときに状況が悪くなる一方だ。長い髪をかき上げて左手に持ったボロボロに折れ曲がったメニューを見て文字を追う。
 千晶がバニラのソフトクリームを注文すると、千晶は下を向いたまま同じものをかすれる声で注文した。自分たちの母親よりはるかに年上の店員は、事務的にバニラ二つねとだけ返事をするとコーンを持って器用に機械を操りだした。店にはソースの焼き付いたような匂いと、アイスのべたついた甘い香りが入り混じった何とも言えないものが充満していたが、注文する高校生たちは対して気にしていなかった。学校帰りの生徒たちにとってはオシャレだけどやたら量が少なくて高いものよりもがっつりと脳に響く甘みのほうがはるかに魅力的だった。
 二人は財布から百円玉を二枚取り出して勘定を済ませると、店の脇にあるベンチに千晶が座った。千晶が座ってから紗月をちらっと見てベンチの左半分を開けた。紗月はもう逃げられない子供のように観念してその隣に座った。紗月は自分で覚悟を決めたつもりだったが、こんなに感情がついてこないとは思っていなかった。口に含んだソフトクリームがのどにからみついて中々胃の中へと流れていかない。唾を出そうとしても口の中がねばりついたようになってどうにもならなかった。千晶の顔が手元のソフトクリームからこっちへ向いた時、金縛りにあったかのように身動きすら取れなかった。距離を取ろうにもベンチの端に座っているのでこれ以上下がることはできない。

「やっぱり定番のバニラは美味しいね」
「うん・・・・・・」
 紗月は返事をすることに精いっぱいで隣にいる千晶の瞳をみることができない。彼女の唇の端にかすかに残った黄味がかった白色のアイスが真っ赤な唇の上に乗っかっていて下にこぼれそうになっている。紗月はそれを指摘したいと思ったが、話に集中しないといけないといけないとそれから意識を遠ざけようとするが、そうすると反って気してしまう。頭に沸騰した血液が流れ込んで、熱があるようにぼうっとしてしまう。
「ねえ、あのさ。昨日の事なんだけど」
千晶は単刀直入に切り込んだ。声はわずかにふるえていて、唇がぷるぷると不規則に痙攣していたのが紗月の目にもはっきりとわかった。それを見たとき、紗月の心の中に少し余裕が生まれた。千晶だって平気なわけではない。彼女だって緊張しているんだ。だから紗月は心とは裏腹に強気な言葉を出すことができた。
「あれ以上のことはないわ。それだけよ」
 紗月が冷たく言い放つとそこに小さな沈黙が生まれた。千晶が唾を飲み込む音が聞こえるくらい二人の間は張り詰めている。
「なんで。でもあなただって。そりゃわかってるわよ。誰とでも仲良くなれるわけはないし、紗月だけじゃないわよ我慢してるのは」
 千晶はもはや声の震えを抑えようとはしなかった。
「何よ。私が悪いって言うの? もとはといえば千晶が・・・・・・」
 紗月ももうこらえきれない感情を、それでも何とか我慢しようと言葉を選ぼうとした。
「私が何っていうの?」
 紗月はすべてぶちまけてやろうとまっすぐ千晶の目を見た。しかし、千晶の瞳がうるんで少し充血しているのを見ると、それ以上は何も言えないで、持っている食べかけのソフトクリームをゴミ箱にたたきつけるように捨てると、駅とは反対方向へ向かって走っていった。

 一人取り残されていた千晶は茫然とそれを見送って、紗月を追いかけようと我に返った時には、商店街の人々に好機の目にさらされていることに気が付いて、とにかく場所を移そうと思った。戻ってくる友人を待って、彼女を味方につけて紗月を追い詰めたいと思ったが、千晶はそれを何故かしたくないと思った。だから、千晶は道を外れて学校の生徒が来ないような路地へと入って一人になった。
 さっきの紗月の言葉が千晶の頭の中でぐるぐると回っているが、千晶にはそれが何のことだかわからない。スマホを見ても誰からも連絡は来ていなかったし、こちらから連絡を取る気にもなれない。手に持ったソフトクリームがすっかり溶けてしまって、コーンがふやけてしまっても千晶の中で整理はつかなかった。
 千晶が学校から帰った時にはもう辺りはすっかり暗くなっていて、スマホには友人からのメールと着信が何件か残っていた。紗月と納得がいくまで話をしたいと思ったが、今紗月と話してもどうせお互いが不完全燃焼で終わってしまうのはわかっているし、誰かを巻き込んで騒動を大きくするのはマイナスにしかならない。千晶は全く手につかない試験勉強を前にして、どこにも持っていけない感情を抱え続けないといけないことを受け入れるしかないのであった。
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