第9話 空に舞うタンポポ 上

文字数 2,540文字

「給料日まで後十日もあるよ」
 カレンダーを眺めながら愛実はつまらなそうに唇を尖らせた。買い物をしようネットを見ていたが、レジへ進む前にキャンセルボタンを押した。冷たいお茶が飲みたくなって冷蔵庫を開けるともやしの袋が二つほど手前に落ちてきた。拾って今度は落ちてこないように注意深くそれをしまって、サイドポケットにあるおお茶をコップに入れた。改めて座椅子に座ると、スマホで動画をラジオ代わりに流しながらネイルの手入れの続きを始めた。愛美の部屋は実家で暮らしてた時の部屋とあまり広さは変わらなかったが、その中に生活のすべてが入っているとなるとあまり余裕はなかった。しかし、今の愛美の部屋は生活を凌ぐだけの最低限の物しかないので窮屈さを感じずに済んでいる。スマホを置いている小さな折りたたみ机は、実家で愛美が使っていたものをそのまま持ってきているし、その上に乗っているものの殆どは百円均一の店で揃えた物である。動画を一つ見終わると、爪の手入れもそこで終えて、明日のシフトの時間をチェックしてから目覚ましをかけて布団に入った。

「ポイントカードおつくりできますけどいかがですか? ・・・・・・、はい。またよろしくお願いします。・・・・・・・、ありがとうございました」
 店内にいるお客が一通りはけて愛美は一つため息をついた。お金を触った両手を一度タオルでぬぐってから突っ張ったほほを軽く伸ばす。地元にいたとき、別に無愛想だったわけではないが、作り笑顔をし続けるのはかなり疲れる。さっき休憩をしたところだから仕事が終わるまではまだ三時間もある。時計を見たことを少し後悔しながら店内で散らかった商品をまた綺麗に並べなおしていく。最初に来た時にはオシャレな店で働くことができて運がいいかもと友人にも自慢したのだが、今となってはそんなことはもはやどうでもいい。ずっと売れ残っている木でできた犬がこちらをつぶらな瞳で見つめている。それも同じように埃を取り除いて、千円のプライスが良く見えるように飾り付けなおして誰か入ってこないか外を見た。平日だというのにカップルたちが歩道を歩いて、時折店のショーウィンドウを眺めている人もいたが、中に入ってくることなく手をつないだまま通り過ぎていく。愛美はなるべく表情に出さないようにしながら時計の針が六時なるまで作業を続けた。
「今週空いてない? 飲み会しようよ」
「今月ピンチなんだ。月末になったらお給料入って余裕できるんだけど」
 愛美は帰り道に友達と電話をしながら歩いている。遠い道のりでも友達と話していると苦にならない。
「日程は動かせないんだよ。ほら、こないだ話してたじゃん。合コンの話がまとまってさ。何とかならない」
「そうだったんだ。でも今週だとちょっと・・・・・・」
 愛美はさっきのぞいた自分の財布の中身を思い浮かべると、返事をするのに躊躇した。
「まだ人数調整できるからさ。考えてみてよ」
「うん、わかった。また連絡するわ」
 愛美は返事を保留して電話を終えると、財布を取り出して中身を確認してみた。お札の所には千円札が数枚と、それより多くのレシートが入っている。それはいくら見つめていても増えることはない。飲み会とはいえ、バイトで散々恋人たちのデートを眺め合コンにも行ったことのない愛美にとっては魅惑的な誘いだった。しかし、部屋にある困った時のための一万円をそれに使っていいかになると悩ましい。友達の沙友里が骨を折って準備してくれたことを思うと断わるのもちょっと気が引けた。愛美はスーパーに寄ってから半額になった総菜を買うといつもの白っぽい部屋へ戻ってきた。棚とかがないので生活がすべて低くなってしまう。服を着替えてご飯の準備をしてから定位置につくと、食事を始めた。引っ越しした最初には数々のおかずを作って、そのためには食器のセットが必要でと考えていたのに、その殆どは棚にしまわれたままで洗うのが面倒で使われてなかった。よく噛んで食事を進めながら目覚まし時計の横に置いてある貯金箱に目がいった。
「確かにあれを使えば、行けることは行けるんだけど」
 貯金箱には父親が持たせてくれた一万円札が入っている。電車に乗るときにこっそり渡してくれたものでその時には気恥ずかしかったが、一万円の重みとその時の父親の手を思い出すと愛美にとっては大切なものだった。一度それを取り出して折り目を伸ばしてみる。じっと手に持ってそれを財布に入れようかと逡巡したが、もう一度折り目の通りに畳んで貯金箱の中に入れると、明日沙友里に会った時に断りを入れようと思った。合コンという名の響きに魅力を感じていたことも確かだが、何か得体のしれない恐怖のようなものも感じていた。もちろん、テレビや映画のような運命的な出会いが簡単にあるわけないのはわかっていたけれど、人為的なものに対して抵抗を感じる程度には初心だった。

「そうなの? やっぱり無理強いできることじゃないし大丈夫だよ」
「うん、私が言うのもあれだけど、沙友里は楽しんできてよ。それでうまく行ったら次は私も参加したいわ」
「うまくいったら、私彼氏持ちなんだからもう誘えないわよ」
 沙友里に断わるのに愛美は申し訳なさそうに顔の前で手を合わせて拝むように言うと、沙友里はわりとあっさりと受け入れてくれた。愛美はそれでも何か悪いなという気持ちがまだ心の奥底のほうに残っていたが、沙友里が冗談で返してくれたことで多少はそれも紛れた。
昼休みになると愛美たちはいつもの仲間で食堂へと足を運ぶ。みなおプレートを持ってそれぞれ食べたいメニューの列へと並んでいく。愛美はおなかに手をあてて自分の空腹を確かめたが、定食ではなく安い麺類のコーナーへと足を運んだ。
「愛美は本当うどんが好きだよね」
「ははっ、財布に優しいからね」
 愛美は笑いながらごまかして席についた。早苗の言葉はもちろん冗談で仲間内での定番のネタのようなもので沙友里はたまに愛美におかずを譲ったりもする。次の授業までは時間があるのでゆっくりと箸をすすめ会話を楽しんだ。途中会話が沙友里の言っていた合コンの話になったが愛美はその会話にはどうしても参加できないため、食事に集中するふりをして聞き役に徹していた。
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