第3話 白いトマト 上

文字数 2,472文字

「私さ、あなたのこと苦手なんだよね」

 紗月は電車を降りるとき、私の目を見てはっきりと言い切った。乗降する足音と出発を知らせるアナウンスが流れる中で、周りの空気だけがはっきりと固まった。何か言おうとしても口が動かない。紗月の方へ駆け寄って笑って冗談で済ませたいと思っても、彼女はすでにホームに降りている。紗月はまるで何事もなかったかのように改札へ向かって私からはその背中しか見えない。電車が動き出して紗月の背中が見えなくなっても、私は電車の真ん中で動くことさえできなかった。

 紗月とは気が合うわけではなかった。それは私も知っている。誰か共通の友人がいる中では紗月とも普通に会話をすることができたが、二人きりになった時はいつも会話が途切れがちだった。彼女が退屈そうにスマホの画面を見ている時、私はいつもその場を何とか取り繕うと必死になった。お互いの間に距離ができていることはわかっていたが、同じグループに属しているので私は紗月ともうまくやっていかないといけない。だから私は必死に会話の糸口を探そうとした。別に盛り上がらなくてもいい。沈黙の時間がなくなるように言葉でそれを埋めようとした。
 しかし、紗月は相槌をたまに着く程度で自分から会話を振ってきてくれはしなかった。自分以外に誰かがいるときには紗月は良く笑ったし冗談も言っていた。そういう時は私も会話に入っていたし、そこにある話題を広げていれば誰かがそれに返してくれた。周りの景色が進んでいって、自分の降りる駅が近づいてくると頭から周りの景色が目に入り車内を見渡した。立っている人が自分くらいのすいている時間で、皆がスマホをいじっていた。私と目が合う人が誰もいなかったことにほっとしたが、これ以上同じ車両にいることは自分には耐えられなかった。さっきの紗月の言葉を誰かに聞かれているようなきがして前後どちらでもいいのでとにかくドアを挟んだ向こうの空間へと移動してそちらから見えないような死角へと逃げ込んだ。

「なんであんなこといったんだろう」
 部屋のベッドで横になっても紗月のことで頭が一杯だった。私が何かしたのだろうか。どこかで紗月を怒らせるようなこといっちゃったのか。そうだとしても説明もなしに敵意だけ向けられても何もわからない。スマホを見て適当にスタンプを使って返信をしていくが、自分から話題を振ることはしない。一度紗月が写っている写真を眺めてみたが、瞳の奥に自分への敵意があるようには感じ取れなかった。頭の中を必死にめくって何かあったのではないかと考えてみたが、無駄に時間を費やしただけだった。
 次の日、まるで風邪をひいたときみたいに身体が重くて朝食のパンを少し残した。親からも少し心配されたが、いつものようにカバンを持って登校した。電車の中で紗月に会って昨日のことを問いただしたいような、会ってもきっと自分から何も言うことができないし、何もなかったこととして誰かが一緒じゃないと会いたくないような、そんなあいまいな気持ちを抱えたまま学校へとたどりついた。
 「おはよ」
 「うん、おはよう」
 声をかけてきたのは紗月と同じ、いつも一緒のグループの子だった。何とか笑顔を作って違和感がないように返事をする。目ではクラス中を見回して紗月の姿がないか確認するが、彼女の長く黒い髪はどこにも見当たらない。私は返事もそこそこにお手洗いに行くことにして教室を後にした。少し遠くの人があまり来ないお手洗いまで足を運んで大きく深呼吸をする。紗月に対して自分がどんな態度に出るのが一番いいのかグルグルと頭の中で考えているが結論は出ない。超然とした態度で紗月に真意を問いただすのが一番良いような気もするが、それが自分にできるか自信がない。それよりも変にこじらせてしまってクラスで孤立してしまうことだけは避けたいと思っている。しかし、そのためには紗月と異なるグループに入らないといけないが、二学期にもなってそれをするのは難しい。
 そうこうするうちに朝礼の時間が迫ってくる。先生が来る直前に教室に入ってとりあえずその場をやり過ごそうとも思っているが、それをすると紗月に逃げたと思われることになる。教室にカバンだけがあるのだからそれは尚更だ。
 結局、何も整理できないままにお手洗いを後にして、まっすぐに自分の席へと座った。教室内ではいたるところで会話がされているが、そのどれもを無視して机の上に覆いかぶさるようにして俯せになった。
「千晶、どうしたの?」
 声をかけてきたのは、さっき話しかけてきた友人だった。グループの会話を抜けて私に声をかけてきた。
「ちょっと貧血気味なだけ。大丈夫だよ」
 私は顔を上げて髪を軽くかき上げて返事をした。目の前には心配そうに私の顔をのぞき込む友人の姿があった。紗月はその声にほっとして周りを見る余裕ができた。
「そう? 何かあったらいつでも言ってね」
「うん、ありがと」
「そういえばさ、昨日のドラマ見た? あれさ・・・・・・」
 聞いてほしかったのか、どんどん進んで話してくれたので相槌をうつだけでよかったが、もちろんこのままというわけにはいかなった。
「あのドラマでしょ? 私も見たわよ」
 二人の会話に割って入るように紗月がいつの間にか立っていた。
「ちょっとありえないと思うけど、追いかけていったのがよかったよね」
「あの後本人のツイートみたんだけど、それについてコメントしててさ」
 私を置いて二人で会話が盛り上がっていく。もちろん、会話を閉じるように自分に背中を見せるようなことはしないが、それでも見えない壁を置かれたような疎外感を感じる。机の下でぐっと手を握りしめ、何か言おうとした時だった。

「千晶はどう思う?」
 紗月が突然振り向いて笑顔で私に話しかけてきた。その時私がどんな顔をしていたのか、ちゃんと友達に向けてするような表情をしていたのか記憶がない。呼吸をするのも忘れて紗月の目の奥にあるものを捉えようとしたが、二重の綺麗な瞳と大きな黒目の中に何が隠れているのか私は見つけることはできなかった。
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